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【小説】木馬を操る猿 ②

リリー日記 2.お見合い


毎日つけるつもりだった日記だけれど、ずいぶん間があいてしまった。
3日坊主の性格は転生しても変わらないみたい。
書きたいことはたくさんあったのに、なんでだろう。
日本語で書くこの日記にしか自分の本音は残せない。
やっと王都を離れられる。
それだけでほっとする。
仲の良い友だちなんて一人もいないし、出会うのは前世の小説で読んだ小説の登場人物ばかり。イレギュラーは悪役令嬢が虐待していた猿のノボルだけ。
この国に滅多にいないニホンザルのノボルを私が虐待するなんてありえない。名前だってつけた。
とはいえ、私=悪役令嬢リリーの交友関係は限られている。
まず父のブルーノ・サリモンテ公爵。
母のビオラ・サリモンテ公爵夫人。
この二人は悪役令嬢の両親なのに、全く毒がない人たち。
少し惜しいのが、クマザルツ公爵令嬢のマグノリア。彼女はこの物語のヒロインで、少しは交流を持ちたかったけれど、慎重派でサリモンテ公爵家の人間とは一線を引いているようだったから仕方ない。
毒があるのは皇太后ローズマリー。この人は明らかにリリーを悪役令嬢に引きずり込もうとしているから要注意。
さらに厄介なのは、このギッレ国の王子たち、亡き王妃リエナの子第一王子ユリウスと側妃アマリリスの子第二王子ルキウス。
ユーリー王子は母親が厄介な上、悪霊にで取り憑かれているんじゃないかというくらいトラブルに巻きこまれる。ルキ王子は野心家で他人のものがほしくなる性格で、私とマグノリアとどっちも手に入れようとするんだけど、二兎を追うものは一兎も得ず。結局、マグノリアはトネコリ伯爵令息ベルゲンと恋に落ちるのだ。
まあ、そんな前世で知っているような結末はどうでもいい。
自分さえ、濡れ衣を着せられて皇太后ローズマリーに毒殺さえされなければいいのだ。
そのための第一関門をまずは突破したとみていいんじゃなかろうか。

「ユリウス殿下、初めてお会いした殿下を愛称で呼ぶことなどできませんわ」

「ユリウス殿下、このお茶大変苦いですわ。美味しくなくて、ノボルも飲みません。これは私に早く帰れという殿下のお心の表れでしょうか」

「ユリウス殿下、この薔薇、棘がとってありませんわ。ほら、このように私の手から血が出てしまいました。危なくて従者に持たせることもできません」

「ユリウス殿下、ノボルにそのようにお近づきになったら、後悔なさいますわよ?」

皇太后は一体、どういうつもりで孫の第一王子ユリウスとリリーと二人の茶会などを仕組んだのだろう。リリーを王家に入れたくないなら、素直に他の令嬢との見合いの席を設ければよいものをサリモンテは一家総出で王家との繋がりを歓迎していないのに、なぜリリーとの接触にこだわるのか。
おかげでリリー王宮の美しい東屋で、春日に光る花々をそっちのけで王子に不満ばかり言わなければならなかった。

リリーと同年齢のユリウス王子は、まだ成長期前なのか、リリーより背が低いくらいの華奢な少年だった。顔立ちは整っていて、立ち居振る舞いの洗練されたところから、賢そうな印象も受けるが、ちょっと神経質そうにも見えたのはほとんど無表情だったからだろうか。

そんな年齢で茶会の準備を自分で細々と出したはずもなく、かといって全部皇太后が準備しましたというわけにはいかないという分別もあって、リリーが不平を言うたびに「申し訳ないな」と小声で謝罪をするだけだった。

それでも少年らしい好奇心から令嬢が連れた猿は気になったらしく、リリーが止めるのも聞かないまま、ノボルに触れようとして危うく噛みつかれそうになった。

「ノボルは自分から触るのはいいんですけど、人から触られるのは嫌がりますの。狂暴ですから、下手に触ろうとすると指を食いちぎられますわよ」

「そんなに狂暴な生き物をリリー嬢はどうやって懐かせたんだ?」

「成り行き上、仕方なくですわ。皇太后様にいただいた生き物を無下に扱うわけにはいきませんもの。毎日、ごはんを上げておむつを取り替えて、常に連れて歩いております」

そう。まさにノボルとの関係構築はリリーの努力の賜物だ。見る限りノボルもまだ子供なので懐きやすかったということもあるが、食べ物だって最初は何をあげたらよいか試行錯誤であったし、病気になった時を考えて、猿も診てくれるという人間の医師を探さなければならなかった。何せ、中世のようなこの時代に動物専門の医師などいないのだ。

