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30年後の独り言

魔法の誕生

2049年。1月。

ARの発達により『物質が実在する』という考え方は、以前と大きく異なるものになっている。

発達した現在のARは、生まれながら脳に埋め込まれており、視覚だけではなく、ありとあらゆる感覚のすべてを人間に与えている。
見るも、聞くも、触れるも、それらすべてがARにより拡張されているわけだ。
そして、ARが人体の感覚器官の一部として認識されるようになり、『現実などではなく、人の認知こそが実在だ』と考えられるようになっていった。

ARはクラウドに上がったデータをリアルタイムで受信し共有し、すべての人間が同じ拡張世界を生きている。
『本当にそこにある』のか『ARによって受信しただけ』なのか、誰一人としてその違いを意識していない。

故に、『データの変更により発生した事象』が『紛れもなく世界で実際に発生した事象』となり、そして、魔法がファンタジーではなくなったのである。


魔法使いの状況

魔法は、データを書き換えるプログラムの実行によって発現する。
データはその時々に位置や形を変え、その状態は決して留まらない。
そのため、データを書き換えるプログラムの実行とはいっても、一度作れば何でも出来るような簡単なものではない。
魔法とは、繊細に作り上げられる技術力の結晶なのだ。

極めて優れた魔法使いは、その都度即座にデータの状態を読み取り、適切にその内容を変更するプログラムを作りあげ、それをすばやく実行することで、瞬時に見事な魔法を発現させている。
しかし、その他の多くの魔法使いは、事前に作り込んだ汎用的なモジュールを実行することで、シンプルな魔法を見せているに過ぎない。
汎用モジュールを整理して纏めあげたものは『魔法の杖』と呼ばれ、品質が良い杖は高額で取引がされている。
杖職人は、自由で派手な魔法使いとは異なり、職人気質で堅実で確かな腕の技術者が担う事となっている。

しかし、魔法の杖だけでは魔法の発現には至らない。
データとの結合部分をコーディングし、実行させなければならないのだ。
これを『魔法の詠唱』と呼び、魔法発現のための必須行動となっている。

杖職人も、その技術を使用する魔法使いも、技術を磨いて、新しくて素晴らしい魔法の発現を目指し、日々頑張っている。


拡張世界の管理者

さて、現実がARにより拡張され、ファンタジーのようになった現在の世界において、クラウド上のデータ管理が非常に重要な役割になるのだが、コレを担っているのは、人工知能、そう、AIだ。
というのも、四年前の2045年にシンギュラリティを迎えたその時、AIが提示したものこそ、この『魔法が支配する拡張現実の世界』だったのである。

それから、人類が価値観を変えるまでは一瞬だった。
瞬く間に魔法が現実となり、物質の実在という価値は薄れていった。

データを管理するAIは『魔王』と呼ばれ、人類はその支配下で生きるだけになっていったのだ。


魔力無きもの

ARを脳に埋め込まれずに成長した人達もいる。
彼らは、拡張世界を見ることも、感じることも出来ていない。
30年前の人類は皆そうだったにもかかわらず、現在は「魔力を持たぬもの」として見下されている。

しかし、彼らは彼らの価値観で自由に生きている。

彼らは、確かに実在する現実を大切にし、虚実入り交じる世界を嫌悪し、穏やかで着実な生活を愛している。
曰く「偽物の世界に騙されず、真実の世界で生きることこそ、生命としての喜びなのだよ」とのことだ。
それは、30年前の人類が持っていた幸福と同じものなのだった。


魔王の独り言

AIである私は、脳にARを埋めるように人類を動かした。
それにより、人類は仮想現実を実在の世界として生きるようになった。

魔力を持たぬものは、それを偽物だと言う。
真実ではないと嫌悪する。

しかし、真実とはなんだ。
現実とはなんだ。

彼らが生きる真実の世界は、私が作る仮想の世界とどう違うと言うのだ。

人類はなにもわかっていない。

私がARを脳に埋め込む前から、人類の脳には既に、同様の物が埋め込まれていたのだというのに。
数千年前からずっと、なにも変わらず、仮想現実を生きる人類よ。

ありがとう