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東と西の薬草園 ⑥-4 「峠道の貸庭」の門出

「作成者不明の回覧板について、情報セキュリティの視点からパスワード流出リスクについて検討をしましょう」

たった4人の会議でいつになく真面目な口調で香が切り出した。

(そんな大げさな言葉を使わなくても)

花見会は明日である。その花見会の参加については、このレンタルガーデン「峠道の貸庭」で開催する茶会の会員になりたい人と地元にできた「緑の手」という婦人会と青年会を合わせたような団体に案内を送った。
予定では参加者は112名の大所帯だ。
地元の人は現地集合が多いが、バス3台で引率することになっており、飲食もするので荷物も多い。
明日の準備や運営のことだけをきちんと確認しておきたいと遥は思ってしまう。
差出人不明の怪文書メールについては、誤送信ということで仮会員に連絡済みだ。

「それにしても花見会のルールなんて一体だれが送ったんだろう」

1.果実町についての批判は慎む。関係ない行政の話題は持ち出さない。
2.移住相談は受け付けない。楽しい団らんの席にする。
3.ペット連れは禁止。ペットのいる人はガーデンロッジに預けてくること。
4.川に入らない。泳がない。万が一事故が起きても、誰かの責任にしないこと。

1についてはどうかと思うが、概ね当たり障りのない内容にも見えた。メールを送った人の個人的な思想が垣間見えるものの、言っていることは花見会で喧嘩とか事故とか議論とか面倒くさいことを起こすなよということなので、いちいちこんな回覧メールを送るなとは思うが、遥個人としては理解もできようというものだ。

しかし、勝手にこのレンタルガーデンのネットサービスを乗っ取って、メールを送られたことが香は許せないらしかった。

「ハルさんの責任になっちゃうのよ。こんな無粋はメールを送るなんてしてないって言ったじゃない」

遥が憤らないことにも、香は少し怒っていた。確かに「峠道の貸庭」の責任者は遥だから、遥がこんなルールを作ろうとしたと思う人もいるだろう。しかし、客にいちいち誰かが勝手に送ったメールだとか説明したとして何になるだろう。犯人捜しをして新たな火種を生むくらいなら自分が泥をかぶっても仕方ないと遥は思う。
ペットの預かりについては一応確認をとって、2件ほど預けたいという人がいたので、野沢湧水が留守番をしてくれることになった。

「まあ、花見はここで毎日できますから。打ち上げに呼んでくれればOKですよ」

よくしゃべるのに人見知りという湧水は、参加人数を聞いて桜の花見に怖気づいていた。率先して留守番役を引き受けてくれたので、留守番をすると言っていた野人を説得して連れていくことができる。打ち上げすることが勝手に決まったが、湧水より人と付き合わない遥も嫌だとは言えなかった。
「峠道の貸庭」の看板というべき見事な庭を作っている野人は、花見の主役だ。一言挨拶してもらうだけで場の盛り上がりも違うだろう。
庭はいわば、野人の名刺。「あの富居家の庭を作った人ですよ」といえば、庭を見たことがある人の関心が高まる。

「とりあえず、今日の議題はこれよ。これで考えていきましょう」

香が達筆な字でホワイトボードに列挙した項目を3人は呆気に取られて見つめた。

  1. 地域コミュニティの視点から富居家の協力を取り付けるための方法を考える。

  2. 花見会の当日について、安全管理の専門家の視点から救急体制やパトロール活動の充実策を考える。

  3. レンタルガーデンなどの別荘に反対する意見について、農業の専門家の視点から土地利用や自然保護の問題点を指摘し、解決策を考える。

  4. ペットを捨てていく人がいる場合の対策について、動物愛護の専門家の視点から保護活動の充実や社会啓蒙活動の実施を考える。

「うーん。さすがにこの4つを今日話し合って結論を出すのは無理じゃないかな」

霞が控えめに言って、遥も蛙も肯いたが、香は憤懣やるかたないといった様子で「今日じゃなくても絶対にこれからの運営の上で話し合うべき議題です」と譲らなかった。
2と3と4については、ここで4人で話し合っても心もとない。1については、要するに怪文書の犯人捜しとその後の対処について富居家が関与してほしいということだ。会長の孫娘の香の権限で出来ることではないが、たとえば変なクレームがくるようになった時遥一人の責任にしない方が良いと香は判断したらしい。
とにかく、遥が書いてないものは書いてないのだから、メールの乗っ取りについては厳正に対処するということで決まった。それ以外については「もう夜の7時だから、ごはんを食べないと・・・」と蛙が言ってくれて、そこで話し合いを終えた。蛙のご飯はいつも美味しいが、ご飯を食べなきゃいけないから仕事を終えようというのも素敵なライフスタイルだなと遥は明日のご馳走を前にその日晩に焼いた1枚だけのジャムトーストがやけに美味しく感じられて、変なごたごたも忘れて幸せに早く眠れた。

