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空飛ぶ車をつくりたかったぼくは、東京で働いている。

空飛ぶ車をつくりたかったぼくは、東京で働いている。

先日、所属しているコミュニティで夢の変遷を話し合う機会があった。

いつも考えない問いだったから、とても新鮮で、書いている時間がとても楽しかった。
あの時の匂いとか、恥ずかしい気持ちだとか、当時の意志だとか、たくさんの思いがよみがえってきた。
今のぼくは、あのころの経験と、感情と、思いで、今ここにあることを改めて感じた。

『あなたの夢はどう変化してきたか?』それについて、あらためてここにも、書いてみたい。

***

幼稚園くらいまで:電車の運転手になりたい
小さい頃から電車が好きだった。
父と、駅のホームにあるベンチに座って、蕎麦を食べながら、電車の行き来を見るのが好きだった。
今でこそ田舎の駅だなと思うけど、福井駅は大きな駅で、いろんな種類の電車が走っていてそれをずっと見ていた。
プラレールで線路をつくってよく遊んでいたし、父も鉄道模型が好きだった。
機械が動く様子が好きだったのかもしれない。構造が好きだったのかもしれない。

小学校の頃:空飛ぶ車をつくりたい。
小学校の卒業文集でそう書いた。みんなが思い出を書いているのに、「空飛ぶ車をつくりたい」だなんて、夢のまた夢のようなことを、堂々と書いてしまった後悔と恥ずかしさで、親に見せるのが嫌だったな。
後々、母にも、友人にも「空飛ぶ車つくりたいんやの」と言われ、「うわ~読まれた~」と心の中で叫びながら、そんなこと書いたっけ?ととぼけた気がする。
小学生のころ、サッカー選手になりたいとは思わなかった。
小学校4年生くらいからサッカーを始めたのだけど、始めてすぐに才能の差を感じてしまったのだ。

小学校5年か6年くらいだろうか、歴史と科学的な話が好きになった。
どうして、どのようにこうなるのか、と知るのが好きだった。
昔の人がどんな暮らしをして、どんなことを考えていたのか、今までどんなことがあったのか、知るのが好きだった。調べるのも好きだった。
自分の周りの世界が、どうなっているのか、説明できることがおもしろかった。
知りたい、という思いが強かったのは、おそらく、小さいころ、祖父にもらった辞書がきっかけだと思う。
よく祖父に、「○○ってどういう意味?」と聞きに行っていたのだが、ある日、「これで調べなさい」と古い国語辞典をもらったのだ。それから気になる言葉は、その叔母の名前が書いてある辞書で、よく調べていた。

科学への関心から、科学者になって、なにか世の中にとって大きなインパクトのあることを発見したい、開発したいと思った。

父は、自動車の整備士だった。
車が大好きだという気持ちはなかったが、父の仕事と関係することの方がいいのなとか、喜ばれるのかなという思いもあった。

そういった関心と関心が合わさって、よくSFに出てくる「空飛ぶ車」につながったのだと思う。
いまだつくられていない空想の世界のものをつくったらすごいんじゃないのか!と思ったのだろう。
作文の中身は覚えていないが、原稿用紙のマスをうめるために、その時の知識を総動員して、空を飛ぶにはこうしたらいいだろう、と謎の理論を書いたことだけは覚えている。

中学校~高校:科学の研究をしたい
中学校で理科の分野を深めていくことで、より好きになり、得意になって、先生にサンプル教材をもらったり、こっそりいろんな実験を見せてもらったりしていた。
摩擦がなくなったら、浮くじゃん、そしたら、ぼくはここにとどまって、地球は回るから、ぼくの周りだけ動くの?
と職員室で好きだった理科の先生に質問したのを覚えている。

高校生になってからも特に科学が好きだった。
分子で世の中の構造がわかることがすごく楽しかった。
有機化学の問題もパズルみたいで、知識と論理で回答を進めていくと答えが出る。その瞬間がたまらなく楽しかった。
物理も、こんなにもシンプルな「式」で、現象が説明できるのか!?という驚きはとても楽しかったな。
設問に答えていくと、最後には定理の式が導出される、あの瞬間、もう最高!!

