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蘇州、翡翠の腕輪をめぐる戦いと教訓 ~中国~

十数年ほど前、会社に勤めて初めての夏。初めての単独での海外旅行。
ここで経験したことが良い教訓として今日まで活かされているので振り返ってみようと思う。

水の都、東洋のヴェネツィア、蘇州。

自分一人で考え、思うように行動するという自由をこの地で噛み締めていた。自分で稼いだお金で、自分だけの時間を買っているのだ。

うだるような暑さの中、上海から車で3時間程。蘇州の美しくのどかな風景は新入社員のプレッシャーを忘れさせてくれるには十分だった。

入社と同時に写真を始めて数ヶ月、初めて手にした一眼レフで未熟なりに美しいと感じたものを切り取りながら町並みをぶらぶらと歩く。
大学卒業以来の創作活動、それも今まで経験のない写真という新しいフィールドに踏み出し、そして今初めて一人で海外を訪れている。


とにかく眼に映るもの全てが新鮮に感じられ、そして楽しかった。
思ったより治安も良い。初めての中国という事もあり始めのうちは緊張していたのだが、滞在3日目ともなれば現地の空気感を満喫する余裕も生まれ始めていた。


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水路沿いの細い通路を歩きながら町並みや往来する小舟に風情を感じつつ歩みを進めていく。なんだかアクション映画に出てきそうな風景だ。
ジャッキー・チェンやサモハン、リー・リンチェイが小躍りしながら出てきそうな感じがしなくもない。

しばらくすると観光地らしく小さな土産物屋が列をなしている一角にたどり着いた。
店員のやる気のなさそうな雰囲気もまた異国ならではである。
夏の暑さのせいかだらりと緩慢な空気が漂う中テレビを見ていたり、うたた寝をしていたりする店番たち。

そんな中で一軒の店の前で自然と足が止まった。古びた土産物屋。
ずらりと並ぶ石。どうやら翡翠を取り扱う店のようだ。


翡翠。緑色、もしくはラベンダー色の宝石。
中国人は翡翠を大変好む。
私にとっては幼い頃から馴染みのある宝石である。何故なら私の父は日本では唯一翡翠を産出する新潟の小さな街の出身だったからだ。

祖父母の家に行き、街に出ようものなら必ず翡翠というキーワードを耳にする。温泉、菓子、酒、公園、海岸、米。様々なところに翡翠の名が冠してあった。川で一日中、原石拾いをしたこともある。
それだけに翡翠の価値は嫌でも理解出来ていたし、いつかはアクセサリーを持ってみたいものだと思っていた。

やる気のなさげな店番の青年の挨拶もそこそこに、私は吸い寄せられるように店の中へ入り、品物を眺めた。


篆刻、ネックレス、イヤリングに指輪。
様々な商品をぼんやりと眺めているうちに一つの商品に目が行った。
翡翠を丸ごとくり抜いた腕輪である。

レタッチ-2193+

うわ、高そうだな。日本で見た時は目の玉の飛び出そうな額だったやつだ。

第一印象はそんなイメージであった。しかし値札を見てみると意外と買えない額ではない。日本円にして4万円弱か。
そして私が値札を確認するそのわずかな瞬間をカウンター越しの店主は見逃してはいなかった。

「試してみるかい?」

気の良さそうなおっさん店主の言葉にまあ、試すだけなら構わないだろうと軽い気持ちで頷いた。
薄いミントグリーンの中にマーブル模様の濃い緑が綺麗な一つを選び、手に取った。ひんやりとした感触と石そのものの重みが心地よい。

だが腕輪は私の腕には入らなかった。

腕輪のサイズが小さすぎたのだ。石をくり抜いただけのシンプルな作りゆえ掌の大きさと穴の大きさが合わねばそれまでである。
残念な気持ち半分、どうせ買うつもりもそこまでないのだからまあ良いや、という気持ち半分であった。

すると店主が「ちょっと待ってて」と言い残し店の奥へ消えていった。きっと違うサイズの腕輪を持ってくるのだろう。そんな風に考えていた。

次の瞬間、奥から現れた店主の姿に私は自分の目を疑った。
店主の手にあるのはサイズ違いの腕輪ではなく、水の入った洗面器と石鹸だったのだ。

いやいやいや、何だよ洗面器と石鹸って。
抜けなくなった指輪と同じ原理って事?普通そこは大きいサイズ持ってくるでしょ。

…普通?
…普通って何だ?
私の言う普通は日本の普通…?