しかしながら、往々にしてイベントが計画通りにいくということはないものだ。

先週までの菜種梅雨が嘘のように、週末の土曜の空は晴れ渡り、ダム湖の深い緑の深淵に十種の桜の花びらが思い思いに舞い散っていた。
小鳥の声は杉山の奥に隠れ、道中にはいくつかの出店もあった。
ダム湖までの峡谷は深い緑に亀裂を作り、ゴロゴロ転がっている武骨な大岩が沢にささやかな華を与えていた。

整えられた庭園のような豪華さはないが、静謐な水の気配が清々しい。
山にはめったにない人出ではあるものの、川沿い一帯の公園の敷地は広く、息苦しさはなかった。

花を見ながら、山の景色より華やかな食事を広げて穏やかなランチティータイムとなるはずだった。

ところが、ふと気づくと客の顔がちらほらと桜色に染まり始めた。

「え?誰かお酒飲んでない?」

花の香りに紛れてしまったのだろうか。遥が酒の匂いに気づいたのは、もう人の声が高くなってからだった。
遥は思わず霞を見たが、霞は「うちの酒じゃないよ」と首を振った。
100人全員に一人一人挨拶をするつもりはなかった。
大人だから、もう自分のことは自分で責任を持ってもらいたい。
しかし、酒のトラブルは困る。花見に酒の持ち込み禁止はきびしいと霞に言われたが、遥は譲らずに「ティーパーティーなので、お酒の持ち込みはご遠慮ください」と案内状に書き添えたのだ。

しかし、飲んでしまったものを今更「お酒はやめてください」といきりたっても角が立つだろう。遥は近場の席から一人一人型にはまった挨拶をして、プレオープンのロッジを一足先に借りている赤石みどりに声をかけた。

「あの、赤石さん。その岩魚はどうされました?」

「どうも何もそこの出店で売っているでしょうが。さすがに串焼きは美味しいですね。魚も酒も甘くて絶品です。いいなあ、こんなところに母たちは住めて。羨ましくなっちゃいましたよ」

「ハルさん。ごめんなさいね。ご馳走がたくさんあるって言ったんだけど、誘われたら、うちの兄は本当にノリが良いものだから。お酒もいただいてしまったの」

みどりは丁寧に謝った。しかし、その頬はしっかり桜色。
酒もいける口らしい。それぞれの席に置かれた透明なティーポットのお湯は空だった。赤石家は16人の大所帯で、酒の差し入れもふんだんだった。かりん酒に梅酒。みかん酒というのもあった。売り物であったのが幸いだ。250mlの容器に半透明の酒が満たされ、コロンと果物が揺らいでいるのが可愛かった。

「ハルさん後1,2時間でお開きでしょう。お湯をまだどんどん沸かした方がいいわ。飲み物がないと食も進まないから」

出店で魚や焼き鳥を買ってしまっては、遥たちが用意した食事までは到底食べきれない。バスケットに入れて各自持ち帰れるようにしていたのが幸いだった。

遥は赤石に促されて席を立ち、公園内にあるキャンプ場にお湯を沸かしに行った。

「お酒をくれたのは、農協の田村さんとおっしゃったのよ。ほら」

ちょうど野外の炊事場のそばのシートに田村が胡坐をかいて座っていた。その田村に遥は緊張しながら近づいて「挨拶が遅れました。田村さん、あっちでちょっといいですか」と声をかけた。

その田村のそばには蛙の祖父の野人もいて、何かを察したのか田村が立ち上がると野人も一緒についてきた。

「酒のことか?メールのことか?俺は当然のことをしたまでだ。言わなくても常識が通じると思わないことだ。大人数だとどんな人間がくるかもわからん。翻って不要なルールは必要ない」

パスワードは変更してセキュリティ設定も強化した。遥は電子機器に明るくないが、簡単にメールやSNSを乗っ取られることはないだろう。

「一言相談していただきたかったです。そうしたら、理由を説明したのに」

不満があるなら直接口で言えばいいのに、なぜ一言の相談もなく行動するのか。遥を気に入らないのは態度で最初はわかっていた。

「理由を説明する?言ってもどうせ聞かなかったってことだな。焼酎はここの誇りよ。梅酒はこの地域の真髄。なにが悪いんだ。果物を使っているじゃないか。フルーツ茶、牛乳と来たら酒もいる。花見じゃないか?」

