魂を馴染ませること――『生きるためのサッカー』

『生きるためのサッカー:ブラジル、札幌、神戸 転がるボールを追いかけて』(サウダージ・ブックス)を読んだ。

著者のネルソン松原さんは、1980年代後半に日本に移住して以来、指導者として日本におけるサッカーの普及・発展に携わってこられた方である。

日系ブラジル人二世のサッ力一指導者である著者は、セルジオ越後、ラモス瑠偉らとともに、J リーグ発足以前の日本サッ力一界に“ブラジル・サッ力一” を伝授。”フットサル”をはじめて日本に紹介した立役者のひとりとしても知られる。教え子には京都サンガF.C. 元日本代表の山瀬功治ら。 (サウダージ・ブックスHPより)

本書は、そんなバックグラウンドを持つネルソンさんが、これまでの半生を振り返って語ったものを記録した自叙伝だ。

フィールドの上をボールが転がる。それを追いかけてゴールを目指す。サッカーはとてもシンプルなゲームだ。

そのボールは何でできてる? 牛の革だ。フィールドには何が生えてる? 緑の芝だ。だからボールを転がせ。大地をゆく牛が、草を食べるように。パスはフィールドを這わせろ。それが自然だ。サッカーとはそういうものなんだ――。

冒頭、ネルソンさんが回想するこの「たとえ話」の一節は、具体的な技術や戦略についての知識の有無を超越したところで、「フッチボウ」(ブラジル・ポルトガル語でサッカーの意)の魅力を語りかけてくる。

サッカーと共に育った少年時代、ルーツのある日本を垣間見た学生時代、そしてブラジルと日本での指導者時代。彼の人生の歩みは、文化や考え方、優先順位の違いなど、様々な違和感やジレンマに満ちたものだった。

出来る限りの選択を重ねて課題を克服し、自らの信念と周辺の環境とのより良い調和を目指す。そうして積み重ねてきた日々は、指導者としての彼のポリシーの根幹を形作ることになる。

すなわちそれは、入り口から出口までの地図を描くように手取り足取り“教える”のではなく、目指すべき方向をコンパスで指し示すように自然に学びを“導く”ことだった。“指導者・ネルソン松原”の思想は、例えば次のような言葉に表れている。

“だれかのやっていることをマネするうちに、なぜそういう動きをするのか、次に何をしようと考えているのか、その意味がだんだんわかってくる。上手くなるって、そういうものだと思うんだ。”
“いちばん大事なことは、子どもたちが自分から「やりたい」「上手くなりたい」と思うように導いていくこと。それが、ほんとうの意味での指導者なんだ。”
“その時点ではパーフェクトじゃなくても、自分たちがやろうとしているプレーの意味が理解できれば、いつかはできるようになる。上手くなるとか学ぶというのは、そういうものだよ。”

一つ目の言葉は日本に留学していた大学生時代を、二つ目の言葉は20代後半にブラジルで水泳のインストラクターとしてのキャリアをスタートしたころを、そして三つ目の言葉は、日本に渡って子どもにサッカーを指導し始めたころを、それぞれ回想して綴られたものだ。

流転してゆく生活のフィールドに、自らの魂を馴染ませてゆく営み。彼にとってサッカーはいわば、自らの人生のメタファーとして、これからも果てしなく追いかけ続けるべきもの。その意味でまさしく、「生きるためのサッカー」なのだ。

どんな状況でも、どんな環境でやれと言われても、サッカーができる限り、ぼくはやるしかない。それが、ぼくにとって「生きる」ということなんだ。

Cover Image: From Flickr / Some rights reserved by Gabriel Scapin de Oliveira


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松本優真|Yuma Matsumoto

1991年生まれ|京都在住|本の編集者

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