夢蒟蒻
毎日一つ嘘をつきます。誰も傷つけない嘘を。
日記とは名ばかりのメモ集
何を言っているのか己でもわからない
言葉と遊ぶ遊び
超短編小説。気が向いたら書きます。
ランドセルに木の枝が入っていた。 何の木かはわからない。長さは10cmくらいで、先が二股に分かれいる。にぎるとヒンヤリと冷たい。少し強く握ると暖かく、微かに生命を感じた。ただ、それは手のひらの温もりである事はわかっていた。 デコボコとした表面はかさぶたが固まったようでもあり、恐竜の皮膚のようでもあった。恐竜を思わせるさわり心地を気に入り、僕はそれを勉強机に飾る事にした。 勉強机にはいくつもの先客がいる。 母の旅行土産のクッキーが入っていた空き缶と、そこに入れた鉛筆たち。消
ボールペンをバラしたらバネが出てきた。 指先で潰したり、伸ばしたり、くるくる回しながら螺旋を辿ったりとしていたら、気が付くともう休み時間になっていた。 書き途中のノートには「ラクダよりもペンギンの、かさ」とだけ書かれていて、続きを確認しようにも黒板はもう綺麗に消されていた。 なんだかよく分からない。 今日の授業の内容はテストに出ないといいな、と願うと、バネがぴょんと跳んで、「気にするなよ」と言っている気がした。
子供のころは、ピアノの黒鍵の上をスキップをするように走っていた。 後ろから、綺麗な音楽がついて来るようになった。 すぐに追い抜かれ、大人になるとどこかへ行ってしまった。 スキップはもう、しばらくしてないな。
教室を思い出すといつも不安になる。 なにかが、変。ずっと。 違和感は最初から感じていた。 黒板が真っ黒なんだ。 確かにそうだ。本来、黒板は緑色のはずだったんだ。 あの黒板消しのせいだ。消しすぎた。なにもかもなくなってる。 早く黒板消しクリーナーを用意しないと。それもとんでもなく大きな。 一回、吸い込ませて綺麗にしよう、全部。 全部。
今年の抱負を連ねた文章を書いていたけれど、達成しようとする事が嫌になってしまった。 気の向くままに暮らす一年にしよう。
茄子を詰めたロケット。 それを太陽へと打ち上げる。 これでよし。 大晦日は遅くまで起きている人が多い。 そのため、どうしても多少は夢の提供が混み合ってしまう。 対策として、幾分かの夢を似通ったものにする事で、ある程度の負荷を低減させている。 幸い、おめでたい夢として共通の認識が広まっているので、それに則っておけば不満や不信は出にくい。 ロケットに詰めた茄子は、初日の出の共に夢に現れるだろう。 最近はなんでか、初夢は元日の夜に見る夢だなんて言われてるけれど、そんなのは面倒
家を出ると、また、玄関の目の前で巨大な林檎が回っていた。 今日のは、おおよそ2m前後の大きさだ。 芯を軸に横方向に高速回転し、ブウウンと低い音を上げている。 回っているのは良いことだ。 急いで家の中へ戻り、キッチンから果物ナイフを手に取り、林檎へと向かう。 高速で回転していることを利用すれば、皮を剥けるはずだ。 背伸びをして、果物ナイフをそっと林檎の上の方へ添える。 キュルキュルと細長く赤色の帯が誕生する。 腕を持って行かれないよう、両手で踏ん張る。 丁寧に角度を調整し、
今年のサンタクロースは、ソリの上から袋いっぱいに入れたビー玉を夜空へと撒く事で、まとめて子供の希望を配るそうだ。 望みの多様化に対しての対策らしいが、個人的にはとても嬉しい。 夜空にきらめくビー玉は、今から楽しみだ。 でもそうなると、去年夜空に撒いた色鉛筆を片付けておかないと。 天袋にしまった折り畳み式のソリの出番かな。
