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東と西の薬草園 ⑦-3「薬草とハーブ」

「ハルさん、今日のランチはどうする?」

「すみません。しばらく、お昼ごはんをご一緒できないかもしれないです」

遥は赤石の誘いを断るのが初めてだったので、きまりが悪かった。ぼさぼさの髪が首にまとわりつくのを今日に限ってうっとうしく感じた。
果実町に帰ってきてから、一度も理容院などに行っておらず、伸ばしっぱなしの髪だ。それを気にしたことはなかったけれど、昨年、一昨年ほどの豪雨の日はないのに、今年は妙に梅雨の走りに困らされ、ひとつに束ねてもカールするおくれ毛一つが神経に障る。

「お昼ごはん食べる暇もないの?」
「そういうわけじゃないんですけど、かわず(カエル)さんと約束していて」
「あら、試作品を食べるのね?それなら、私もご一緒しようかしら。毎回無料にはできませんけど、3回くらいいいですよって言ってくれたもの。カエルくんに聞いてみてくれない?しばらくなら、今日じゃなくても都合がいい日でいいわ」
「赤石さんおひとりなら」
「もちろん。特権よ」
赤石みどりは押しが強いが、だれとでも親密になる方ではない。一足先に体験から継続して「峠道の貸庭」ガーデンに入ったので、後から来た客よりいろいろと詳しく、遥たちも気やすいが、周囲が親しげに話しかけてくるのが負担なようで、遥への依存度を深めているようでもある。
毎日、顔を合わせているのに、偶に電話してくるのはなぜなのか。遥には理解し難い。
同様に、1日1通メールサービスを利用して固い文章で業務連絡をしてくるカエルにもどう返信すべきか困っていた。

『山脈様
お疲れさまです。
明日のお昼のご予定はありますか。
開業予定のレストランのメニューの一部を担当することになりました。
レシピの作成に難渋しており、アドバイスをいただきたいです。
試食していただける場合、明日の朝までにご連絡ください。
よろしくお願いします』

カエルも朝夕のどちらかは庭作業に精を出している。
同じ場所で働く同僚なのに、あまりに固すぎはしないだろうか。
丁寧なお伺いの文章に、”了解”の二文字では失礼な気がして、いつもと同じように電話をかけて了承を伝えた。電話しても、「うん、大丈夫だよ」というだけなのだが。
遥は大学を卒業してこの方、敬語を使わずに他人と話したことがなかった。カエルは最初から親しげで、意識もせずに敬語が取り払われた。文章を書く場合固い言葉になってしまうのは致し方ないことなのかもしれないが、入社したとたんに同僚になったつもりの遥を会社の先輩のように扱っているようで、遥はカエルの態度にも戸惑っていた。
「峠道の貸庭」はカエルと野人がいてこその計画だった。
一緒に作り上げたから同等の立場だと思うのだ。

「どう?ハルさん」
「うーん。おいしいけどね。料金はどうするの?」
「どぎゃんもこぎゃんもなかよ。鮎ばパスタやピザに使うとかもったいなか。カルパッチョも好かんね。しかも、鮎ばこぎゃん何匹も食べるもんね。えろう高い値段になろうもん(なるだろうね)」
「これはそれぞれメインだから。今日は試食。量を減らして、まとめて出したんだ。地元のものを使った方がいいらしいから」
「野菜はここん地元(ここの地元)んとじゃなかんね。野菜がメインやろうもん」

常々、野人は孫のカエルに甘いと遥は思ってきたが、今日の野人は辛辣だった。しかし、遥もほとんど同じことを思っていた。
鮎はやっぱり和食で食べたい。洋食にするのも悪くはないのだろうが、遥には受け入れがたかった。鮎の天ぷらがフリットになったくらいなら受け入れられたかもいれない。しかし、鮎の身をほぐしてオリーブやにんにくやハーブで香り付けしてしまっては台無しだ。鮎は香魚なのだ。いわば、薬草魚である。確かに味は悪くないが、香りで鮎だと認識できなくて「この魚なに?」とわからず食べる気持ち悪さがある。鮎はハーブが泳いでいるようなものなのに、食べて清々しくない。

