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山ペンギン 48 玄奘三蔵とその眷属

先日の続きなのか、仏教の話題が最近の職場のトレンドだ。

オレは一応学生なのだが、研究室でも劉さんの講義?を聞くはめになっている。

「あのなあ・・・諸外国、キリスト教主体の国は、信仰心なくても聖書読んだことないやつはいないんだぞ。お前ら・・・葬式は仏式じゃないのか?」                                         
葬式のときくらいしか、意識しないからな・・・。

一応、工学系の研究室なのだが。

「般若心経は知ってるな。」
全文は知りませんが、存在は知ってます。

「その元になる大般若経は知ってるな?」
知りません。

「私も知らん。」
なんで振ってきたんすか。

「この間話した玄奘三蔵が大般若経を元にそのエッセンスとしての般若心経を作ったとかあるが、実際は違うようだ。
大般若経は大般若経として、般若心経はそのエッセンスとしてなのかはわからないが、もともとあり、玄奘はそれを唱えながらインドに向かったという説もある。
大般若経をインドから持ち帰った玄奘はその訳に取り組む。高名な玄奘だが、その功労としては、持ち帰った以上にサンスクリットで書かれた経を翻訳したことにある。
大般若経のみで600巻だが、玄奘は他に「瑜伽師地論」百巻、「成唯識論」十巻、「大毘婆沙論」二百巻、「倶舎論」三十巻など、合計七五部、一三三五巻を訳している。」

大般若経の翻訳だけで4年かかっている。といっても4年で終わったこと自体が、玄奘の天才性を語っているとは思うけどな。

「劉さんは玄奘推しなんですね。」
「まあ、有名だし、やはり西遊記は面白いからな。沙悟浄にはモデルがいるらしいぞ。
玄奘がインドに向かう途中に砂漠を通過したが、その砂漠を渡るにあたって、玄奘を守護したのが、深沙大将という、砂漠で危難を救うことを本誓とする鬼神だ。病気を癒し、魔事を遠ざける(wikipediaより)と言われている。」

水の妖怪とされる河童の沙悟浄とは真逆じゃないか!!なんで水のない砂漠でであった鬼神と河童が同じになった・・・。

「知るか。似てたんじゃないのか?剃髪したら河童ぽかったとか・・・」

「激元気っすかー」マリ
「コーヒーMカップでホットー」ユリ
「ユリなんで自分のだけ買うんだよ。私もー。」
劉さんが2人にカップを渡す。2人並んでコーヒーコーナーでホットを入れているのを見ながら、

「博士たち、研究室泊りですか・・・」
眠気さましに来たのか。大学からは少し離れてるんだけどな・・・。
「マリが論文でリジェクトされやがったんだよ・・・」
「根拠文献足りないとか、マジ頭足りねえよ。査読者。」

マリ博士がですか?!どこに出して・・・
「ネイチャー」2人声をそろえる。

「・・・仕方ないですね。」
「直しを再提出しようかと思ったけどー・・。ネイチャーは査読難しいわりに誰にでもわかる話じゃないといけないから・・・。」
「テーマではじかれたんじゃないですか?」年下の准教授たちに丁寧に劉さんが話す。

ウチらと似てたのはこれかな。
Penning micro-trap for quantum computing(量子コンピューティングのためのマイクロトラップのペニング)

これ、誰にでもわかる話なんですか?
「まあ、これからの時代では一般的な話になると思うけどな。」劉さんが読みながら感心している。

結局そうなんだろうな。あとから考えれば納得できることもあれば、あとからなんでこうなったと思うこと、それは決して矛盾しないことなんだろうな。
「お前の結論が一番わからんよ。」
マリ、ユリがうなずいている・・・


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