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越-1文化行為のやりやすさ

ベトナムの土を踏んでから7日が過ぎた。目まぐるしい道路は幾分か慣れ、一畳間のふかふかな居住空間にも馴染みつつある。
旅の終わりのレポートに繋がりそうな事象をここに残す。

①サブカルのやりやすさ

おそらく日本的なものはベトナムではやりにくくて、ベトナムのサブカルの形は日本と根本から異なる。

うたがわが好む日本的サブカルは、反逆的、辛さや心の醜さが強く濃縮されたもの、衣装のような爆発が見られるファッション、その人特有の時間が流れる…といった傾向にある。さいあくななちゃん、カオスちゃん、最近GEZAN沼に足を取られて無事沈んだ。

こうした要素を持った創作、とりわけ反逆要素をベトナムのサブカルで取り入れることは、最終的にベトナム共産党の一党制に対峙することになる。

反抗の対象が家庭や日常に関するものなら問題ないだろうか。否、ある程度の手数と心を賭けて注目に値するものを作れば、「秩序を乱す可能性がある」という理由で行政からなんらかの措置が取られてもおかしくない。

ホーチミンの銅像前に政府の制服を着た監視員がいるし、街のあちこちにピッケルと鎌の旗がひらめく。

圧力を吹っ切ることがレジスタンスを含んだ創作の基本だ。ただ、政治と人の距離感がベトナムのほうが近いこと、家父長制システムがより強いことを加味すると、ベトナムでは強烈な個性を持ったサブカルは生まれにくいような気がする。気軽さが違う。

ファッションにかける金額の限度も異なる。
ではベトナム的サブカルとは何か。
ネットで解決できそうな気もする。

ここでは仮置きし今後も考察を続ける。


②現代日本人のアジアに対する解像度

低い。私が東南アジアの国を未だあまり絞らずに知りたがるのも無理はない。

EU圏の国々を見る時、各国の特徴がなんとなく浮かぶだろうか。建物の特徴、言語の音、歴史のこと。小学校でならった世界の挨拶はヨーロッパ系がほとんどだったし、現代なら西洋的な家で育った人が多いはずだ。
近隣国との違いも、ASEAN諸国よりEU諸国の方が比較的詳細にわかる。

まして私は12年間バレエを習い育ったので、西洋的な美的感覚に強く影響を受けている。中学生になって身長と骨格の差に絶望した時に自覚した。アレー

現代の日本人は欧米圏の文化に多く触れてきたため、無意識レベルを含めたアジア圏の国々の解像度が低い。加えて一国あたりの民族の数が多く、国のイメージの捉え方が欧米のそれとは異なる。まだ言語化はできない。

終戦から現在までの距離の近さも違えば、建物の風通し、環境に合う声量、スタイルも違う。

僕は自分の想像以上に日本は西洋的な空間にあって、その中で生きてきたのだと気づいた。

この旅ではこれらを欠点としてみなさず、そこにあるもので何ができるかということを考える。

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