木馬に乗るのも嫌がるので、木馬に車輪をつけただけでなく、背中に籠をつけて、その中に乗せるようにした。いつも木馬を引っ張っているおかげで令嬢らしからぬ筋力がついたのではないかと思うが、それについてはリリーはあまり気にしていない。どう考えたってこの世界の貴族は運動不足だから、猿を連れて散歩するくらいの運動は毎日した方がいいのだ。

「ふむ、犬や猫を懐かせるようなものか」

「犬や猫よりも手がかかると思いますわ。それでももう情が湧いておりますので、私の嫁ぎ先にはもれなくこのノボルがついて回ります。ええ、もう四六時中ずっと一緒におりますから」

リリーが宣言すると、ユリウス王子の従者の数人がこらえきれないというふうに噴き出した。誤魔化すこともせず笑い続けていたが、王子が振り返るとすぐに切り替えて無表情に戻った。

こわばった顔の従者たちとむっつり黙り込んでしまった王子を見ていると、目の前の苦いお茶としょっぱいお菓子にそれ以上手を付けるつもりにもなれず、早く帰っていいと言ってくれないかなあと膝をノボルの毛づくろいをしながら、リリーはすっかり辟易してしまった。

「君は内気な性格と聞いていたが、違うようだな。僕と仮にでも婚約するのは嫌だろうか」

「自分の性格はよくわかりませんわ。けれども、以前も今も王家は怖いです。歓迎していないのに、なぜ呼び立てるのですか。ユリウス殿下も乗り気じゃなさそうですし。私はお暇させていただきます」

「別にわたしは乗り気でないというわけじゃ・・・」

「下手な言い訳はやめてください!棘のある薔薇に気づかないで渡したとでもいうのですか!」

リリーが怒鳴ると、膝の上のノボルも興奮して唸って王子にとびかかりそうになったが、リードで繋いでいたため、引っ張って止めることができた。

王子は呆気に取られた顔をしていたが、「まあ、そうだな」とどこか疲れた表情を見せて、リリーの初めてのお見合いはそれでお開きになった。

それから3日後、リリーは領地に移動するための準備をした。
といっても、大抵のことは屋敷の使用人がやってくれるので、リリーはノボルのために持って行くものを準備するだけだった。1日半もかけて移動するので、ノボルが途中でどこかにいなくなってしまわないかが心配だ。

前日の夜はストレスが溜まらないようにとノボルの好きな果物をたくさん用意した。

「お嬢様、どうしてこの猿はお嬢様からしか素直にご飯をもらわないのでしょうか。お嬢様に命じられれば、喜んで芸をするのに、私たちは何か貢ぎものをしないと、逆立ちも見せてくれないんですよ」

ノボルという大人が背負えるほどの大きさの猿を飼っている公爵令嬢リリーは王都ではちょっとした有名人だ。王宮内では木馬に乗せた猿をいつも引き連れて歩いているので変人扱いされて、遠巻きにされているが、貴族以外の間ではそうでもない。
珍しい異国の猿を一目見ようと時季外れの果物の貢ぎ物はひっきりなしで、街歩きをすれば、お嬢様が仕込んだという猿の芸を少しでも見たいと子供たちの行列が出来て懇願される始末。
おかげで、リリーは常に護衛騎士を何人も侍らせて厳戒態勢で出歩かなければならなかった。その見世物も王都ではしばらくなくなるので、寂しがる人がいるかもしれない。しかし、新しもの好きの世間はノボルがいなくなれば、新しい興味を引く対象に熱狂するのだろう。流行とはそういうものだ。

前世にテレビで見た猿回し芸を見様見真似でノボルに教えてみたところ、殊の外、竹馬に乗る猿が好評だった。使用人たちは食べ物で釣ってなんとかノボルに竹馬をやらせようとするのだが、大抵の場合ノボルは気乗りがせず、リリーの言うことしかまともに聞かないのであった。

「せっかく大好きな果物盛り合わせを持ってきたのに、いらないんでしょうか。・・・まあ、芸をしなくても結局はあげちゃうんですけど」

ノボルにあまり気に入られていない、リリーの専属侍女のハンナはすっかりノボルに骨抜きだ。別段ハンナが命じなくてもお嬢様に頼めばいつでも、ノボルの竹馬芸は見せてもらえるので、それ自体には不満はないが、胸の前でバッテン印に結ばれているたすき掛けを結びなおそうとするとノボルが嫌がるので、いつもリリーがノボルを世話する様子を切なそうに見つめていた。

