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山陰の天気(2)大雨

 まるで九州・中国・近畿の上空が太平洋上と同じように大きな雨雲を伴った台風を次々にさせて発生させたみたいだった。7月3日から中国地方は雨が続いた。5日からは大雨警報が出っぱなしだった。薬がきれないうちに病院へと考える人は西日本に多かったと思う。しかし出るに出られない雨だった。
ついに私も6日朝病院にいった。そのロビーで、1995年前後でおきたオーム真理教事件の首謀者と幹部の処刑が行われたTV画面に釘付けになる人々を肩越しにぼんやりと眺めた。窓の外で大きな音をたてた雨がたえまなく降っている背景がうつろだった。会計も終わり、薬局に行くと、またTVはこのニュース。雨はもっと激しくなっていた。
 23年前の事件・・・多くの方々が巻き込まれた地下鉄サリン事件の日、私は都心にいた。午前中にクライアントを数軒回り、埼玉県和光市の会社に入ったら、どこにおられましたか?と青い顔した担当者に冒頭聞かれ、都内ですけど・・・と答えたら、大丈夫だったんですね、あなたの会社からも電話が入っているし、携帯は?と聞かれ、電源をいれたら、着信あり表示だった。知らないということは呑気なもので、起きたことの重大さや私のスタッフ、クライアントの担当者の心配など想像もつかなかった。居合わせた薬局の画面だから勝手に切るわけにも行かず、ぼんやりとあの日を思い出す。西日本へのニュースではないなーーと思う。雨はやまない。
 被害が出ないように、と祈る思いだが、広域にわたる西日本が大好きと言わんばかりで、居ついてしまったような雨雲。自分の家も気にしながら福岡の娘や兵庫の友人宅に同じ条件の気象の心配で電話するなんて、かつて経験はない。線状降水帯という雨雲は私にいわせれば「戦場」降水帯だ。市役所から配布されるハザードマップによれば、避難所は我が家より低地で、一級河川の近くの公民館。近所の人を誘って我が家にいたほうが水に流されない、と主人と、話した(笑)。

 帰宅しても雨が続く。例の弁当忘れても傘忘れるな!の山陰は、中国山地を越えると瀬戸内側とがらりと気候が変わる。岡山県、広島県が好天でもこちらは雨なんてショッチュウ。でも今回の雨はそちらがひどい。
 これは広域激甚災害だと私は早々に思ったけれど、中央政府の記者会見は23年前のことだけ。7日12時20分にやっと総理の発言。救出に対応する指示を出したと。総理の票田は山口、次期総理かもしれないK氏は広島、愛媛にもお友達の議員がおられるでしょ、と余りやりたくないけれど、画面につっこみを入れた。7キロ離れた友人に電話した。近くで崖が崩れたと知る。広島の友人にお見舞いメール送信。お返事を頂く。高速道路が閉鎖され一般道は大渋滞とのこと。
 8日当地は降り止んだ。今度は南九州と四国と岐阜で川が氾濫し土砂崩れのニュース。買い物に出たら野菜と鮮魚コーナーは品薄。この光景は東日本大震災のときのお台場のコンビニと同じだった。

 「夜遅くなったら足元も危ういので二階など高い所にいて下さい」の行政無線もあったけれど、被災した人はあっと言う間に2メートル以上の水が押し寄せたと話す。5メートルの堤防を水が一瞬で越えたという話も聞く。50年に一度の経験したことのない雨というフレーズが繰り返される。こうした貴重な人々の言葉や周辺情報のデータベース化を急いでほしい。どっかの役人の息子さんの入試結果に手心を加える事件より優先してほしい。避難のタイミングはとても難しいから。

 9日の今日は日がさしてきた。
 浸水し、土砂が押し寄せ、住宅がつぶれ、流され、被害にあわれた方々に心をこめてお見舞いを申し上げたいと同時に、これからこそ、経験したことがない延々と続くだろう復旧という作業がまっていることを政府(=大本営)は理解して下さるだろうか。

ゆうこの山陰便り №208
 

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