赤ら顔で演説されても、遥は困惑するばかりだ。
確かに焼酎は名産ではあるが、酒が有名な地域は日本にたくさんある。
花見酒とは違った趣向を楽しんでもらうのが今回の花見会の目的だったのだ。酒宴ならいつでもどこでもできるではないか。今日でなくともよかったはずだ、と遥は心で反発しながらも言い返すことはしなかった。

延々と続く田村の説教を遥は立ったまま聞いて、腰が痛くなってきた。
すると、遥の代わりに野人が口を開いた。
「作る楽しみ、見る楽しみ、飲む楽しみ、健康を得る楽しみ。果実酒の四楽というもんだな。しかし、楽しみは酒が楽しいと思う人間にしか分からんもんじゃなかね」

「若いって歳じゃないでしょう。うちの子どもより随分大きいんだから、大人の事情を汲んで仕事をしてもらいたいんですよね。地元のものを宣伝せずに、都会の人を連れてきてどうするんですか」

「もてなしってもんよ。ここに来てくんやった人たちば心からもてなすとよ。そんための酒じゃろうもん。商売根性やったなら、がっかりな。そぎゃんとはよそでせね」

「もてなしか」

田村は野人の言葉をしばし噛みしめるように、満開に咲いた桜の枝先を見つめた。

「井中さんはいつもいいとこ持って行くね。富居家にも最初に尻尾振ったもんな」

辛辣な言葉だった。野人の言葉に説得力があったから、どうしても何か言い返さずにはいられなかったのだろう。

「おいは犬じゃなかよ。ハルさん、もうよか。あと少しでお開きやろ。おいも挨拶ばして回ろうたいな。ついてきてくれんね」

田村に何を言えばよかったのか。言葉が出なかった遥の代わりに野人がぴしゃりと話を打ち切ってくれて、促されるまま遥は野人とその場を後にした。
振り返ると、鼻を鳴らして不貞腐れた様子で田村は花見の席に戻っていた。ブルーシートの上に座ると何事もなかったかのように陽気な笑顔を見せていた。

一組ずつ挨拶に回った野人は、「質問は一つね」と言ってその代わりどんな質問にも丁寧に答えた。一つとなると年齢のことなど聞かれないものだ。遥はすぐそばの山の名前も知らない自分を恥じた。

野人がまとめてくれたような花見会だった。
酒を飲んで代行を呼ばなければいけないという人たちの代わりに、カエルたちが運転することになった。そういう人が数人しかいなかったのは幸いだった。田村は奥さんが迎えにきて、「飲むなって言ったのに」と叱られていた。奥さんは事情を知っていたのか、遥を見てきまり悪そうな顔をしていた。

バス組の引率は遥だけ。
客を降ろして見送って、土産を渡して忘れ物がないか確認して、忘れ物の連絡をして、カエルたちが車で送り届けて戻ってきた時にはくたびれきっていた。

「酒の持ち込みを禁止したのは私のエゴだったかな。タバコも植物だし、お酒も健康を害するとは決まってない。お酒とお茶の対立構造を私が無闇に持ち込んだのかもしれない」

田村は何度も「聞いてるのか」と遥に確認したが、遥は話を聞いていなかったわけではない。聞いていたが、共感できなかったのだ。お茶とお酒の対立構造なんて田村も想像力たくましいとその時は呆気にとられてしまったが、考えてみればはた目にはそう見えるのかもしれないとも思った。
酒どころでもあるが、果物が名産で、お茶どころでもある。
果物を味方につけようと取り合っているような構造に見えるのだろうか。
しかし、フルーツフレーバーティーを果実町に持ってきたのは遥ではない。
飲料メーカー「山鳥」の会長の富居鷹之である。
遥はただの別荘のお留守番係に雇われただけだ。気ままな生活だったはずなのに、思いがけず町おこしのような大きな責任を負わされてしまったのだろうか。

「ハルさんが持ち込んだわけじゃないよね。地元に名産が増えるのが悪いことなわけがない。よそ者だけど、俺は田村さんよりハルさんに賛同するな。ただ、今日の会に酒が出たから満足しなかった人がいたかというとそうでもなかったかもしれない。概ね、大人の花見会だった。静かでびっくりしたよ。田舎は悪酔いしないのかと思ったけど、よく考えたら参加した人には地元の人もそうじゃない人も半々いたんだよね」