「おいしいけどなあ。僕ならおいくらだろうと食べに来ますよ」
「たまの贅沢ならいいんじゃない?」
「せからしか(うるさい、黙ってなさい)」
野沢湧水と赤石みどりがとりなしたが、野人はかえって二人の言葉が癇に障ったようだ。しんと沈黙が落ちたが、野人に共感してしまった遥は黙々と食べるだけでとりなすことができなかった。
「地元のものを使ってほしいと言ったのは私なんです。地元の人が伝えたい食材があるなら、それに貢献した方がいいじゃないかって」
「よその人は”ここらしさ”と”ものめずらしさ”を求めてるよ。ここが伝えたいメッセージが伝わる作品になっているんだから、俺はらしくていいと思うな」

香と霞が野菜や山菜以外の地元食材を提案したと聞いて、遥は気が重くなった。薄々感じていたが、遥や野人が考えるこの庭にしかない特別感と香と霞が考える田舎らしさには隔たりがある。
自分たちを特別な客扱いしてほしいなら、高級旅館に行けばいい。それこそ山鳥が経営するホテルや旅館がこの町にはある。
しかし、遥や野人が思うのは、都会など本来の地元でやりたくてもできないことをこの庭でやってほしいということなのだ。
もちろん、果実町の住人だって我が家の庭で実現しにくいなら、「峠道の貸庭」を利用してもらいたい。料金が貸し畑の相場より安めなのは、いろんな人に利用してほしかったからだ。しかし、実際には生活に余裕のある富裕層の別荘地となりつつあることは否めない。ロッジの宿泊も好評で、延長する人が多く、庭と家がセットで借りることが主流だ。客単価が上がってうれしい悲鳴なのかもしれないが、遥は釈然としないものを感じていた。山鳥に意見を聞いて料金設定は遥が決めたが、その意味はあったのだろうか。もともと大幅な赤字にさえならなければ、大きな利益など求めないという会長の鷹之の大甘な方針あったので、その意見に沿って計画を立てたつもりでいた。
しかし、現実としてここにある日常を非日常として外の人にそのまま受け取ってもらうということが理解されがたいのかもしれない。非日常は非日常として、万人にとっての普通では経験できない特別な空間の観光地としてこの貸庭を作っていくほかないのか。

普通では経験できない特別感を目の前の料理は提案出来ている。いいランチを遥は普段使い出来ないので通えないが、ここを利用する人の満足は得られるかもしれない。

「フリットならどうかな?天ぷらと変わらない気がするし。和食は出さないんでしょう?」

遥か思いつきをそのまま口に出してみると、カエルは見るからにほっとした顔をした。カエル自身納得いっていないから、試食会をしたのだろう。しばらく店長してくれる男性は、おいしいと褒めてくれたらしいので、何も遥たちの意見全部に振り回される事は無い。
それよりも、長期滞在のこの場所では、レストランを開業する場合、メニューを豊富にしたり、定期的に新メニューを出す事は大事だ。1回のメニュー開発に疲れた様子を見ると、その点で遥は不安になってきた。

つべこべ言ったところで料理は美味しければいいのだ。作る人間があまり考えこみ過ぎる方が心配だ。

「鮎は塩焼きが1番良かとよ。出すなら、それ以外なかろうもん。串焼きならじいちゃん得意とぞ」

「なんもかんも、じいちゃんに頼るわけにはいかないよ」
カエルは皿の上に乗ったメロンにさくっとスプーンを刺した。

「うん、塩焼きとフリットね。考えてみるよ。別に今すぐ変わったパスタを出せって言われているわけじゃないからね」

貸し庭を気にいっている人たちは、レストラン1つでここを去るわけではない。レストランはあくまで付加価値なのだ。かといって、おまけだから、一生懸命にやらないというわけにはいかない。
極端に言えば毎日レトルトカレーを出す店っはいけない。ただのおまけになってしまう。ロッジで自分たちでチンして温めて食べればいいだけだ。

カエルはどうなのだろうか。ここを別荘地にしたいのか。遥のように、富居家の山に住んでいるわけではないが、イベントのときの生き生きとしたカエルの様子を見ると、何より居心地の良い場所である事を大事にしていると遥は感じていた。カエルは自分が気に入らないものを、他人に勧める人間ではないのだ。その点信頼できる。何を任せても何かを大きく損なうと言う事は無いだろうと思っていたから、鮎のパスタが意外に感じたのだろう。カエルがこんな気を衒ったことをするなんてと。

