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ストレスで禿げそう。


いきなりこんなことを書くとめちゃくちゃに心配されそうだから最初に断っておくと、会社はピュアホワイトです。
禿げそうなストレスはケニアに浸透し切った賄賂文化から。そしてそれに迎合できない自分の性格から。
今日は文字に起こすことで怒りを整理して落ち着こうキャンペーンを開催中です。ケニアの賄賂文化に興味がある方は、最後までお付き合いください。

公共サービスほど腐敗が深刻

遭遇頻度No.1は”交通警察”

ケニアの交通警察は青い制服に、暗い時間帯には黄色リフレクターを着てますが、まず「目を合わせない」が鉄則です。別にそんなに眩しくなくても運転中サングラスかけるようになりました。
停電で信号が機能してない時はともかく、信号が動いてるのになぜか手信号で交通整理、もう1人が止めた方の車の列から粗探し、からの賄賂要求。素晴らしいチームワークですね。
よくチェックされるのは自動車保険が切れていないか。フロントウィンドウに保険証書を貼るのが必須なので、スマホと睨めっこしながら保険の切れる日付をチェックされます。何かしらの保険に加入するのは義務なので、その穴を発見するのは相当頻度が低いと思います。運転する側も気をつけてます。
次に車体をぐるっと一周チェックです。タイヤすり減ってる、擦った跡がある、ナンバープレートがちょっと曲がってる…「これだと刑務所にいくことになるなぁ(嘘)。あ、俺これからお昼ご飯なんだよね。あ、意味わかるよね?」うーん、わかんないすね、タイヤ先週替えたばっかりだし。

今のところ一番効果的な対処法は、
「ほんと?困ったなぁ、とりあえず大使館と弁護士に電話していい?困った時は電話してって言われてんだよね」
です。「困ったなぁ」でめちゃくちゃ困った顔をするのが肝です。
信号が変わるまでor後ろの車たちが痺れを切らすまで粘ったら勝ちです。

動かない車vs警察「動かせ!」

つい数日前、仕事で輸入直後の車を移動中、なぜか徐々にスローダウン、そして道の途中で停止。とにかくパニック。一旦ハザードをつけて、エンジンを切って、再スタート…スタートしない。路肩に寄りたいけどそれすらできず、お手上げ。(後日、車は無事直りました)
朝の交通量の多い時間帯、近くの交差点で交通整理をしていた警察官がすっ飛んで来て、窓を開けろのジェスチャー。開けた瞬間"What are you doing? You are causing traffic!" あー、せめて第一声は"Are you okay?"とかにしてくれない?心配するフリして?むちゃくちゃ責める気で来てるやん。
その後は「路肩に動かせ」「動きたくても動けない」の押し問答。もともと点検に向かう予定だったので「自分でけん引呼ぶから、そしたら動けるから。交通を妨げたことに対する公式な罰金があるなら払うから」と説明しても「警察官が動けと命令してるのに動かない、問題だ!」の一点張り。
チェックと称して免許証を没収され、記録を取るでもなく、免許証は警官のポケットへ。うちの会社のドライバーが警官と話して取り返して来てくれましたが、5,000KES(今のレートで6,000円くらい)要求されたとか。
結局賄賂要求に躍起になって、後ろの車列を整理するわけでもなかった様子の警官。これで5,000KESもらえるなら、うちの社員には月100万くらい払ってあげないといけないです。

なんなら、どうにかニュートラルに入れた後頑張ってデカイ車押してくれた路上パフォーマーの兄ちゃんたち、手伝ったからその分くらい請求してくれていいのに、「困った時はお互いさまだからね、それよりも警察とトラブル、sorry(「ご愁傷さま」の意)」と言っていなくなった。
公共サービスであるはずの警察が、市民の共通の敵って、どうなんでしょう。

わざとシステムに問題起こしてる?”国交相”

どうしても仕事の関係で、またまた車関係。
日本でいう国土交通省にあたるNTSA(National Transport and Safety Authority)が車の所有権を管理するオンラインシステムを持っているんですが、これが、クオリティがひどい。コードが書けるわけでもない人間がクオリティが…とか言っちゃいけないけど、かなり仕事に支障が出るレベル。
例えば、うちの会社がファイナンスしている、Uberなど乗客を乗せる車は車検が必須。もともとはシステム上でいつでも予約できたんですが、ある日突然のシステム変更で紙の権利書類が出てくるまでは車検を予約できないという仕様に。(いや、事前に通知してよ…)でも、公式にそういうルールになったなら仕方ないと権利書発行を待ってみる。やっと権利書を窓口で受け取って、さあ予約、と思ったらまだできない。電話で問い合わせたら「あ、それ権利書受け取りステータスが”受け取り済み”になったら予約できるよ」とのこと。なるほどなるほど。で、今日受け取ってきたんだけど、いつそのステータス更新される?「あーわからん、自動じゃないし。3,000KESで俺やっとくけど」えーまさかの手動。

どうにかこうにかソリューションを発見して、権利移転に関して問題が少なくなってきたけど、また事前の通知なしにどんなシステム改修(改悪?)があるかと思ったら、頭痛が止まらん。
Uberドライバーは車検が必要、車検通過の証明書がなければアプリに車を登録できない。顧客からの聞き取りによると、車検に行っても「あれが悪いこれが悪い、いくらで見逃してやる」で車検代1,050KESを超える賄賂がほぼ全ての車に要求されるらしい。拒否すると、"fail"の証明書を出されて車検を受け直す必要があるので、泣き寝入りするしかない。その1,000KESは何時間も運転して、稼いだお金なのに。

いやいや司法も染まってんの?

