「つなぐ」ための物語の効用――『物語とふしぎ』

まだ学生の頃、作家のいしいしんじさんが大学に講演に来られたことがある。演題は、「呼吸する小説」。これまでいしいさんの脳内で巻き起こってきた摩訶不思議な発想の数々や、創作にまつわるエピソードに耳を傾けては、思わず声を出して笑ったり、唖然としたり、しんみり感動したり。まさに“奇人”と言われるいしいさんの世界観一色だった。

ふしぎな質問と、いしいさんの物語り

そんな講演も終盤に差し掛かり、質疑応答の時間が設けられたときのこと。最前列に座っていた年配の女性が立ち上がって、次のような質問をいしいさんに投げかけた。

私は以前から、まわりに誰もいないのに人の声が聞こえることがよくあるんです。いつも何かが私に話しかけてきて、どうやっても消えないの。それなのに、そのことを警察やいろんな役所に言ってもまったく取り合ってくれない。何もしてくれないんです。私、どうしたらいいですかね。

一見、講演の内容とはほとんど関係ない、藪から棒な問いかけだったので、僕は一瞬、唖然とした。そんなつかみどころのない悩みを突然いしいさんに訴えてどうするのか、と。無意識のうちに、厄介な人だなぁという眼差しまでも向けてしまっていたかもしれない。

ところが、いしいさんは表情一つ変えず、ほんの2、3秒じっと何か考えたのちに、その女性に向かって静かにこう答えた。

あなたに何かを語りかけてくるというその声を、もう一度よく聴いてみてください。それは本当に、警察の人や役所に勤めている人たちが話しているような言葉遣いをしているでしょうか。彼らが使っている言葉と同じでしょうか。

たぶん、違うはずです。だから、あなたに声が聞こえるのは警察のせいでも役所のせいでもないし、彼らに言ってもあなたには何もしてあげられないのです。

では声の正体は一体――?

僕はきっと、かつてこの京都の地で生きた文豪たちの声なんだと思います。京都には、素晴らしい作品を遺した作家たちの文章が、無数のたましいの声となって、街のあちこちで響いています。そのたましいの響きと、通り掛かったあなたの心とが共鳴した時、彼らの声があなたの耳に届いているのです。

今聞こえてきている声が不快だということは、あなたはまだ、本当に自分の心と響き合う声に出逢えていないということです。だから、これからまたたくさんの文学に触れて、心地良いと感じる声の主を探してみてください。

時間にして5分程度のやりとりだったが、それはまるで、即興で書き上げられた一つの物語を聴いているようだった。

質問をした女性は、どこか胸のつかえが取れたような様子で、軽く会釈をして腰を下ろしていた。

この一幕は、その後しばらくの間、頭の中で幾度となく思い返してしまい、そのたびに僕は言いようのない後ろめたさを感じた。この後ろめたさの正体は一体何なのか、そしてそもそもあの質問と応答は何だったのか――そうした漠然とした疑問が、心の中にこだましていた。

後ろめたさの正体

そんな折、やはり大学の大先輩にあたるユング心理学の大家、河合隼雄さんの『物語とふしぎ』という本を読んだ。『赤毛のアン』や『不思議の国のアリス』、『風の又三郎』といった児童文学の名作を紐解きながら、「ふしぎ」や「おどろき」の感情と、物語が持つ意味について考察している名著だ。

ふしぎやおどろき――それは「あたりまえ」の世界に異なる角度から光を当てるもの。知識を得ることで解消してしまうこともあれば、満たされずに追究し続けなければならないこともある。物語とは、そんな満たされないふしぎやおどろきを心に収めるために創り出される、一つの答えである……

この本の中で、カニグズバーグの『ぼくと〈ジョージ〉』という作品が取り上げられる一節がある。心の中にふたりの「じぶん」を持つとある少年を描いた物語だ。取り上げられていたのは次のような場面だった。

――主人公のベンと、ベンの心の中にいる、ベンとは異質の存在「ジョージ」は、性格や気質が互いに相容れないために、家族や友人との関係についての考え方をめぐってたびたび衝突している。
ある日、離婚した父親の再婚相手マリリンが、ベンと「ジョージ」が言い争っているのを聞いてしまう。マリリンはベンを「精神分裂症」と断定し、ベンの母親にベンを精神科に連れて行くように説得する。それだけでなく、彼を自分の娘であるフレデリカから遠ざけようとする――

この場面を引いて、河合さんは「もう一人の私」の存在の捉え方について考察を深めている。ここでのマリリンの振る舞いを分析して、河合さんはこう語る。

マリリンの心理学の知識は、分類し、切り棄てることに役立った。ベンを「精神分裂症」と断定し、「正常な」自分たち家族から、異常な存在をいち早く切り離すことに成功したのである。(……)

しかし、果たしてそれでいいのだろうか。(……)マリリンが生半可な分類の知識だけではなく、人間にとって何ともふしぎでわけのわからない「愛」とでも言うものを少しその考慮にいれていたら、彼女はベンを切り棄てるのではなく、どのようにつながっていくかを考えていたに違いない。

そして「つなぐ」ためには物語が必要なのだ。知識によって切るのではなく、つながっていく物語をどのように創り出すのか。(……)

この考察を目にした瞬間、頭の片隅にあった例の体験が、不意によみがえってきた。そして、足りなかったパズルのピースが収まるように、自分の疑問が腑に落ち始めた。あのときから僕を覆っていた「うしろめたさ」の正体と、いしいさんと女性の問答の意味がようやくわかったのだ。

女性があの質問をいしいさんに投げかけた時、僕は確かに直感的に、彼女が精神的な不具合から来る幻聴に悩まされているのだ、という「断定」を下してしまっていた。ほとんど無意識のうちに、まさにマリリンがベンに向けたのと同じような「切り離す」視線を送ってしまっていたのだ。

ところが、いしいさんはそこで、「過去の文人が放つたましいの声が彼女の心と共鳴している」という、彼女の内面に寄り添った物語を語った。それはまさに、彼女とつながろうとする試みだった。

そこでは、精神的な不具合が幻聴をもたらすとか、亡くなった人の声が聞こえることはないという、外的事実に縛られた物語は、どんなものであれ、おそらく彼女を切り離すものでしかない無力なものだ。

僕の「うしろめたさ」の正体はおそらく、そんな無力な物語でもって、かの女性の「ふしぎ」を解いた気になっていた、安易で傲慢な自分を恥じる気持ちだったのだ。

つながるための物語を用意しておくこと

「『そのときに、その人にとって納得がいく』答は、『物語』になる」と言う河合さんは、先の本の中で次のようなことも語っている。

……自分が人間としていかにその存在を他と共有し合っているかを思うと、多くの人に共通の重要な物語があることも了解できるであろう。

このようにして自分の人生を生きるとき、死ぬときにあたって、自分の生涯そのものが世界の中で他にはない唯一の「物語」であったこと、「私」という存在のふしぎがひとつの物語の中に収められていることに気づくことであろう。

自分の人生を豊かで、意味あるものとするために、われわれはいろいろな「ふしぎ」についての物語を知っておくことが役立つのではなかろうか。

自分が生きる上で心地良い環境を整えるために、忌み嫌うものを避けることはきっと正しいことだ。

ただ、それが本当に自分と切り離さなければならないものなのか、むしろつながるための物語を用意することで、より豊かな環境を作ることはできないかを考えることもまた、一つの選択肢として残しておく必要があるのではないか。

一連の体験は僕にとって、そういう反省を促す大きな教訓になった。

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