珍しく不機嫌だった野人も、試食会の終わりには、遥とカエルのガーデンデザインにようやく合格を出してくれた。

「今年はそれで行くたいね。ただまだ宿題よ。これから確かに庭は作らるるばってん、何事も最初が肝心よ。俺もな。最初の庭ば失敗したけん。人生にケチがついとっとよ。もう遥か昔のことばってんな。若い頃の失敗やっけん、取り戻せるとは限らんばい」

あまりに忙しくて、野人も疲れているのだろうか。いくら人付き合いが好きでも、毎日毎日庭作業して客の相手ばかりしているのは、80代の野人には心身ともに堪える。あるいは、考えることが増えたのか。

「ハルさんな。ゆっくり考えて欲しか。興味を持って考えてくださいな。俺はハルさんが作った庭に良さがあれば、その良さがわからん男じゃなかとよ」

「それはじいちゃんはプロだから」

当たり前のように、遥のロッジに引き取って3人でお茶を飲んだ。食後の紅茶が胃に沁みる。

「プロだからじゃなかと。共感するとよ」

その言葉に遥はふと気づいた。野人も地元にヒキコモった人間なのだと。野人は子供の頃から頭が良いと評判で、建築家になって、世界に名だたるだろうと将来を嘱望されていた。しかし、子供を大学に上げてすぐに、果実町に帰ってきた。この町の外の仕事を引き受ける事はもちろんあったが、野人はそれよりも庭づくりに精を出して、いつの間にか庭師と呼ばれるようになった。何が違うかわからないが、「先生」と呼んだら怒られたので、「師匠」と呼ぶことになったのだ。野人に請われるまま「おじちゃん」と呼ぶことは遥にはできなかったが、井中家の近所の子供たちは「のんおじちゃん」とか「花咲かじいちゃん」と呼んでいるらしい。
皺の多い野人の顔にそんな気やすい親しみ安さを遥は感じない。ガーデンデザインを下手な絵で提出するのもドキドキして怖かった。1度却下されたのでなおさらだ。

「俺も、いやわしもな。わしの庭は狂人の庭よ。なんの形もなしとらん。まともな神経ば持って生まれてこんかったっやろなあ。こんな風になりたかねって人から庭ば褒められるたびに思うとよ」

今日の野人は饒舌だ。スイカのジャスミンティーで一息ついて、すぐにまた話し始めた。

「趣味か仕事かわからんてな。ばってん、趣味でも仕事でも苦しかことよ。家ば建てても、庭を作ってもな」

「趣味にしては壮大だよ。じいちゃんの、庭は」

祖父を尊敬するカエルは自分の庭を否定する野人の発言に驚いた。カエルがなおも言い募ると、野人は舌打ちして視線を落とした。

「節操のなかだけたいね」

野人は陰鬱に笑い、ちらと卓上のデジタル時計に目をやった。今日は昼ご飯を食べて、お茶をして、夕方の4時から庭の手入れをする。5月の中盤を過ぎてから雨が多くなってきて、みな晴れた日は日が暮れるまで庭作業に出ていた。
3時のお茶をすることになったのは、日中日が高い時間は祖父が熱中症で倒れるんじゃないかと心配したためだ。注意しても聞かないので、「遥と一緒にお茶しよう」と誘うからと今朝方言われた。カエルはレストランの準備もあるから、野人に付きっ切りというわけにはいかない。遥がこれから野人をお茶を誘うことになるけれど、どのみち野人が「峠道の貸庭」に来た時にはほとんど一緒にいるから、変わりはない。作業が中断されて休憩できるなら是非もなかった。

ただ座っていると野人は口数が多くなる。

「ハルさんはな。わしの庭を初めて見た時、正気の沙汰じゃなかって言うたよ。綺麗ばってん、既にこんな自然いっぱいの中に薔薇やら海外の花ばたくさん持ってくるなんてな。そいば聞いてわしとハルさんな、感性の合う、同じ業を背負っとるなと思ったよ。好きな花ば一輪窓辺に飾って、猫を一匹、孫一人と好きに暮らせば良かじゃなかか。庭の緑ば眺めて洋花は季節ごとに一鉢有ればよか。しかし、おいはね、庭ばね、世界ば壊して作らずにはおれんとよ。そいが業やろね。そこにある野の花を無視して新しい花を持ってくる。人生の終わりには、そうじゃない庭ば作りたかと思いながら、変えられん。ばってん、ハルさんな野の花と一緒に他の綺麗な花ば育てたいと言いよる。そういう気持ちば素直に大切にしてもらいたかったい。里山の暮らしは里山の人間にあっとよ」

