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noteを書く容量が残ってないからこじ開けたい

最近の一番の悩みは役職が変わって仕事が忙しくなり、仕事に慣れるのに必死で仕事が辛いこと。そしてその次の悩みがnoteを満足に書けていないことだ。

下半期に役職が変わりそれに伴い残業が増え、プライベートの時間が以前よりも減った為noteを書く時間が足りていない。仕事で頭を使うと、noteに書くアイディアも出辛くなってくる。時間的にもこの頭のスペック的にも、今の自分にはnoteを書く容量が足りていない。

一人暮らしだともう少し時間の確保とかは出来たのかもしれないけど、家族がいるとなかなか難しい。これから子供が産まれたら、もしかするとnoteなんて全く書けなくなってしまうのではないだろうか。

今でさえ常に「note書きたい…」というモヤモヤが頭の片隅に住み着いているのに、全くnoteを書けなくなってしまったらどうなってしまうのだろう。いつの間にか自分の頭の中からnoteという存在がすっぽりと抜け落ちてしまわないかが心配だ。せっかくここまで『文章を書く』という趣味を続けてこられたのに、何もなかったかのように自分の中から消え去ってほしく無い。

そういう恐怖心があるから、文章を書けないと謎の焦りを感じる。毎日のようにnoteを投稿してる人とかって頭の中や私生活の時間割がどうなっているのだろう。そういう自分の憧れる生活が出来ている人の生活を覗いてみたい。
いろんな人の生活を覗き見て自分に取り入れられるものを取り入れて自分も成長出来るのか、はたまたただ凄さを体感して「すげーストイックだなー。ここまでは俺には出来ないや」という感想を述べて終わるのか。なんか自分の性格的に、後者の「ただすごい人の無駄の無い生活を見て終わり」のような気もするな。

一日の細かい隙間時間を一つにまとめる能力でもあれば良いのに。通勤の信号待ちをしている時間とか、仕事中のほんのわずかな無駄時間とか、シャワーが水からお湯に変わるまで震えながら無駄撃ちする時間とか。かき集めれば一日数十分にはなるのではないか。

そういう時間をnoteとか自分のやりたいことに充てれる能力があればどれだけQOLが上がることだろう。今年はそんな能力が欲しいです、神様。まあでもそんな能力があって時間をかき集められたとしても、動画やSNSについつい時間を奪われて無駄にしてしまう気もするけど。

あれ、そうなると今自分に必要なのは時間や頭の容量よりも、わずかな時間でやることを成せる集中力なのでは無いだろうか。気付いていたけど気付きたく無いパンドラの箱を開けてしまったような気がする。またそっと蓋をしたいけど、そうなるとまた同じように「noteが書けない」とか言っちゃうんだよな。蓋をする前に、もうちょっと向き合ってみようか。

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