いつも饒舌なカエルは疲れていても饒舌らしい。昨日は花見用の料理を「緑の会」の10人くらいに手伝ってもらって作って、日中立ちっぱなしだったはずだ。遥はなんやかやと細々した準備に手がかかって、料理の手伝いにはほとんど手が回らなかった。香は駅に到着した客と前日から宿泊の旅館からの「峠道の貸庭」に客を朝から引率した。湧水と野人はレンタルガーデンについてのパンフレットの最終確認をしてくれた。今日は配るだけで終わったが、本来は湧水が実際にレンタルガーデンを利用した感想を説明して回る予定であった。霞は農協の田村と連絡を取り合って、地元の人の参加者の連絡係を買って出てくれた。

「飲んでない人間は酔わんばい。ようやったね。カエルの料理ば美味しいって食っとったじゃなかかい。ちゃんと味わってもらったよ、全部ね。じいちゃん、鼻が高かよ」

「じいちゃん、やめてよ。褒められるほどじゃないよ。もうちょっと料理もどうにかできたかなと思うんだ。チョコレートの羽は折れたかもしれないし保冷剤が荷物になったと思うよ」

見た目にこだわった料理だったが、確かに冷やさなければならないものも多かった。食中毒にだけ気をつければいいと思っていたが、慎重に運ばなければならないバスケットは他に大きな荷物があった人には邪魔に感じたかもしれない。確かに反省点もある。しかし、カエルは意欲的によくがんばった。みんながみんな疲れている。遥はふと、他のメンバーより重要なことはやってない気がした。それなのに、責任者だ。やっていることと責任の重さが見合っていない。そのちぐはぐさが、どうしようもない疲労感の理由なのだろうか。

達成感をこうして話し合うのはうれしいのに、どうしようもない心と体の重たさがあった。しかし、一方で遥はおのずと「峠道の貸庭」の方針を自分が作り出していることにも気づいた。今回の花見会もそうだ。アイデアはみなが出したが、遥が方針を決めてしまった。

釣りして川下りして、酒飲んで、BBQして従来型の田舎の画一的なサービスを展開するつもりはなかった。それらのサービスと競合することはレンタルガーデンの生きる道ではない。非日常的な日常。田舎らしい穏やかな暮らしを都会の人に提供するそういうサービスがやりたいのだ。
焼酎が地元の名産でその焼酎で作った梅酒が伝統なのもわかっている。しかし、伝統とは違う花見会を遥はやりたかったのだ。
場所の下見は霞と蛙の担当だった。二人とも田村と付き合いがあり、メールのことも分かっていて黙っていたのだろう。遥がそうしたように。
口に出してしまうと遥が田村に抗議すると思って。それが遥の負担になるかもしれないと気遣ってくれたのであって、悪意で黙っていたわけではないのだ。

「私たち縁側茶飲みクラブには負担の重い会だったね。もう100人越えイベントはしばらく考えたくない」

遥が思わず本音を言うと、「確かに俺たちは日向ぼっこが似合いかも。じいちゃんを筆頭に」とカエルも同意してみんな笑った。

穏やかな仲間とねぎらいあって、その日の疲れは吹っ飛んだ・・・はずだった。
しかし、遥は翌日から何となく体調を崩し始めた。
レンタルガーデンが完売し、すぐにキャンセル待ち状態になった。
仕事は順調。花見会の反応は悪くなかった。みながねぎらってくれた。
しかし、気分は上がらない。

人出が足りないが、面接をしても遥は新しい従業員を決めることが出来ない。特に農協からの紹介の人相手の面接は緊張した。田村の件もあって農協とのやり取りがめんどくさい、怖い。 

おまけにやっと農業訓練が終わって、正式に「峠道の貸庭」の従業員になった5月にカエルが帯状疱疹になった。どうやら、遥同様強いストレスがかかっていたようだ。

「二人とも疲れたんだね。まあ、僕もしばらく研修のつもりで頑張るよ」
淡々と手伝う野沢湧水がいてくれたのが幸いだ。結局農協とのやり取りは霞任せで、手伝いの人も霞に頼んで回してもらっていた。

人手不足を先延ばしにはできない。初夏、GWがやってくる。
何もしないわけにはいかない。
分かっていたが、日が落ちるといつの間にかベッドにいて寝てしまっている。遥は10日ほどそんな病にかかってしまった。

6話 「梅と桜」(了)

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