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ほんとうのフェミニズム

あなたたちのがんばりを、どうぞ自分が勝ち抜くためだけに使わないでください。恵まれた環境と恵まれた能力とを、恵まれないひとびとを貶めるためにではなく、そういうひとびとを助けるために使ってください。そして強がらず、自分の弱さを認め、支え合って生きてください。女性学を生んだのはフェミニズムという女性運動ですが、フェミニズムはけっして女も男のようにふるまいたいとか、弱者が強者になりたいという思想ではありません。フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です。平成31年度東京大学学部入学式 祝辞より

少し前に、上野千鶴子氏の東大でのスピーチが話題になった。

私がアメリカにやってきたのは大学生の時で、20歳前後の私はその頃アメリカで出会った「ジェンダー」だとか「セクシャリティ」「フェミニズム」というアイディアに夢中になった(そして後にsexuality studiesなるマイナーな分野で修士号を取ってしまった)。

興奮したのは、それまで「女であることの生きづらさ」を確かに感じていたのに、それをなんと呼べばいいのか、それに名前があることを知らなかったから。

「フェミニズム」という概念を知ってから、私はその概念を女である自分を「男よりも強く」するためのものとして使ってしまった。

つまり、間違った使い方をしてしまった。

男を攻撃することで、男を貶めることで、男なんてと男を見下すことで女をあげようと頑張ってしまった。

具体的には

「日本の男なんて、アメリカの男に比べてダメね。全然セクシーじゃない」とアメリカかぶれてみたり、当時流行っていたSex and the Cityの影響で「男のようにセックス」してみたり(要は沢山の男と寝た)

とにかく強くなりたかった

力が欲しかった

男に頼らねば生きていけないオンナにはなりたくなかった

だってそれは「弱さ」だから。

自立すること、男に甘えないこと、自分の意見をはっきり言うこと、自分の意見をはっきりさせるために対立する考えを攻撃すること、自分と違うものを否定すること、「協調」や「和」を重んじる日本を否定し「個人の自由」を尊重するアメリカを絶対のものとして過信すること

それを私は「フェミニズム」として捉えていた

それは真の「自立」とは程遠く、常に「男」という比較対象がある上での「フェミニズム」だった

競争相手としての「男」がいなければ、男に認められなければ成り立たない「フェミニズム」だった

ガミガミと声を荒げて「女の権利」を主張していたこともあった

小さなことに目くじら立てて、「それは男尊女卑だ!」とか叫んでいたこともあった笑

でも今は、

笑顔でいる女こそ、真のフェミニズムを実践している

笑顔でいる美しい女に敵う者はいない

そう思っている。

昔の私であれば、例えばにこにこ男の言うことを聞いて、男を立てる女を見つけては、「ねえ、そんなんでいいの?悔しくないの??だから日本の女はダメなんだ」なんてその女を責めたてていただろう笑

でも、

女性のやわらかくやさしい笑顔

女性が「うんうん、そうだね」と
やさしく話を聞いてくれること

女性が赤ちゃんを上手くあやす姿

女性が「会えてうれしいよ」と笑顔で迎えてくれる姿

女性がおいしいごはんをつくって待っていてくれること

女性がこちらを想ってプレゼントしてくれること

女性がこちらを気遣ってくれること

そのような「女性らしさ」のすべてに、私はどうしようもない敗北感を感じる。

女性ならではのうつくしさ、やさしさ、やわらかさ、しなやかさを感じた時「嗚呼、この女性(ヒト)には敵わねえ」と私は降参してしまう。

女性らしさを否定することで、私は一体何に勝とうとしてきたんだろう? 

男を批判することで、誰に何をそんなに勝ちたがっていたのだろう、と。

子どもを産んでから余計に、頼りになるのはいつも女性で、私を癒してくれるのもいつも女性で、ちょっと話を聞いてもらいたいと思ったときに浮かぶ顔は残念ながら夫ではなく信頼する女友達の顔だ。

女性が一緒に笑ってくれること、泣いてくれること、味方でいてくれることの心強さと言ったらない。

うつくしい女性がひまわりみたいに大きな笑顔を浮かべるだけで、周囲にいる人はみんな元気になってしまうだろう。

少なくとも私はそうだ。

気のおけない女性が、
満面の笑みで迎えてくれる瞬間がたまらなく好き。

きちんと生きている女性がつくりだす心地よい空間は
安心・安全の象徴だ

”フェミニズムは弱者が弱者のままで尊重されることを求める思想です”

上野千鶴子氏はそう言った。

その意味が今、痛いほどわかる。

「女性」という「弱者」、「弱者」という「女性」

男と比べて上下・勝敗をつけることではなく

女性の女性らしさがそのまま尊重される

女性が女性のまま尊重される

そんな社会であるように、少なくとも私の周囲の世界はそうであるように、私の子どもの育つ場所は、そんなやさしさが沢山溢れる場所であるようにと願っている

女性らしさは弱さなんかではない

女性らしさの持つパワーを、私はもっと感じていたい

女性の笑顔、やさしさ、しなやかさ、思いやりの気持ちに包まれていたい

だってそれは私に力をくれるから。

よし、また頑張るぞ、って思わせてくれるから。

笑顔の素敵な美しい女性ほど
私が尊敬し、力を感じるものはない

だから私も

自分の自己ベストな美しさを保ち、

人々を笑顔で受け入れる女でいよう

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