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01|僕のしびっく・ぷらいど

京都で暮らしはじめて、早6年半。就職してからは東京出張にも毎月2、3日ほど出かけているので、1年を通してみれば東京でも1か月分くらいの時間を過ごしていることになる。

京都も東京も、物心ついたころから否定しようのない「憧れの街」だったけれど、どちらの街の風景にも、はじめはかなりとまどった。「どこを歩いていても観光になる街」と「いつまでも工事が終わらない街」(たぶん、渋谷駅周辺の記憶が強烈に残ったのだと思う)——それが、それぞれへの第一印象だった。

大学への入学を機に京都に引っ越してきた19歳の春までは、ずっと故郷の和歌山にいた。

経験上、初対面の人に「和歌山出身だ」と言うと、返ってくるコメントには八割方、「パンダ」「みかん」「高野山」のどれかの単語が入っている。

“自己紹介で出身地を答えた時の和歌山あるある”を調査したわけではないけれど、これに「クジラ」「熊野古道」を補欠として加えれば、だいたいのリアクションが網羅できるのではないだろうか(マツコ・デラックスの番組とか「水曜日のダウンタウン」あたりで調べてほしい)。

これらはもちろんイメージとしては間違いないし、それはきっとわが和歌山県の長年の観光プロモーションの賜物だ。でも残念ながら僕が生まれ育ったのは和歌山市なので、はっきり言ってどれも直接ゆかりはない。

パンダはそこそこ遠い白浜町だし、クジラはもっと遠い太地町だし、高野山や熊野古道はまだ1度しか行ったことがない。唯一、みかんは確かに小さいころからよく食べていた。なので一瞬、顔がほころぶけれど、この場合も「実家でみかん育ててたんですか?」という質問がしばしばセットになるので、結局申し訳ない顔で否定せざるを得ない。すみません、そんなに庭は広くありませんでした。

かと言って、和歌山にとってはシンボルである(はずの)紀州徳川家ゆかりの和歌山城(@和歌山市)の名を不用意に出せば、今や繁殖技術で世界中の耳目を集める大熊猫の話題でコールド負けするのは目に見えている。

要するに僕のふるさとは、ただでさえ「近畿のお荷物」的なポジションに追いやられがちな和歌山県の中の、真面目だけど正直頼りないキャプテンのような和歌山市という町だった。

そして時は流れ、京都や東京というファンタスティックな街々に少しずつ馴染むにつれ、僕のふるさとに対するいわゆる「しびっく・ぷらいど」は、こうした無邪気で残酷な自己紹介がジャブのように積み重なったことも手伝い、それはそれはしおれにしおれていった。

もういっそのこと、ファンタジスタ・キョウトで生まれ育ったことにしてしまおうか——。それくらいの気分になっていたときに、その他ならぬふるさとで、とある短い、でも大事な旅をした。

これは、僕がふるさとでのとりとめもない記憶をたどりつつ、しおれまくったしびっく・ぷらいどを取り戻すまでの物語です。

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