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私がアメリカで15年過ごした理由

”アミヨキノカバーヲオカケシマスカ?”

まったくもって、聞き取ることができなかったので、もう一度お願いしますと頼んだら、

”アミヨキノカバーヲオカケシマスカ?”

とまた言われた。

網除けのカバー? と聞こえて、私はなぜかそれは虫除けのカバーのことだと認識し、何を言っているのだこの人は、と思いながら、大丈夫です、と知ったかぶって答えた。

するとそこで初めてお姉さんが、片手に紙袋、もう片手に紙袋にかけるためのビニールを持っていて、そのビニールをテーブルに置こうとしていたのが見えて、

あ、すみません、やっぱり

雨除けのカバーをつけてもらえますか!!!!(焦)

と私は言いました。


「雨除けのカバーをお付けしますか?」

を聞き取ることができなかったのだ。


私は生後3か月になる息子を日本の皆さまにお披露目するため、そしてグリーンカードをやっと取得したので*、久々に日本に一時帰国している。

気がつけばアメリカ生活が長くなり、もう15年近くになる。

あの日私は、お友達のおうちへの手土産にシュークリームとケーキを買いに行った。そして天気は、雨。

ケーキ屋さんで注文をしたのだけれど、ショーウィンドウの背が高くって(私身長147センチ)、お姉さんの姿もよく見えず、「雨除けのカバー」を手に持っているのも見えなかった(言い訳)。

そして何より、日本に「雨除けのカバー」なるものが存在することを完全に忘れており、「雨除けのカバー」というコンセプトが抜け落ちていたために、何を聞かれているのかまったくわからなかったのだ。

そんな自分が、おもしろかった笑

日本には、雨の日に買い物をすると、紙袋に雨除けのビニールをつけてくれるんだったわね。

アメリカは過剰包装の国として知られているけれど、日本もなかなか過剰だ。

コンビニに行ってプリンを買えばプラスチックのスプーンをつけてくれるし、紙パックの飲み物を買えばストローがついてくるし。

Do you need a bag? と聞かれることなく、スーパーではプラスティックの袋を渡される。

でも、日本のそれは気遣いのそれであり「過剰」とは感じないから不思議


私は元々アメリカに憧れた黒人男好きで日本文化や日本人を否定するアメリカかぶれの女でした。

久々の日本で日本語が聞き取れなかっただなんて、「アメリカ生活が長くって~、日本の文化についていけないぃ~」と昔の私だったらかぶれるポイントなのですが、今回はマジで、かぶれでもなんでもなく、とにかく毎日が新鮮でたまらない(だって何ならもうアメリカ引き上げて日本に帰国したいし笑)。

少し混雑した初めて行くカフェで、若い店員さんが、

オツギオマチノオキャクサマオクノレジデオウカガイシマス

と私のほうを見て言っていたのだけれど、ここでも一体何を言われているのか理解できず、「え?」という顔をしたら、同じことを繰り返された。少し考えてから、

ああ、オマエはこっちのレジへ来い、という意味ね。


「お次お待ちのお客様、奥のレジでお伺いします」

と私は言われていたのだ。

やっと動いた私に、若い店員は苛立っていた様子だった(笑)

そりゃ何度言っても動かない客がいたら苛立つよね。

でも、私はマジで、音として聞こえていたけれども、文を認識できなかったのだから仕方ない。

レジ、って久しぶりに聞いた単語だし。

若い人がこういうシーンで使う日本語は、たまに丁寧語を無理して駆使しているのでわかりにくい。

私の夢は、長いこと

黒人と結婚して、アメリカ人になって、日本とアメリカ両方の国で半分ずつ暮らすこと

だった。

一度目の結婚はアフリカンアメリカン(黒人)だった。もはやアメリカ人になりたいとはまったく思わないけれど、アメリカで永住権も取得した、子どもはアメリカ生まれのアメリカ市民となった、そして今、子どもをお披露目するという名目で、夫は私を日本へ4か月間も送り出してくれた。

まさに、1年のほぼ半分を日本で過ごせているという状況。これからもこのライフスタイルを続けることができるか否かはひとまずおいておいて、

すべての夢が、叶ってしまった

夫にはしばらく頭が上がらないかもしれない。


日本に居た時は、「こんな閉鎖的な文化にいたくない!私は自由に生きる!」とアメリカへ飛び出した。

アメリカ生活が長くなると「日本人返り」が激しく、日本は本当に素晴らしいと日本を崇めている状態。

きっと私はどこにいたって、その土地、その環境に長く居続けると、そんな風に文句を言い、感謝を忘れてしまうのだろう(苦笑)

今日は地元を散歩。通った小学校、中学校、その周辺、子どもの頃の思い出が詰まったスポットをベビーカーを押しながら写真を撮りまくった。

ずっとこの土地「地元」にとどまっていたならば、この土地にこんなに感謝することなく、ここは生活の土地となり、写真を撮りまくったりはしなかっただろうし、「ああー、私ずっと地元にいるよ、さすがにやばいよね、世界狭っ!」と自分にツッコミを入れていたことは間違いない。

日本のすばらしさを実感できるのも、地元にいることのすばらしさを実感できるのも、アメリカでの刺激を楽しめるのも、

2つの文化を行き来できるからだ。

比べることができるからだ。

どちらの文化も知っているからだ。

こんなにありがたいことはない。


私は、自分が生まれ育った環境・場所、家族、友人、日本に

すべてに感謝するために


これまでアメリカかぶれて否定してきた

日本人の在り方、日本文化、地元、狭く生きること、普通に生きることに

すべてに感謝するために

「HOME」があるしあわせを噛みしめるために

わざわざ苦労して

アメリカで15年近くも過ごしてきたのかもしれない



*私はアメリカで、10年ほど付き合ったアフリカンアメリカンの男性とやっと結婚したものの1年と少しで離婚しました(というか”モラハラ”地獄の生活から逃げました)。結婚を通して申請したグリーンカード(2年間条件付きグリーンカード(永住権))を10年ものに切り替えるのに数年を費やしました。永住権が確定するまでアメリカを出ることができず、およそ3年ぶりの待望の帰国です。現在は日本人と再婚、1児の母。

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