遥はこの富居家の山の庭をいつ見に来たか、覚えていない。ここの別荘の管理人の面接に来た時だろうか。野人とは会話しなかった。ただ思ったままを言って野人に聞かれたと知って、遥はいたたまれなかった。美しさを否定するつもりではなく「こんな庭私には絶対無理!」という意味で正気の沙汰じゃないと言ったのだろうが、その何の気なしの言葉を野人は深い意味に捉えてしまったようだ。

野人の話を聞いているうちに、あっという間に小一時間が過ぎて、遥たちは庭に出た。
昨晩から午前中にかけて雨が降り、曇天の下、庭の幅広の葉の植物には雫が残っていた。霞が植えたトマトには青い実がびっしり実っていた。モンシロチョウが羽を畳んで、トマトの葉に静かに休んでいた。

野人はカエルにはなんでも植えてみろという。遥にはよく考えろという。それは二人の性格に沿ったアドバイスだった。カエルは野人と同じなんでもやってみないと気がすまない性分だから。遥は野人のように自分の中に理想があるから。何事もやらずにおれないことと、理想があることと野人の中には相反する性質が同居していた。

野人はまた、遥が合格をもらって壁に貼り付けたガーデンデザインのA4の紙に目を向けた。

「決めたからって、そいば植えんばんわけじゃなかけんね。そんとき良かと思うもんば、よう考えて決めなっせ。カエルくんは思うごとして良かばってん、食ぶっとな、今日のようなのは食わんよ」

野人の胃には重たかったのだろう。貸庭には、野人ほどでなくても年齢の高い人も多いから、考えなければならない。フリットと塩焼きをするとカエルは言ったが、「そぎゃんとは自分で作る」と野人は譲らなかった。川魚の焼き方には孫に負けない自信がある。

遥はカップの底に残り少ない紅茶を見て、口をつけるのをやめた。そのまま、窓の外の庭の風景に目を落とした。もうすぐ梅雨時期だというのに、信じられないほど庭は花盛りになった。野人に言わせれば、あと2,3年してあじさいの株が大きくなってからが6月の庭が楽しくなるそうだ。
これ以上の楽しさと美しさがこの里山にあるなんて、遥にはにわかに信じがたい。

野人の日ごろのアドバイスの意味を考える。かえるは自信を持って好きなように好きなだけ花を飾ればいい。遥は自分だけの花を探すのがいい。

遥は、今日本の植物も育てる薬草ガーデンにしたい。日本らしい、室内から眺める庭がいい。この理想とも思えない夢想は、形をなさないまま、本当の理想に変わっていく日があるのだろうか。

カエルは散歩したくなる庭がいいという。薔薇いっぱいの庭が、今楽しいようだ。

霞はバランスのとれた庭。やはり食べられるものを植えたいらしい。

湧水は色彩豊かな庭。しゃがんで眺める花が好きなようだ。

香は採取できるアロマガーデン。遥と方向性が似ているようで作っている花壇の見た目は全然違う。とてもお洒落だ。

明日は一日雨の予報だ。

遥は家に閉じ籠りきりの雨の日の庭を想像した。長雨の続くこの地域でも根が腐らず手間もそれほどかからない強い庭である。観賞用の花とハーブや野草が共存するレイニーガーデンだ。自分の好きな色や好きな花はまだまだ分からないが、これから探していけばいい。シンメトリーに統一された庭より雑多な庭が自分にに合う。敷石も砂利も煉瓦もない、自然石と苔と丸太木の自然なかんじのものがいい。

庭の姿は、住んでいる遥の心の姿である。
真心だけではない。行き届かない庭に、遥の生き方がある。上手くいかないからって適当に取り繕って諦められるのか。
雑草地に花を、花壇に多少の雑草を残してしまうのが遥だった。
砂利に敷き詰められない剥き出しの露出した地面は花同様傷つきやすいが、雨降って地固まるということもある。

狂人庭。確かに自分の庭はそうなのかもしれないと遥は思った。


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