さすがに司法くらいは、健全であってほしいと、最後の砦みたいに思っていました。そこが揺らいだら、そもそも法治国家として成り立たなくなるので。ところがここでも。
別に何も争ってはないんだけど、正式な書面が必要な案件があり、簡易裁判所に必要書類を提出。特に公聴とかもなく、単純に書類を処理して判を押すような手続きのはずなのに、全然結果が通知されてこない。問い合わせたら「あー1件あたり15,000KES払ってくれれば、明日には出せるけど」はい出ました、まぁみんな払ってるけど?みたいなノリ。払わなかったら?と聞いたら結果出るのは3ヶ月後だそうな。

これ、今回の件は単純に処理してもらうだけだけど、勝ち負けがある裁判もこうなんだろうか?袖の下要求されて、うちの会社それ払わないポリシーだからって言ったら民事の裁判負けるんだろうか?
さすがにそこまで腐ってないでしょとうちのケニア人社員は言うけど、優先順位を左右できるなら、結果だって傾かないとは限らないと、自分は感じてしまいます。裁判を起こす(or起こされる)ような事態にならないのが一番だけど、万が一そうなったら、ガッチガチに証拠を固めて、ぐうの音も出ない状態にしていかないと安心できない…

賄賂は合理的解決策か

程度に差はあれど、なにかしらの形でほぼ毎日感じる、ケニアに浸透した賄賂文化。外国人である自分がターゲットにされるのは、これまでも外国人がそれを払ってきたからで(払いたくて払ったとは限らない)、賄賂自体も、それを難なく払える人にとってはある程度便利で、ある意味合理的なものなのかもしれません。何かをアウトソースするのと同じように、手数料だと思って払えばそんなに嫌悪感は強くないのかもしれません。

自分にとって賄賂とチップが圧倒的に違う理由

日本人には、レストランでチップを払うことにあまり馴染みのない人が多いと思います。自分もそうでした。初めてアメリカに行った時に、レストランでカードで払うと伝えたら、ごく自然に20%乗せられてて、ビビりました。
ケニアは慣習的にチップを払うことは必須ではないです。比較的高い価格帯の店に行くと、それなりにチップを置く人もいますが(欧米の人は特に)。カフェなどで少額でもチップを渡すとびっくりされたり「ほんとに?いいの?」と確認されたこともあります。
自分は財布に余裕がある時には、チップを渡すようにしています。笑顔で接客してくれたり、手際がよかったり、ハキハキ話してくれたり、Uberだったら安全運転だったり、そういう人にだけ。忙しくなさそうだったらサービスに対しての謝意を伝えるし、そうでなくても、その人が明日もポジティブに仕事に出かけるエネルギーになったらいいなと思っています。
チップを渡すときの自分を思い返すと、いつでもポジティブです。それはケニアがチップ必須の文化ではないことの恩恵かもしれないけど(必須というか、それが当たり前の場所だったら、サービスがそんなに良くなくても、渋々払うことになるから)、気持ちよく払っているし、自分が決めた額を決めた人に対して渡しています。そして受け取る人にとっても、きっとポジティブであると信じています。

一方で賄賂を要求される時の心理といったら、これ以上ないほどネガティヴです。いやいや税金たくさん取っておいてこれか、とか、外国人である自分をターゲットにして腹立つ、とか。払う方が「このサービスはいくらに値する」「いくらだったら適正だろうか」とか考える余地はなくて、たくさん取れそうな人から取る。警察の制服を着てることによる恩恵を享受して、義務は果たさない。
賄賂を「チップと同じ」と言うケニア人もいますが、自分はやはりそう飲み込むことができません。

立場の弱い人ほど損をする構造

公共サービスの賄賂ばかり例に挙げたのは、個人的に、それらが一番悪質だと思っているからです。民間であれば、どんなケースでも代替案を立てることができます。(絶対にないですが)うちの社員が「私に5,000払ったら、手続きを優先してあげる」と言い出したとして、払いたくなければ、別の会社からローンを受けるか、別のスタッフを経由して上長に報告が入れば、もちろん懲戒対象です。
しかし公共サービスは話が違います。警察の制止を無視して車を走らせ続ければ彼らは”公務執行妨害”のカードを振りかざすことができるし、国交相指定の車検を通過しなければローンを受けて車を手にしても、Uberの仕事を始めることはできません。簡易裁判を早く進めるために15,000KESを払える人は「早まって便利だ」と思っているかもしれませんが、そのケースが3ヶ月スタックすることで仕事や生活に支障が出る人ほど、その金額を捻出する余裕がないかもしれません。

