『他者の靴を履く』

ブレイディみかこ 文藝春秋 2021.6

著者は私と同年代。今の時代を読み取る感度がめちゃくちゃ高い。この本に出てくる数々の論点をいちいち頷きながら読んだ。この本が読めてよかった。著者が世にでてくれてよかった。

この本は「ぼくイエ」で触れた「エンパシー」が刊行後ひとり歩きしたので、著者としてもう一度エンパシーについて考察した大人の続編という位置づけとのこと。「エンパシー」とは自分とは異なる他者を理解する「能力」のこと、そしてエンパシーを発揮するには「自分を失わないこと」が大切。自分を失うとそれはシンパシーになる。

イギリスではコロナで普段の社会秩序がほころんだ時に、一瞬だけど人々がお互いを思いやる社会が出現したという。何か手助けできることはないか、お互いをケアしあう社会が。日本はこういうのないな~と思いながら読んでいたら、日本は「迷惑をかけない」社会だという記述がでてきた。他者を煩わせることに異常に神経質。でも迷惑をかけないということは他者とつながらないことだという。ここに自己責任が発生する。迷惑をかけあえる社会にするにはどうしたらよいのだろう?自分のことを考えると弱みをみせるとか、ダメな自分をさらけ出すとか?(実はこのことは、はるか以前小学校の学級委員だった時に、遠足の目標を「人に迷惑をかけない」として悦に入っていた黒歴史をもつ自分自身の、最近の大きなテーマでもあった。抱えている問題とか困りごとをさもなんでもないことのように装っている自分はこのままでよいのか?と。)

ケアはケアされる人を自由にするものだという箇所も印象的だった。子どもをケアするのは子どもが自由に遊べるため、教師が子どもをケアするのは子どもが学校を出て社会で自由に生きられるようにするため、患者さんをケアするのは回復して自由に生活できるようにするため。互いをケアし合い生きていく人々の社会はお互いを自由にする世界だと。

そして全体を通して語られるのはエンパシーとアナキズムの親和性だ。アナキズムというとなんでも壊すとかカオスとかのイメージがあるが、「支配がない」という大事な点がある。(カオスの際に立ち現れる害悪は、ある意味下手につくられた自動システムの害悪よりも限定的だ、との引用も。)自由な個人たちが協同し、お互いをケアし、よりより状況に変える方法を探していくのがアナキズムだ。

ひとりひとりが自分の思いを言葉にして他者と分かち合うことでエンパシーを身につける。自分のために。まずはここから。Democrcy begins at home.あー、だけどこれが一番難しい~。どこから一歩を踏み出せるか。



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