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自分のための文章を書く方法

以下に書くのは、「自分のための文章」を書く方法だ。自分のための文章とは、このエントリのように自分が書きたいものを書いた、特に意味のない文章のことを指す。

わかりやすくロジカルな文章を書く実践的な方法はない。


自分のための文章を書くというのは、要は「言葉にまだなっていない言葉」を捕まえるということだ。

こういう思い出がある。


20代の頃、よく残業の後、タクシーに乗っていた。今考えてみれば特に意味はなかった気がする。家に帰ってやっても良かったのだから。

遅くまでオフィスにこもって仕事をして(あるいは、会社に無限に置いてあったお菓子を食べて時間をつぶし)、同じビルの地下にあるタクシー場でタクシーに乗り込んだ。


その日は金曜日で、僕はまたタクシーに乗っていた。

人類をタクシーの運転手と話す人と話さない人の2つに分けると(そんな分け方をする必要があるのかはわからないが)、私は話す方に分類される。

運転手さんの方々のそれぞれの人生を聞くというのはなかなか楽しい経験である。


タクシー運転手との会話はこれまた2つに分類される。タクシーに関する話と、関しない話である。

就職してこの方ずっと運転を仕事にしていますという人もいれば、他の仕事を経験された後に運転手になる方もいる。

この道一筋ウン十年、という方に対する質問は難しい。なんせ、話題はすぐ尽きてしまう(カーナビがない時代の道の覚え方は、何十回も聞いた)


その日は早々に話題が尽きたので、趣味について聞いてみることにした。

「ビリヤードですね、いや、今はもう趣味とは言えないかもしれないですが」

という答えが返ってきた。ビリヤードはオフィスに置いてある。置いてあるから、やる機会もある。僕はたいていナインボールで負けていたので、興味を持った。


「どうやったら上手くなれますか?」と聞いた。

「そうだねえ……」

運転手さんは、少し考えていた。

「もう全然やってないんですよ。もう、十年はやってないかな。昔はそれこそ毎日、撞いてたんですけどね」

「そうなんですか?」

「うん。やらない。ある日ね、どうでもよくなっちゃったんです」

運転手さんは、そこでまた、ちらりと外の景色を見た。

「お客さんね、若いからわからないかもしれない。でも、結構ね、どうでも良くなっちゃうことってあるんですよ。頑張ってうまくなろうと思っててもね、やめちゃうとだんだんどうでもよくなるんだな、これが」


そういうと、本題の質問に答えてくれた。

「だからね、上手くなりたいものがあるなら、やめないほうがいいですよ。やめたくないことはね。やり続けてればね、自分のだめなところも見えてきますけど、やめちゃうとわからなくなっちゃいますからね」


「凄く上手かったはず、って記憶しか残らないんですよね。自分の中では上手いつもりなんですけどね、今やったらお客さんに負けるかもしれない。あはは」


そのまま僕は家に帰り、運転手さんは仕事に戻っていった。まだ20時間ほどあるらしかった。タフな仕事だ、と思った。

運転手さんの顔はさっぱり覚えていない。しかし、聞いた言葉は何故か今も覚えている。


タクシーに乗った翌日、予定もなかったので、僕は海を見に行った。その時見た海は途方もなく感動的だった。こんな美しいものが世の中にあるのか、と思った。

この間久しぶりに同じ海に行った。平凡な海だった。なぜこの景色がここまで僕の心を動かしたのかは、記憶の澱を全部浚ってもわからなかった。

ビリヤードのキューは、ここ数年触ってすらいない。


人生で最も悲しいのは、美しいと思っていたものが、もうそれほど美しいと思えなくなることだ。

だから、好きなものは、好きであるうちにやっておかなければいけない。


文章を書くということもよく似ている。何かを書きたいと思ったときにその気持ちをつかまえて、言葉にするという作業が必要だ。

それを捕まえられなければ、やがて、「そもそも何を書きたかったのか」自分でわからなくなる。

文章を書くというのは、自分の中の残り火みたいなものを丁寧に温めていく作業である。

燃え上がっているうちは捕まえられないし、消えてしまえばそこに何があったのかもわからない。

長々書いたが、要は、書きたいときに書きたいものを書くことが、自分のための文章を書く、というコツということである。


励みになります!これからも頑張ります。