”外国人”だからこそ折れてはいけない

他のアフリカ諸国でも同じかもしれませんが、ウガンダとケニアで生活したことのある自分は、トラブルを回避するために、要求されるがまま現金を渡す外国人をたくさん見てきました。日本人を含めてです。
時に、必要なこともあるかもしれません。数百円数千円で膨大な時間がかかることをサクサク進められたり、大きなトラブルを回避できるのなら、必要経費かもしれません。それが判断として正解な時があることは否定しません。
求められる金額も、(学生の時はキツかったけど)正直法外な額ではありません。もちろん、ケニアの平均の給与水準を考えると、大きな金額ですが。
それほど財布に痛くない金額で、大きなメリット(もしくはデメリットやトラブルの回避)。きっとこれまで何十年も、そうやって払ってきた外国人がいて、今があると思います。
「外国人」だからこそ簡単に払ってはいけない、と自分は思っています。

賄賂文化が消える時はくるのか

これが解決することは、ずっとないのかもしれません。スマホが普及しても、モバイルマネーが普及しても、なくならなかったですし。
政府や警察は、一応「賄賂をなくそう」みたいなポーズは取っていますが、それほど必死に取り組んでいるとは思えません。道端に立っている交通警察は現金でしか賄賂を受け取りません。モバイルマネーで受け取れば電話番号と名前がバレて証拠も残るからです。本気でこれをなくしたければ、制服にフルネームを刺繍して、専用の通報チャンネルでも設ければいいと思います。9割超を懲戒することになって日々の業務に支障が出そうですが。

日本だって、欧米だって、こういう暗黙の了解があった時代を辿ってきたはずです。
東京オリンピック関連であれこれ贈収賄のニュースが出ていますが、少なくとも自分は日本で生活していて、警察官に賄賂を要求されたり、組織の経費として積めないような支払いを要求されたことは、一度もありません。
何十年かかるか、生きているうちに実現するかわからないですが、ケニアにもいつかそういう時代が来るはずだと思っています。
(きっと専門的にこのあたりの研究をしている人もいると思うので、何がトリガーになって賄賂文化が衰退していくのか、ぜひ勉強したいところ。)

最後に

頑固な自分を誇りに思っています

合理的な選択として、賄賂を渋々飲み込む人を、批判するつもりはありません。つらつらと5,000字近く書いたことは、全て自分の経験に基づく個人的な考えで、人には人の事情があるので、これが常識とか良識とか声高に叫ぶつもりはありません。
個人的に、反対。嫌だ。腹が立つ。ない方がいいと思う。それだけです。

うちのケニア人社員によく「ゆめって頑固だよね」と言われます。イレギュラーには柔軟に対処していきたいけれど、原則に沿って対応できる場合は基本的にそうするようにしていて、その姿勢が「頑固」と形容されているみたいです。「もうちょっとゆるく行こうよぅ」というちょっとした批判の意で言われてることは承知してますが、「頑固万歳、やり直し」と突き返すことが大半です。
これからもしょっちゅう経験するであろう賄賂問題、基本的には頑固を貫きたいと思っています。警察とトラブって、ほんとに弁護士や大使館に電話することがあるかもしれないし、いつか会社にSecurity officer的な人が必要になるかもしれません。
この頑固がどこからやってくるかは明確で、自分の周りにはもっと真面目に働いてる人がたくさんいるからです。Uberドライバーが何時間運転して5,000KES稼ぐのか、うちの社員が週5フルタイムで月収いくらか、考えたら数千KESを"easy money"でゲットする人間を看過できません。

↑このnoteの後半に書いていますが、自分が仕事にしていることが、時間がかかっても大きな変化を社会に生むと信じているし、それを仕事にできていることはものすごく幸せなことだと思っています。

大学の卒論を書く時、ゼミの先生に「怒れることをテーマに書きなさい」と言われました。好きなこととか興味のあることは移ろいやすいけど、怒りのエネルギーは長く続くからと。(案の定、「気になってる」程度のことをテーマに執筆を始めて、後半飽きて苦戦しました笑)
HAKKIのVisionは"誠実な努力が公平に報われる世界"だけど、"誠実な努力が公平に報われない世界"に怒っていて、言い方を変えてしまえば、誠実じゃない人を淘汰する…!になるのかもしれません。ただ、罰を与えるのはきっといたちごっこで、それを掻い潜る方法が新たに生まれてしまうだけなので、建設的じゃないです。真面目に働くことのインセンティブを増やして行って、気づいたら圧倒的な差がついていた、という仕組みを浸透させて「こっちの方が得だな」と誰もが当たり前に判断するようになるのが、HAKKIの目指すところです。

まだまだ、やることがたくさん。ストレス〜とか言ってる暇なんてないので、明日からもせっせと働きます!


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