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大地の恵み(5)梨

【美人を花に例えると何?】

  平地で桜の花が咲き始めると歩いて見て回るが、やがて忘れられたような山の斜面に立つ桜を目にして自然の大きさや強さを感じる。古くから人里離れた場所に1本たっている桜の木の根元には何やら怖いものが埋められていると言い伝えられていて、いったい誰が言い出したのでしょうね、と思う。こんなことを想像するのは「高嶺の花」という言葉を思い出したから。手の届かない場所にある美しい花、いったい何の花なのでしょう、というと傍らの誰かさんは、花じゃない女の人さ、とかえってくる。でも、私は百合?バラ?ぼたん?と思いを馳せてしまう。少なくともチューリップではない、チューリップが好きな人はギャンブラーでお店の人と結託すればすぐに手に入りそうですもの。胡蝶蘭は蘭の女王様だから高嶺の花だといいたいけれど大抵温室で栽培されていて足元に置かれた鉢の中にあり高い嶺に生息していない。菊の大輪といいたいけれどこのところ、いやというほど続いたお葬式に登場する花で何とも複雑な気持ち。

「君はバラより美しい」とおだてられても(本当はおだてられたことはない)「綺麗な花にはとげがある」という言葉が隠れていて美人の代名詞にしたくない。

女の人だと考えると「ゆりこさん」「ゆりさん」「さゆりさん」などという名前の人と結婚した人は高嶺の花を手に入れたことになりそう。バラ子さんだと内部告発されそうだし、ぼたんチャンはかけ違いに後から慌てそう。

 こんなとりとめのないことを考えたのは、気温の低かった先週に咲き始めた桜を見に行ってのこと。大勢の花見客が繰り出していたけれど花は満開とまでいかず、「枝もたわわに花が咲いてこそ花見だ」とか傍らでブツブツ繰り返される始末だった。「せっかく、出てきたのだから文句を言わずに見て歩きましょうよ」と思ったけれどどうやら花より団子だったよう・・・

屋台を覗いてタイヤキを買い、食べながらの花見と相成った。

 数日後山陰の桜も満開。美人がどうした、高い場所に咲く花は何なんだとこだわることも忘れお花見のはしごをし、ようやく落ち着いた。そして今日、山の斜面の花に気がつく。梨の花だ。

 山陰にやって来た1年目は梨の花が終わっていた。

2年目は梨の花がさいているのに気づかず、今年、見事に咲く梨の花を写真に撮ることが出来た。撮影しながら枕草紙では梨の花は「まったく風情のない花だ」とこき下ろされていることを思い出した。調べてみると中国の詩人・白居易は、楊貴妃が梨の花のように美しいと讃えていた。

ぎょくようせきばく なみだらんかん りかいっし はるさめをおぶ

玉容寂寞 涙欄干 梨花一枝 春帯レ雨

(「美しい玉のような容姿だが顔は淋しげ、涙をはらはらと流す彼女はまるで一枝に咲く梨の花だ。春の雨にぬれている。楊貴妃を失って悲しむ玄宗皇帝のために、仙界より呼び寄せた楊貴妃の姿をえがいた長恨歌)

みいつけた!

高嶺の花は(私の結論では)梨の花だ。もちろん平地にも梨畑はもちろんあるが、山の斜面にも梨の木は植えられていた。花は純白で可憐で美しい。そして大昔の唐の時代に楊貴妃に例えて梨の花をうたった詩人が存在した。


山陰はこれからつつじが咲き、大根島(中海の中の島)で牡丹が、大山の麓で藤が、伯耆町の花回廊ではオランダからやってきたチューリップも咲きそろう。忘れず“高嶺の花”も。

夏の終わりにみずみずしい梨が出荷される。

ゆうこの山陰便り NO.36 加筆修正

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