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ドイツの小学生デモにみる「親の覚悟」

2018年9月8日(土)ハンブルグにおいて、デモが行われた。
このデモの発起人は、7歳の男の子である。
彼は親がスマホばかりに目をやり、自分と遊んでくれないことへの不満をデモという形で表現した。

"Spielt mit MIR! Nicht mit Euren Handys!"
(僕と遊んでよ!スマホとじゃなくて!)

このデモを3つの異なる観点から見てみよう。
1つ目「子ども」はこちらから。⇩

2つ目は「親」の視点から見ていこう。

さて、子どもが突然「デモをしたいんだけど」と言ってきたら、その瞬間どんな反応をするか考えてもらいたい。

「子どものやりたいことをやらせたい!」

と思っていても、「え、ちょっと待って…」と、やはり戸惑う親が多いのではないだろうか。

何事にも挑戦してほしい!
好きなことを極めてほしい!
好奇心旺盛に育ってほしい!

そう願っていても、「デモはちょっと…」と、感じるのではないかと思う。

「英語を習いたい!」
「ピアノを始めたい!」
「サッカークラブに所属したい!」
だったら、笑顔で首を縦に振れる。

しかし、それが
「デモをしたい!」
「ゲイとして生きていきたい!」
「学校に行かず家で勉強したい!」
となると、話は別だとはならないだろうか。


子どもたちの興味や才能は親と異なることも多い。
DNAや育つ環境によって、左右する場合もあるが、子どもたちは親とは別の人間である。
趣味も違えば、好みも異なる。世代も変われば、価値観だって相違する。

子どものやりたいことが、
親にとって理解できないこと、
世間体が良くないこと、
世の中の常識から外れていると感じること
であった場合でも
「子どものやりたいことをやらせたい!」を貫けるだろうか。

今回のデモ発起人エーミルの両親は、デモを行う上で、子どもを守るためにマスコミの制限をしたり、facebook上でデモの告知を手伝った。
しかし、デモはあくまでエーミルのものとして、自分たちが前に出ず、サポート側にまわることを心がけた。
まあ、訴えられている張本人なので、前に出るわけにもいかなかったが…

子どもたちの可能性は無限である。
それを狭めてしまっているのは、私たち親かもしれない。
日々の親からの何気ないひと言により、可能性の枠が徐々に小さくなってしまうこともある。

「そんなの恥ずかしい!」
「やっても意味がない!」
「失敗したらどうするの?」

もしかしたら
「えっ?!」
という些細なリアクションの積み重ねが、思いがけない影響をあたえているかもしれない。

もちろん、親は子どもの枠を狭めるために言っているわけではない。
心からそう思っているから、言葉にしただけである。
ただ、それは親が自分の価値観の中だけで判断しているにすぎない。

子どものやりたいを安全に、且つ友好的に、親として協力していくために必要なもの、それは親の覚悟ではないだろうか。

どんな状況でも、親として、子を支え、見守るという親の覚悟


その親子関係で培われる揺るぎない安心感が、子の自立を促し折れにくい心を育てていくのではないかと思う。
いま一度、自分自身の親の覚悟を見直してみたい。

最後は、「子ども」「親」に不満をもたらした「テーマ」にふれていこう。

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