誰かの人生の物語に合流すること――『ミラノの太陽、シチリアの月』

“「空気を読む」「気を遣う」は日本人特有。だから、外国に行ったら自分の意思ははっきり主張した方がいい。”

海を渡った日本人なら、一度は誰かに忠告されたことのある言葉だ。確かに異国に身を置いてみると、その言葉の意味を思い知らされることは多い。

ただ一方で海外を旅してみると、こちらから言わずとも、目の前の相手が自分の気持ちを読み取ったことに気づく場面も少なくない。

もしかしたらゲストへの単なるサービス精神の範疇にすぎなかったのかもしれない。短期間のうちでも、相手の心のうちに一定の信頼を育めていただけなのかもしれない。あとは、よほどこちらが頼りなげに見えたということもあっただろう。

それでももし冒頭の教訓が、異国の友人との間では互いに表情を読み取ったり意図を察したりすることの妙味は共有しえない、と理解されてしまうとしたら、それはきっと誤りだ。

©Shogakukan

とはいえ、一時的な滞在にとどまる旅では、たとえそうした機微に触れたとしても、そこで広がる「ロマンの淵」とでも言うべきところに、深く潜っていく余裕はあまりないのが惜しい。

あと1週間滞在を延ばせれば―。あそこがもう少し近かったら―。あと幾らかお金があれば―。

そんなさまざまな制約を恨んで、泣く泣く帰途に就くことが何度あっただろうか。

ミラノの太陽、シチリアの月』(小学館)は、イタリア在住の日本人ジャーナリスト・内田洋子さんによるエッセイだ。

題名にあるように、曇りがちなミラノでも太陽が輝くときはあるし、陽気に満ちたシチリアの空にも月は上る。

収められた10篇は、彼女が出会ったイタリアの人々が抱えるそんな両面性を、彼らが歩んできたこれまでの人生の記憶を交えつつ、心震えるエピソードで描き出している。

登場する人は、同じ集合住宅に暮らす老婦だったり、小さな港町で遭遇した船乗りだったり、地方の友人に紹介された学生の一家だったりと、ごく素朴だ。

それなのに、各篇ごとについていえばそれほど長くない日々の回想の中で、彼らが抱える光と陰が明らかになってゆく。

誰しも唯一無二の物語を生きている、という陳腐な確認の域には収まらない。否応なく引き込まれる冒頭と、じわりと感じ入る余韻をたたえた最後の一文が見事だ。

ところでもちろん、彼らと出会った誰しもがその物語を知ることとなるわけではない。一つひとつの顛末を辿ってみると、あることに気が付く。

彼らと深くかかわってゆくきっかけとなる局面で、内田さんは相手に心情を読まれていることが多いのだ。

中には「勘違い」や「先走り」だった場合もあるが、そうしたおせっかい含みの「思い遣り」が、彼女と彼らの物語が合流し進んでいくための閾値を超す契機になっているのである。

例えば「鉄道員オズワルド」には、次のような場面がある。

この町には、リグストロを取材しに来て以来、再訪したことはなかった。電車からの風景には心打たれたけれど、長居しよう、という気持ちの起こらない、魅力に欠けた町だった。
手伝ってあげたいのはやまやまだが、あれだけの分量を読み終えるには、数日どころか数年かかっても無理かもしれなかった。安請け合いする前に詫びて、ミラノに戻ろうか。
考えあぐねていると、リグストロがこちらの心の内を見透かしたように、「なんだったら、しばらくこの町に滞在なさるのもいい。家なら探しますから」
そうでしょう?と母と娘を見て同意を求めた。二人は申し合わせたように、頷いている。
少しミラノから離れてのんびりするのもいいかもしれない、と考え直す。

この会話を機に、内田さんはこのリグリア州の片田舎にしばらくとどまる。

そしてその日の夕食で、鉄道職員の両親と大学生の娘が送る数奇な暮らしの全貌を知り、やがて突如訪れる悲喜こもごもを目の当たりにすることになる。

もうひとつ、「六階の足音」から挙げてみたい。

それで何か、と用件を問うような顔でイーダがこちらを見たので、おずおずとリボンをかけた箱を差し出した。
早速に包みを解き、うれしそうな声をあげ、礼を述べてから、
「でも、どうしてわかったのかしら」
照れたような顔をして訊いた。その質問の意味がわからず、私がしどろもどろしていると、
「ご察しの通り、明日から二人で暮らし始めます」
今の書棚に置いてある額に入った写真を見ながら、そう言った。そこには同じく白髪の男性が、実に品良く微笑んでいた。

上階の老婦の部屋から早朝と深夜に響くヒールの音について、通い慣れた小売店の店主に話したところ、クリスマスの挨拶がてら柔らかい革靴を室内履きとして贈っては、と勧められた内田さん。

しかしいざプレゼントしてみたところ、会話が噛み合わない。実は老婦は自分に対してではなく、まもなく同棲し始めるパートナーへの歓迎のしるしと勘違いしていた、という場面だ。

これを機に老婦だけでなく、元裁判官や哲学教授など他のユニークな住人との交流が始まり、活気あふれる近所付き合いを楽しむようになる。

やがてこの老婦とパートナーを思ってもみない悲劇が襲い、内田さん自身もショックに沈むが、そこで再び馴染みの店主の提案を聞き、救われた気分になる。

気迷いを読んだ田舎町での滞在の後押しも、勘違いで意図せず老婦の心を掴んだサプライズも、それなしには彼女が彼らの物語に合流することはなかった。

それだけ、そのとき内田さんの心を(時に過剰に)察し、ぐいと引き込んだ彼らの「思い遣り」の意味は大きかったのだ。

そして、ひとたび共に流れることが決まれば、身を委ねてすぐに順応してしまう彼女のしなやかさを、もちろん忘れてはならない。

舞台となる土地には厭わず居を構え、時間をかけてその地の環境や人を探ってゆく。現地に暮らしていればこそに思える軽やかさは、旅の制約に泣いてきた身からすれば羨ましい。解説で田丸公美子さんが評しているように、内田さんはまるで透明人間のようである。

自分が合流するかもしれない誰かの物語、あるいは逆に誰かが合流してくるかもしれない自分の物語は、身の回りで混沌と渦巻いている。その糸口はもしかすると、心中へのささやかな闖入に身を委ねることにあるのかもしれない。

この記事が気に入ったら、サポートをしてみませんか?気軽にクリエイターを支援できます。

4

覚え書き

日記、雑記、読書録など。
2つのマガジンに含まれています
コメントを投稿するには、 ログイン または 会員登録 をする必要があります。