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「あしたのきょうだい」について

作・演出・出演・音楽ーー吉田アミ
出演ーー張祐寿、ほか

赤レンガダンスクロッシング(2016.02.20-21横浜)で、男性の身体をへんてこに見せてくれた吉田アミが、今度は女性の語りをサンプリングの手法で見せてくれた。あ、サンプリングっていうと、なんだか生体から標本を切り取る非情な行為と思われるかもしれないけど、そこはむしろ逆で。好きすぎる音楽を最良の流れで聞かせようとするDJの手つき。

「お芝居なんて出るの初めて」という張祐寿(ゆすちゃん)。彼女による約40分の「語りの演劇」。
日に10時間ほども、それも何日も何日も。ゆすちゃんと吉田アミが、語り聞くことが稽古となり“自分再編集”がなされ、観客の前に提示された。もともと『サマースプリング』(太田出版2007年)で自分語りのドキュメントを小説化した吉田アミだから、この手法には納得。「自分と違う体験とか考え方もってる人の話を聞くのが好きなんですよ。そいでゆすちゃんの性格のよさ! ほんといい人だからやりやすくて!!」(吉田)

ゆすちゃんは韓国籍だ。子供の頃の家族の思い出。兄と近所のパン屋のエピソード。ハンメ(おばあさん)が亡くなった時のこと……話題はいろいろなのだけどーー彼女が山小屋でバイトをしていた頃の生活の詳細や、手を動かして物を作るのが好きなことなどーー語りは行ったり来たりしながらたびたび彼女の出自に立ちかえる。出かけた人が家に帰るみたいに。
ゆすちゃんが壁に貼った外国人登録証を「免許証の拡大コピー?」と思ってしまった私の(日本人としての)鈍さ。日本に住んでいるのは日本人ばかりではないと知っているつもりでも、漏れ出す傲慢さ。他人の個人的な話は、鏡のように自分自身を反映し見せつけてくる。

湿っぽくなく淡々と。むしろ乾いた声。いまどきの若い女子(20代?)らしい無表情に近いのに冷たくない顔貌。大袈裟でない無駄のない動作。彼女が自分のブランドにつけた心理学用語「ツァイガルニック」の話が、私の心にピンで留められるーー人は達成されたことより未達成のことの方が気になるし記憶に残りやすい。

作・演出の吉田アミが登場すると、ガラっと空気が変わる。ちょっと年の差あるけど女友達の日常の場。かと思うと暴力的な音響、投げつける、叩き割る音。そしてまた、ゆすちゃんの声と動作に戻る。ときおり明滅する蛍光灯が“寝る時間”と“朝”を繰り返すように時を刻み、前に進める。そう、この目を射るような蛍光灯照明は対バンだった立川貴一作で、短めの演劇二本立てなのが音楽のライブイベントっぽくて良かったんだよな。

ラストに近く、ゆすちゃんが幼児の頃に「偶然録音した」家族のテープ音源が流れる。たびたび話題にのぼった兄も、声変わり前の高い声でしゃべっている。膨大な情報量が含まれる音声の威力に打たれる。と同時に、丁寧に地道に語ることの価値もまた反射するようにきらめく。
子供にも若い人間にも壮年や老人にも、長い長い日々の物語があって、それを全て語るのは無理だし。それでもいくらでも記述すべきこと、したいことはあって……そこから何を抽出するのか。最近、演劇に傾斜している吉田アミだが、やっぱり音楽の人だな、と思う。劇を作曲している。もっと彼女の劇を聴こう。

2016年3月21日、神保町視聴室
SNAC パフォーマンス・シリーズ2015 vol.6
ミニスキュル・シングス
企画ーー土屋光(HEADZ/SNAC)
http://snac.in

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