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我が家の庭の風景 part.56

春眠暁を覚えず

処処啼鳥を聞く

夜来風雨の声

花落つること知る多少ぞ
「春暁」孟浩然

かつては上記の詩を誦じられた。
書こうとして、二行目が出て来なかった自分に愕然とした。

春眠暁を覚えず。
我が一生は永遠に暁を迎えずか。

そんなことはさておき。
不眠症なのに起きられない。
いや、やっぱり起きている。
猫に突き動かされる。
少し離れた場所で呼び出しをかける猫。

「起きなさい。ごはん(の時間)ですよ」

猫が自分でごはんを調達出来たらわたしは万年寝太郎だったかもしれない。猫がごはんを催促する動物でよかった。

春になり、より早い時間から猫が朝庭を眺めている。
ラナンキュラスを追加した。
蕾が膨らんでいく様子が猫にも不思議なようだ。
三毛のセミ猫は生臭いものが嫌いである。刺身は湯がいても食べない。またたびは鼻息で飛ばす。
人間も生臭にしておかない。
起こす。
春は特に寝ていたい人間と寝かせたくない猫の戦いだ。猫はより暖かい昼間に寝たいのだ。昼寝の誘惑とも戦わされる。

徹底的に臭いものが嫌いなセミ猫は芳しい花が好きである。膨らむ蕾にすりすりツンツンしたいようだ。
ラナンキュラスはセミ猫が咲いた花の茎を折りそうだから玄関にもおけない。

届かない花を窓越しに眺めながら爪とぎの上でうとうと微睡む猫。
とても幸せそうである。
時折同居人の猫や人間にちょっかいをかけられなければ、平和な顔をしている。
寝ていたい時に触るとうにゃうにゃ唸る。
唸りに迫力がない。春の眠りが猫は深いようだ。

優しい春雨を感じると猫は不思議そうに窓を叩く。トントン優しい音がする。猫と雨の共演。

猫は雨の日は体がだるくなるらしい。わたしと同じだ。食欲もなくなる。けれども、セミ猫は雨を見るのが嫌いじゃない。
またたび嫌いの猫は雨が好き。

同居人のトンボ猫は雨より晴れた日が良いようだ。窓の外の世界には相変わらず興味が薄いが、晴れた日は窓辺で日向ぼっこするようになった。

二匹になって8ヶ月。
相変わらず寄り添わない。
寄せ植えの難しい花みたいに感覚を空けて座っている。
陽当たりのいい場所は早いもの勝ちだ。
セミ猫は自分の居場所を取り戻すのに積極的でない。奪われても奪うことを知らない。
トンボ猫は奪うことが習慣づいている。
飼い猫らしいセミ猫に平和というものを学ぶ春。
食べ物は他からもらうもの。いただきもの。奪うことはない。盗られても怒らない。悲しいだけ。花を見て怒りを治める。
怒りが治らない時は、餌の供給源の人間に訴えればいい。
起きろ。
お腹が空いた。
今は眠い。
花を見ているから、邪魔するな。
セミ猫は一年中花見をしている。
花見猫と花見人間の暮らし。

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