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ミステリアスめんどくさい

Twitterを始めた当初、まだ人との交流が活発でない頃、私はずっと疑問だった。
「お腹空いた」「暑い」「疲れた」などの、ひと言ツイート。人はなぜそれを、全世界へ発信するのだろう?Twitterを開いて、文字にして、ただそれだけを。

「ちょっと早いけどお腹が空いたからラーメン食べちゃった(写真)美味しかった!とんこつ好き!」
「疲れたので久しぶりにマッサージへ行ったよ〜(URL)疲労に効くアロマ教えてもらった(写真)」
などの行動を伴った投稿の方が好きだ、日記としてつぶやく意味を感じるし、会話のきっかけにもなりやすい。「お腹空いた」の時点ではつぶやかず、せっかくSNSに発信するのだから、何かしら価値(情報や面白味)のある形まで昇華したらいいのに。
そう思い込んでいた。

多くの人と交流できるようになってようやく分かった。価値なんて考えるのは、とんでもなくナンセンスだった。
実生活で交流したりすれ違ったりする人々は、頭の中で何を考えているかが分からない。
Twitterはその点、「今、何を考えているか」が可視化されている。道行く人が「おなかいっぱい」「明日は休み」「これから帰る」などのプラカードを付けて歩いているようなものだ。何を考えているか、分かる。
分かると、なんと言うか、安心する。自分を隠さずオープンマインドな感じで、取っ付きやすいから。

情報や面白味をバンと提示した完成度の高いツイートよりも、気分をポンとつぶやいただけのツイートの方が、親しみを抱かれやすいとも感じた。
前者はオチが既に付いている、ツイ主の中である程度自己完結しているがゆえに、読んで「そうなんだ〜」「面白〜い」って♡を押すだけか、関心事に当てはまった場合のみ長いリプライを付けたくなる。対話に発展する。
後者はシンプルかつ、人間なら誰でも共感する事柄だ。短いリプライも付けやすい。共感しやすく取っ付きやすい、交流の糸口としてとても機能的な発信だったのだ。
だから、Twitterで人と親しみたい、話したい、誘われたい、そんな人は誰かの"気分ツイート"に反応したり、自分もささやかなことを短くつぶやく頻度を高めるのもひとつの有効な策だと思う。

スモールステップ、単純接触効果、様々な言い方があるが、そういった気軽な反応と発信の積み重ねが、人との間に安心や信頼、親しさを築く。
そうして親密になった先に、ディープな趣味や真面目な語りツイートにも反応が来るようになる。

何が好きなのか、何を考えているのか、何をしたら嬉しいのかが分からない、ミステリアスな人は確かに一定の魅力はあるものの、コミュニケーションにおいては他者への負荷が高い。
自己開示をするのは、すごいと褒められるためでもないし、個人情報をばら撒くことでもない。
自分という人間の輪郭を明かして、他者から見たときの解像度を高めるためだ。見やすさは、親しみやすさに直結する。
役に立つとか面白いとか、カッコイイとかステキとか思われなくても、人と人とはナンセンスに繋がって仲良くなれる。

いま私はTwitterで、知り合いの「おはようツイート」を見るのが嬉しい。
自分に話しかけられているわけではないけど、この人は「開いてくれている」と感じるからだ。

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