「ごはんをあげるだけじゃなくて、私もいろいろなお世話がしたいです~」と口癖のようにリリーにぼやいている。

「猿は賢いから自分に不利になる行動をするのよ。まあ、正直、ハンナは甘いから言うこと聞かなくてもごはんはくれるとノボルに思われちゃっているかもね。ただ、他の世話については私も変わってほしいけど。この歳で毎日猿のおむつ替えをしているなんて、貴族令嬢の花嫁修行としてどうなのかしら」

リリーがため息をつくと同時に、ハンナを困ったように眉を下げた。

「どうして、私のおむつ替えを嫌がるのかわかりません。人間と違って、だれが縫ったおむつかわからないんでしょうね」

干し芋を手づからノボルに食べさせながら、ハンナは憤懣やるかたないといった口調だが、その表情はどこまでも優しい。怒りっぽく触れもしない猿であるが、お嬢様への忠誠心はなかなか見どころがあるなどと言って、仲間意識を持っているのだ。

ハンナの言い分にリリーは思わず噴き出した。
「人間の赤ん坊だって、だれが縫ったおむつなのかなんてわかっていないでしょ。怒るのは人間に近いからよ。人間ってヒステリーじゃない。甘えたり、駄々をこねたり、気に入らない人間には攻撃的になったり、本当に人間に近いと思わない?」

「そうですね。そこが可愛いといえば、可愛いですけど、怖いといえば怖いです。本当に王子様にとびかかりそうになった時には、肝をつぶしました。本当に処刑されるんじゃないかって恐ろしかったんですよ」

テーブルの上でもりもりフルーツを食べるノボルを見ながら、ハンナは憂い顔だ。そんなハンナを見て、リリーは軽く肩を竦めた。

「むしろよくやってくれたという感じだわ。これで、王子との婚約話は先延ばしになったでしょう。領地で引きこもって一生暮らすわ」

「お嬢様・・・領地は、今遊びに行ける状況ではないとわかってらっしゃいますよね」

「わかっているわ。でも、このままでは貴族社会でいじめ殺されてしまうということも、13歳の子どもでもわかることよ」

目の前の食べ物をあら方食べ終わり、膝に乗ってきたノボルを撫でながら、リリーは窓外の見事な庭園に目をやった。王都のこの邸宅には二度と戻らないかもしれないという覚悟だ。王宮にも劣らないと言われる薔薇の庭園も見納めになってしまうかもしれない。

今、サリモンテ公爵家の領地は山火事により大飢饉に見舞われている。さらに不幸なことに海に面した土地であり、海上貿易が盛んなのだが、海が荒れて積み荷が沈んでしまい、多額の借金を背負っていた。

遊びに行くのではなく、そこにずっと住むつもりなのだから、前世の知識を総動員してリリーも何かできることをしたいと思っている。
しかし、前世ただの一般人で今世でも特技もないただの悪役令嬢だから、思いつくこともできることも限られている。

何もないとろこに薬草を植えて、その薬草にどれくらい効果があるか動物で薬草実験なんてしようかなと一瞬考えたけれど、倫理的に許されないとすぐに気づいた。そもそもリリーが一人で調べるくらいの薬草の知識なんて、この世界の人たちでもすでに持っているに違いない。領主の娘としてできるのは、植樹くらいか。荒地で植物を育てる実験。植物の医者になる・・・なんてことは、リリーの学力ではできそうにない。

「ノボルが届かないシャンデリアにジャンプして乗ろうとする姿ももう見納めですね。危ないから叱ってましたけど、いつか届くんじゃないかと思ってました」

ハンナが寝る前のホットミルクをノボルにとられないようにリリーに差し出して、しみじみと天井を見上げた。リリーの部屋にはシャンデリアはないが、ノボルは広間のシャンデリアがお気に入りでずっとあのキラキラするものに登ってやろうと狙っていた。

「無理よ。踏み台がないように注意を払っていたもの。どうせノボルには届かなかったは。動物はきっと出来そうで出来ないことを確かめるのが楽しいの。猫がボールを取り出して遊ぶ箱があるじゃない?あれって横の穴は小さくて取り出せないようにできているの。経験からボールは箱の上の穴からなら取れるって猫もわかっているはずよ。でも、横穴からも取れるか何度も確かめたくなるの。鏡の構造がわからなくて、何度も鏡の後ろに行くのも同じね。納得いかないことに、好奇心が抑えられないようにできている。
高くジャンプするのは危険よ。だけど、危険を冒すことが好奇心なのよ。
危険を冒して世界を確かめるから冒険というのよ。冒険しなくちゃ、世界は作られない。発展しない。けど、この発展は合理的じゃない動物の行動から生まれたの。ものなんて食べられたら良いのよ。けれども、危険を冒して未知の植物を口にしたのね。そこで美味しいという感情を知ったのよ」

