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あなたはあなたでいい

お盆、なんて素敵な風習なのだろう。

ご先祖様を敬うために、家族が集まるイベント。

昔話をしながら普段集まらない親戚と出会う、
不思議な時間。

過ぎた時間を思いながら、血のつながりを感じたり、
自分のルーツを感じる時間。

私はアメリカに住んでいる。

日本に住んでいる時も核家族で東京暮らし、親戚付き合いも少なく、ひとを頻繁に招くような家でもなかった。

今年のお盆は久しぶりの親戚にたくさん会うことができて、とてもうれしい

というのは、

大人になってから、私は大家族のがやがやしている感じ、コミュニティに属することに憧れていたことに気がついた。小さな頃、若いころは家族で集まるなんてダッセ―と思っていたけれど、今は「家族」が集まるなんてなんて素敵なことだろうと思っている。

サザエさんはわたしの憧れの女性のひとりだ。

若いころ、散々「わたしはみんなとは違う」ことをアピールしたくて、アメリカにかぶれてみたり、ヒップホップが大好きになったり、英語が話せるようになったり、黒人の男たちと寝てみたり、もっと若いころにはグレてみたり、女だらけの学校ヒエラルキーをバカにしてみたりしてきた。

ちなみに、昔憧れていた女性はビヨンセだ。

今振り返って思うこと。私がなんだかフェミニズムを主張したり、反骨精神旺盛で”一匹狼”ぶりたがったのは、本当は憧れている”大家族”や”コミュニティ”に属することができなかったから。みんなと上手くやれなかったから、うまくやれる自信がなかったから。

今年産まれて3か月になる息子とアメリカから2人で帰国し、お盆に参加、普段会わない親戚たち、血は繋がっているけれども今何をしているのか何が好きなのかどんな人かを知らない”家族”たちと過ごして気がついた。

ああ、私は「グレーでもいいんだよ」と世界に伝えるためにこの世に生まれたのかな、と。

大げさかもしれないけれど、この家系に伝わる「完璧主義」「白黒ハッキリ」「職業で差別する」「その人の中身ではなく世間体が大事」「きちんとしなくてはならない」というような、

その人をその人として愛するのではなく、「なにをしたか」でジャッジする体制、「何者か」になっていなければ「恥」という体制をここで止めるために産まれてきたのかもしれない

そんな風に思った。

我が家系は代々医者家系だ。母方も父方も。

地元の名士で資産家、医者。

結構厳格な家系。

厳格だからこそ、あたたかいこころの交流がある「サザエさん一家」のようには決してならなかった。家族の中には心理的距離が常にあった。幼い日々、家族が「あたたかい場所」と思ったことはなかった。

私はアメリカで心理学を学び、大学院ではセクシャリティを研究したけれど、その学位を使って「何者」かにはなっていない。

だから母は親戚に「アメリカに行ってすごいですね、娘さんは何をしているんですか?」と聞かれると気まずそうにする

私が「学者」だとか「臨床心理士」だとか、わかりやすく人に自慢できる職業についていないから。

「すごいですね」と言われる「何者」かになっていないからだと思われる。

私はそんな風に「何者かになっていない子どもは恥ずかしい」と思うような、白黒はっきり、完璧主義、子どもをそのままの姿で受け入れられない、機能不全家族の歴史をここで終えるために

アメリカくんだりまで行って、学位を2つも取って、黒人と結婚して、モラハラ関係になってそこから逃げて、日本人と再婚して、母親になり、今やっと自分のアイデンティティを手に入れたように思う。

私はただ、私のこのままの姿で受け入れられたかった

「何者」かにならなくても、愛されたかった

それだけだった。

34歳、ここまで長かった笑

お盆の話に戻る。

叔母たちが語る私の祖父や祖母の話を聞く。

戦後の厳しい時代を生き抜き、
財を築いた先代たちには頭が上がらない。

自分の両親の生い立ちや若い頃の話を聞く。

家族で家族の話をする。

私が小さかった頃の話を聞く。

そして新たに誕生した家族である、我が息子を見て、皆が「かわいいねぇ」と目を細める。

そんな風に目を細めて息子を見ている皆を見ていると、少しずつ皆、顔も似ていれば、言動も似ている。

そんな風に過ごしていると、自分のルーツを感じずにはいられない。

そして、両親に対しても

「こんな風に育ったなら、
私をあんな風に育てるのも無理ないな」

そんな風に感じる。

家族の歴史、受け継がれてきた歴史を感じる。

でも、私は、それをここで止めたい。

医者として沢山の人々を救っただろう、そして家族が飢えぬようしっかり財を築き、守ってきた先代たちをリスペクトしながらも、止めたい流れがある。

職業でその人をジャッジする家庭

厳格で、「大好きよ」と愛を伝え合うのではなく、

「きちんとしなさい、恥ずかしいだろ」と言ってしまうような家庭

「きちんと」していなければ「ダメなヤツ」という烙印を押されてしまう家庭

「自慢できる職業」に就いていなければ「恥」になってしまう家庭

それを、私はここで止める。

白黒ハッキリつけたがる、いいか悪いかをジャッジしたがる風潮を止めて

グレーの大切さを伝えたい

自分の息子には、あなたが大切で、

あなたが笑っているならばそれだけでいい、と

I love you for who you are. You don't have to be "Somebody." Just be you.

それだけを、伝えたい。

それだけ伝わっていれば、子どもは育つ。

沢山失敗して、沢山笑って、沢山挑戦して欲しい。

白黒はっきりつけないで。

#好きな日本文化

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