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地方の花火大会で思い出せた当然なこと。

今日は長崎県のとっとっと祭りに行って来た!毎年この時期に開催され、多くの出店や、地元にゆかりのある歌手のライブや、打ち上げ花火で盛り上がる。今年は、スペシャルゲストとして、スター錦野旦さんとMaxの4人がライブを披露し、非常に豪華だった。

そんなとっとっと祭りの中で、私が最も感動したのが最後の打ち上げ花火だ。学生の頃に、東京で花火大会を見ていた自分としては、今回の打ち上げ花火そのものは特別に凄いわけではない(負けず劣らず本当に綺麗でしたが)。
それでも、とっとっと祭りの花火は特別に感動したものとなった。

とっとっと祭りが東京の花火大会と違う点としては、東京に比べ、家族連れで来ている方々が多いのだ。祖父母、親、孫の三世帯、赤ちゃん連れの夫妻といった方々が多く、もちろんカップルもいるが、東京の花火大会に比べると、全然少ない。またカップルであっても、どちらかの親と一緒といった方もおり、家族の繋がりがより感じれられるお祭りだった。

そして、家族が集まると、方言が飛び交う。
「よかねー」「おまえ、なにしよっとさー(親がふざける子どもに対して)」「スター錦野はみんばやろー」等々。

九州出身以外の人からしたら、疎外感を感じる程の方言も、家族同士仲良く話しているのを見ると、ほっこりしてしまう。

そんな家族達が一緒に花火を見上げて、「わー、綺麗!」「ママ!ハート型!!」「フューーー(花火の音真似する子どもたち)」「ママ眠い。」と言っているのだ。ほっこりしないわけがない。

確かに東京の花火は凄いし、感動する。しかし人の「感動」は花火の凄さが全てを決めるわけではなく、最終的には見る人がどう感じるかだ。きっと、今日家族で花火を見てはしゃいでいたちびっこ達には、私が東京で見慣れてしまった花火よりも、もっと綺麗に見えていたと思うし、もっと感動しているのだろう。

結局、花火大会の感動は花火が決めるのではなく、誰と見ているか?といったその他多くの要素が混合して決まる。それらの中で、見ている人がどう感じるかが重要なのだ。どこかの本で読んだ、「悪口によって傷つくかどうかは、相手には決められない。」に似ていると思った。

そんな当然なことを再認識出来た花火大会だった!来週もぜひ来よう!


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