より深く学んでいくうち、化学の研究をしてみたいと思うようになった。

科学で世の中の役に立ちたい
高校1年生のとき、担任の先生に、科学の応用研究に関心があると言ったところ、

「阪大はおもしろいと思う。頑張ったら大坂大学に行けるよ。」

と言われた。
たったそれだけの理由で、阪大を第1志望にした。
大学のことなんてあまり考えていなかった。だけど、ぼくもあの大学にいけるポテンシャルがあるんだって言われている気がして、とてもうれしかったのを覚えている。根拠のない自信になった。
受験勉強は楽しかったな。解ける問題が少しずつ増えていく成長の感覚と、構造やアイデアを発見していくおもしろさがあった。
そのまま合格して、阪大に進学した。

化学を勉強するにも、何かを発見するだけではく、それが社会に、人に役に立つものだったらいいなと思い、工学部を選んだ。

世の中を科学で解決したいと考えていた大学1年のとき、

「生命科学(生物学)は、どのような分子で細胞が構成されているかわかっているが、いまだ生命現象を説明できていない。生命とは何かがわかっていない。そのフロンティアに挑んでいこう。21世紀はバイオの時代だ!君たちがそれを見つけるのだ!」

というある教授の話に、とてつもない興奮を覚えて、生物工学への道に進むことになった。
専門分野を学んでいくうちに、生物を工学的に利用する、「代謝工学(発酵工学の延長線上のような分野)」に関心を持って、代謝工学の研究室に入った。そこから酵母との格闘の日々が始まった。

大学4年~修士2年:科学を伝えたい
大学4年の頃かな、東日本大震災での原発事故に大きく影響を受けた。
まず思ったのは、なんで原発事故の情報はうまく伝わっていないのだろうということだ。
専門家からの情報が、メディアから個人にうまく伝わっていないことに、とても悲しくなった。
「いっていることがわからない」「御用学者」「あの人たちはなにをしていたのか」…テレビでそう言っている姿を見るたびに、伝え方と、伝わっていない事実に、とても問題意識を覚えた。
専門的な情報は、どうやったらひとりの個人に伝わるのだろうか。

次に考えたのは、「役に立つ」ってなんだろうということ。
「役に立つ」と積み上げられ、作られてきた原発技術の価値が一気に無になったように感じた。
ぼくにとって「役に立つ」ってどういうことなんだろうか。
生活が、便利になるとか、ものが多いとか、そういうことなのだろうか。
心を豊かにするみたいなところなのではないか…。

そんなことを考え、科学の意味や価値、おもしろさを感じてもらうような、伝える仕事をしたいとおもうようになった。
そう思っていたところに、『科学との正しい付き合い方』というディスカヴァー・トゥエンティワンの本に出会って、そこに就職することができた。(当時のぼくにとっては衝撃的な本だった!だって、ひとりの主婦として、ひとりの科学者として、われわれと同じ目線で、じぶんの問題として捉えられる、付き合い方の本に初めて出会ったからだ。)

就職してから:仕事を楽しみ、インターネットで本の価値、意味、楽しさを伝えたい
就職活動の際、出版不況と聞いていたけど、ぼくは業界が不況かどうかは、あまり気にしていなく、むしろ、生物を選んだように、フロンティアの状況や、逆境のほうがぜったいおもしろい!という勢いを持っていた。
そこで業界が一気に盛り上がるような、課題が解決できるようなことができると、すごく楽しいのではないか…そんな思いで、就職した。

就職してから、1年目は九州の書店を営業をし、今はWEBチームに所属している。コンテンツをインターネットを通じて読者や書店さまに届ける側の仕事だ。

出版社の営業という立場でしばらく仕事をしている中で、いまでも科学のおもしろさを伝えたいと思っている。でも、どちらかと言えば、「科学」だけでなく、ものごとの価値をみつけて、しっかり理解して、それってすごいんだよ!おもしろいんだよ!ってことを伝えたいという思いある。

だから、インターネットの中で、自社の本も自社のことも、もっと言えば、「本」そのものも、どのように価値を伝えられるのだろう、どうやったら知ってもらえるんだろうといつも考えている。まだまだ技術もスキルも、アイデアもないけれど、なにか自分なりの仮説をつくって実践してみたい。

※以前書いたものから、少し表現を変えました

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夢を振り返ってみて、こんなこと思っていたなと思い出していると、もうすこし違う自分も見えてきた。
最近になって、大学時代の科学を伝えたい気持ちや、いまの伝えたい気持ちの根本のところに、決めつけないで、もっともっと正確に深く物事をわかりたいという気持ちと、「自分自身をわかってほしい」という存在証明をしたい気持ちがあることに気がついた。

それに「今の夢はなに?」と聞かれたときに、うまく言葉にできない。これでいいの?だなんて聞いてくる自分もいるし、それが本当にしたいことなの?と問い詰める自分もいる。少しその言葉では違う気がすると疑う自分もいる。そんな"自分たち"とちゃんと向き合って、自分自身のことをすこしずつでも言葉にして、「ぼくはこういうことをしたい」と宣言したいなと思う。それが、ないなら、「ないから、一緒にやろう!」と言えるように、等身大の形が見えるように、いろんな人と話をしたり、こうやって書いてみたりしていきたい。今日のこのnoteはその第一歩になるといいな。

夜のテンションに、明日以降後悔しないことを願う。

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