「見立て」はなぜ必要か

大学時代、ある茶会に参加した時のこと。卒業後に上京する上級生たちの送別という趣旨で、後輩がしつらえた場だった。

はじめの挨拶で彼女は、次のように語った。

今回はひな祭りも近いので、お菓子を「ひちぎり」にし、金沢で買った金箔入りの懐紙に置くことで、東京の夜景に浮かぶスカイツリーを見立てました。

ひちぎりは子供の成長を祝うお菓子。もう子供ではないけれど、東京でさらなる飛躍を、と願うには良いお菓子です。

成長を祝う“ひちぎり”を金箔入りの懐紙に置いて、夜景に浮かぶスカイツリーを見立てる。それによって、東京での活躍を願う気持ちを表す。
このように文にしてみると、見立てには「モノ」と「想い」をつなぐメディアの役割があることがよくわかる。

見立てを設えた本人から言葉で説明を受けなかったら、お菓子にこのような想いが込められていることまで自ら読みとるのは難しかっただろう。
しかしだからといって、「結局言葉で伝えるのなら、見立てはちょっとした見た目の遊び心でしかない」と言い切るのも違う。

見立ては確かに、モノと想いの間にあるいわば“まわり道のメディア”だと言えるかもしれないが、そのまわり道には、モノに込められた想いを一層増幅させて受け手に伝える役割があるのだ。
そしてそこには、「空気を読む」という言葉に象徴される、日本人らしい“想像力”が大きく関わっているような気がする。

これは、江戸時代から伝わる日本の伝統的な奇術「手妻」だ。手妻も、モノを何かに「見立て」、それを用いてストーリーを展開するものである。

手妻を披露している手妻師の藤山さんは、冒頭でこのように語っている。

この見立てというところで非常に大事なのは、お客様に想像の余地を残すことです。

受け手に、“想像力”を働かせる余地を残す。

それはまさに、想像していたことと違っていた時の意外性から来る驚きや面白さ、そして想像以上のものがそこにあると知った時の感動の可能性を残しておくということなのだ。

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覚え書き

日記、雑記、読書録など。
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