朝、起きたらゴミ出しに行く。 これはいつもの日常。 だいたいいつも寝ぼけ眼で、うつらうつらしながらゴミ捨て場まで、パンパンの袋を両手にふらふら歩いていく。 今日は資源ゴミの日。 プラゴミの袋を入れ、ふと足元を見る。 新聞紙の塊が四つ積まれて置かれている。 新聞なんてここ何年も読んでないな。 ちらっと見てみる。 なんだこの新聞。 一面に「もももももももももももももももも」と「も」という字で埋め尽くされている。 もももももももももも ももももももももももももももももももも
朝から食パンが空を飛んでいる。 今日は特に多い。くるくるくるくると、空を覆う勢いだ。 窓を開けて、布団叩きを長く長く伸ばしたら、ベランダから身を乗り出して食パンを落とす。 ぱんぱんぱん! 三つ取れた。 お、大麦粉入りか。いいね。
帰り道。 突然雨が降ってきた。傘なんて持ってきていない。 仕方がないのでしばらく雨宿り。やむまで待つことにする。 待つこと数十分。 雨は一向にやむ気配はない。 街灯やら車のライトやらが水たまりに反射して、夜の街はギラギラと光っている。 もう諦めて、濡れながら帰ることにする。 走ればなんとかなる距離だ。 雨はどんどん強くなる。 気付けばもう、これ以上濡れようがないほどびしょ濡れだ。 こうなったらのなら走る意味もないし、雨に怯える必要もないし、この状況を楽しんで、のんびり帰
飲み方の席「幼い頃、勘違いしていたこと」という話題で「土星の輪っかは、誰かが輪投げで投げた物だと思っていた」と話しをした。 友達からは「可愛い子供だったんだな」とケタケタ笑われたけど、帰り道、空からは「正解!」と声が聞こえた。 やった、当たった。
砂場。 山を作ったら、強く固めてからトンネルを掘る。 向こう側へ抜けたら、両方から手を入れる。 右手と左手を繋ぐ。 ぎゅっと繋ぐ。 そのまま手を上げる。 えいやぁ。 そうやって内側から山を崩す。 山はわさっと崩壊し、砂にまみれた自分の手が現れる。 両手で繋いでいたと思っていたのだけど、右手も左手も掴んでいたのは砂の塊だった。 その日から砂場が親友になった。
とんでもなく巨大な蝸牛が、地平線を這ってズルズルと進んでいる。 夜空の星を食べてどんどんと、更に大きくなっているようだ。 やがて蝸牛は夜空を覆い尽くす程大きくなり、そしてそのまま、殻にこもり出てこなくなった。 その殻は銀河そのものであり、つまり、その中の蝸牛は宇宙空間なんだろうな。
色々な経験をしてきた。 多くの事を学んできた。 記憶してきた。 その殆どを忘れてきた。 有耶無耶にしてきた。 ごちゃ混ぜにしてきた。 「それで、あなたは、何が出来るのか」と聞かれたら、上手く答えられる自信がない。打算的な返答を用意する事は容易いが、その問いに確かに向き合って答えを出す事は、なかなか出来ない。 ごちゃ混ぜにせずに丁寧に綺麗に塔を立てて、それを己のアイデンティティとして誇れる人ならば、あるいは、自信を持てているのかもしれない。 それでも、例えそうであったとし
バスが来ない。 時刻表に書かれている時間は二十分前に二十分は過ぎてる。 雨が降ると遅れがちなのだけど、流石に遅い。 こんな事なら歩いていたほうが早かったまである。 でもこんだけ待ったあげくに少し歩いて、後ろからバスに追い抜かれたら、半日は立ち直れない。もう意地で待とう。 雨はやんだ。 バス停は読書が捗る。待ち時間だからといって無駄ではない。こういう日のこういう気分でしか味わえない物語がある。 読んでいた短編小説にバス停での運命の出会いが描かれていた。俺にも何か起きないかと