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誰かを責めても何も変わらない

先日、私は生まれて初めてモデル事務所に足を踏み入れた。
息子がやってみたいというので、モデル事務所を探し、コンタクトを取ったところ、面接の案内が届いたからだ。
ところが当日面接に行くと、手違いで他の人の撮影がすでに行われていた。

事務所の誰とやり取りしたかを確認するために携帯で探す私、心の中では、旦那さんにしてもらえばスムーズにいっていたかもしれない…などと考えていた。

その瞬間、
「近所だし、いつでも出直してきますよ」という息子のひと言で、ハッと我に返った。

確かに、何時間もかけてやってきた訳ではない。予約を取り直しすればいいだけの話だった。
撮影の途中を抜けてきてくれたカメラマンと息子の気持ちの良いやり取りを、私はただただ隣で眺めていた。

恥ずかしいことに私は『なぜ』そうなったのかに焦点を当てていた。
しかし、息子は『どのように』すればいいのかを考えていたのだ。

起こってしまった事実は変えられない。
自分、または誰のせいでそうなったのかを追求し責めても、何も変わらない
時間の無駄でもあるし、責める側も責められる側も、嫌な思いをするだけだ。
そうではなく、起こったことを受け入れ、どのようにすればいいのか、解決策を見つけることに時間を使ったほうが有効である。と同時に、お互いの心にも健康的なはずだ。


別れ際、カメラマンに
「撮影の途中、邪魔して悪かったね」とひと言添え、笑顔で握手をする息子を見ながら、子どもの成長を改めて感じた母であった。

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