「はあ。お嬢様は、今日はとくにおしゃべりですね。分かるような、分からないような。お嬢様にとって領地に行くのは冒険ですか?」

「ノボルがいるからね。せっかくこの屋敷に慣れたのに、ただでさえ長旅をしてこの国にやってきたノボルが領地に慣れてくれるかわからないもの」

「大丈夫じゃないですか?ノボルって怒りっぽいけど結構ポヤポヤしているというか、なんだか私と似た者を感じるんです」

笑いなが答えるハンナは、リリーに気を遣っている風もなく肝が据わっているようだった。10代前半にサリモンテ公爵家に雇われたハンナは、元々男爵家の末娘で使用人といってもリリーとは一緒に育った幼馴染のような間柄だ。歳はリリーより10歳上。先月結婚したばかりで、領地に連れていくつもりはなかったのだが、夫共々ついていくとハンナが譲らないのでついてきてもらうことになった。
夫のキリル・アンダーソンは公爵家の騎士である。ハンナより15歳年上で妻に甘く、まあ年齢からしてそろそろ田舎暮らしも悪くないと考えたようだ。
主人のリリーに怒ることはないから、ハンナが怒りっぽいかはわからないが、ハンナは感情の起伏が自分より激しいとはリリーも感じていた。

「ハンナは賢いものね。ねえ、実は、イライラするヒステリックな猿って、穏やかな優しい猿と同じくらい実は賢いんだと思うわ。だって物事の理由が知りたいんだもの。分からないからイライラするのよ。不思議なんだもの。自分の存在の揺らぎが世界を作っていくのよ。だから、賢い動物は死ななくちゃいけないの。ただ漫然とは生きられないから」

「今日のお嬢様はずいぶんと理屈っぽいですね。それが私の影響なら私も反省しなくちゃなりません。さあ、もう寝ましょう。ノボルはケージに入れてくださいね」

「うん。分かってるわ。おやすみ」

ハンナが蝋燭ろうそくの火を一つ残して、灯りを消すと、部屋は暗くなり、窓から差し込む月明りが存在感を増した。
リリーはちっとも眠くなかった。明日は領地に移動する日なので、興奮して眠れないのかもしれない。何せ、前世の記憶を取り戻してから、初めて父の領地に行くのだ。しかも、今領地は最悪の状態。役に立たない公爵家の末娘が来ても歓迎されないかもしれない。しかし、王都にいたらリリーの余命は幾ばくも無い。

寝台の上でリリーはあれこれと夢想した。

この世界の貴族の娘なんて暇なものだ。
読み書きが出来ることすら望まれない。
蟻を数えることが仕事だ。
猿だって自分で食事くらいするのに、リリーは全部使用人任せだ。
こんな不自由があって良いだろうか。
前世みたいに読み書き計算くらいできるように勉強したけれど、学者になれるほどじゃない。領地経営は父より頭の良い従兄弟に任せた方がいい。
日がな一日寝てばかり。車輪付きの木馬に乗った猿を連れて散歩するだけが日課だ。山火事の領地に焼け出された動物たちの動物園を作り、観光誘致する。
動物虐待になるのでは?
畑の作物が被害に遭うのでは?
賛否両論になるのは想像がつく。
動物を被害に遭わせた人間が保護する矛盾。
物語の中では皇太后の命で戦地に行き、慰問先の過酷な状況を見て、リリーはショックで死んだ。
平気なつもりでいるけれど、領地の過酷な状況を見たら物語と同じ結末を迎えてしまうのではないか。
領地では父母が先頭指揮を取っている。しかし、かんばしい成果は上げられていないようだ。王都や近隣の領地からの支援物資に頼っている。まるでボスのいない猿山の領地。
誰も偉い人がいない。
前世より退屈な人生なら早く終わってもいい。
10年寿命が短くなっても、領地一体を花畑にして死んでいけたなら、幸せな最期かもしれない。
そう、花畑にするのはいいだろう。
幸せになるために生まれ変わったんだ。
退屈するためじゃない。最低限のものと娯楽しかない。
きっと田舎の領地にも幸せはある。物語のルールに縛られたくはない。何かをしてはいけないとか何かをしなさいとか皇太后に命令されたくはない。私個人を消して物語のコマになりたくはない。私は私だ。自由に生きる。
他人に道化と思われても構うものか。
何なら王都と同じように大道芸を領地でやりたい。火事になった領地で。畑を耕す間、猿が芸をしてくれるんだ。

リリーは夜が明けるまで一睡もできなかった。

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