そう、ここは中国。予想外の治安の良さに完全に油断をしていたが紛れもなく中国なのだ。
想像の斜め上を行くことが起こっても不思議では無い。
迫り来る満面の笑みを浮かべた店主と洗面器を前にようやくその事に気がつく。

そして呆気にとられていた次の瞬間、横からニュッと伸びてきた手が物凄い勢いで私の左腕をホールドしてきた。店番の青年だった。
しまった、これはまずい。ジタバタともがく私を完全に無視しながら店主は要領よく押さえ付けられた掌に水と石鹸を塗ってゆく。恐ろしいほどの連携プレー。

全てが一瞬の出来事であった。

そして店主が先ほどの腕輪をギュウギュウとねじ込んできた。
痛い。めちゃくちゃ痛い。

「ウワアアアアアあいたたた痛い痛い痛い〜」
「オーケー、オーケー、ノープロブレム」

何がノープロブレムだ。痛いんじゃ。そう思いながら店主を見ると笑顔のその奥の目は笑っていなかった。本気だ。本気でこの腕輪を買わせるつもりなのだ。

腕に入ってしまったら最後、取り外すのは容易では無いだろう。
そうなれば買うか腕を切り落とすかしか無い。そんな状況で値札の何倍もする金額を提示されようものなら完全にアウトだ。

掌から先にこの腕輪を通してはならない、何とか逃げねば。そう考えている間も店主は容赦無く腕輪を突っ込もうとしてくる。
私も負けじと気付かれぬよう徐々に掌を広げて腕輪の侵入を防ぐ。しかし痛い。
汗と石鹸で腕がヌルヌルして最高に気持ちが悪い中、第三関節が悲鳴をあげていた。

「無理無理無理!!!」

日本語で叫ぶように答えながらこれ以上腕輪が入らないアピールをするとようやく諦めたのか押えている腕の力が弱まった。
さっと手を引っ込め二人を見やると貼り付けたような笑顔のままである。

私は恐ろしくなり走るように店を後にした。全身から汗が吹き出し、血が逆流するようであった。気付けば腕はビショビショのままだ。気怠い午後の蘇州、相変わらずゆるゆると川は流れている。


日本人観光客の若い娘が一人でノコノコと得体の知れない土産物屋に入った末路がこれである。身を以て海外の厳しさを知った瞬間であった。
店からだいぶ離れた水飲み場で石鹸を洗い流している間も心臓がバクバクと早鐘を打ち続けていたことは今でも昨日のことのように思い出せる。

しかし後になって冷静に考えて見れば見るほど、隙だらけの自分に思わずツッコミを入れたくなる。

そもそも中国で翡翠(硬玉)は産出せず全てミャンマーから入ってきていることも知っていたではないか。蘇州のさびれた土産物屋で翡翠を物色する必要は全くなかった筈だ。
仮にあの腕輪の価格が日本円で4万程度というのが本当だった場合、中国の田舎町なら1ヶ月は生活できる金額だ。吹っかければそれ以上の儲けが出せたかも知れない。
本気で買わせようとしてくるのも頷ける。彼らは生活がかかっているのだ。


買わされるかも知れない、という覚悟が足りていなかった。
現地の生活レベルと貨幣価値に対する理解が足りていなかった。
無知とは恐ろしいものである。
まさか洗面器と石鹸が私にそんなことを教えてくれるとは。

今となっては笑い話だが、当時は本当に衝撃だった。

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その後、上海へ移動した後もその時のインパクトと翡翠の腕輪の姿が何故か頭からこびりついて離れず、結局豫園で安物の腕輪を購入した。

5000円。

恐らく人工的に染色したものだろう。もしかしたら蘇州で出会ったあの腕輪も本当はこれと同じ品質の安物だったのかも、と思うと何だかゾワゾワする。ありえなくもない。
そして購入時にまた同じような目に遭わぬよう、カウンターの奥に洗面器が置いて無いかを確認するくらいには用心深くなっていた。何事も学習である。


数年後、ベトナムの市場や香港、翡翠の本場であるミャンマーなど至る所で似たような腕輪を見かけることになるのだが、その度にこの若かった頃の何とも言えない思い出が洗面器を持ったおっさんの姿となって蘇っては私に語りかけてくる。


「旅を甘くみるなよ」と。

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