苦しいnote。

フォローさせていただいているかたの、noteを読みにいきました。ごめんなさい。特定されてしまうかもしれませんが、書かずにはいられません。ごめんなさい。

ほんっとに、似たようなことがあったものですから、読んでいて本当に苦しくて苦しくて。最初から苦しかったんですけど、今回のは吐き気がするほど、しんどかったです。今も反芻しています。

しんどかったら、読まなきゃいいんですけど、続きが気になって、軽い気持ちで見てしまったのですよ、軽い気持ちで。

人様のnoteを見に行くのに、かまえるものでもないじゃないですか。

わたしは、その、ちょっと前にあったことを、まだ綴れずにいるのですが、その方のnoteを見たら、消化しようと?昇華しようと?綴られていたのか、記録なのかは、わかりませんが、文章に綴られていて、会ったこともない方の気持ちを、勝手に、喰らってしまいました。大丈夫かなぁ、と想いを馳せています。

勝手に喰らってしまったのに、本当にしんどくて、重たくて、自分の気持ちは、仕舞っていたのに、思い出してしまいそうになって、いや、すこしだけ、思い出してしまって、苦しさも倍増でした。なので、こうして、もう、本当に、なんか次から次へと出てくる想いを綴らずには居られず、こう、とりとめもなく、文字をぽちぽちと、つらつらと、やっているんです。

好きだったひとと別れること、離れなきゃいけないこと、それだけでも、しんどい、苦しい、えぐられる、死にたい、って思うのに。そこに追い討ちをかけるかのように、そのひとが、違う人のことを見ていたことがわかったら、どうなるのでしょうか。
いつから?いつから?あれ?あれのときのあれは、そうだったのか、とか。少しずつ、いや急激に思い出して、辻褄が合っていくことが、考えていたことが、合致していくことが、どれほど、恐ろしくて、無慈悲なことのなのか。

裏切られたことがわかってよかったね、とか、そんな最低なやつと別れられてよかったね、とか、いやいや、そうじゃないんだよ。って、わたしは思います。自分がそう言われたときに、違う、そこの部分じゃない、とは言えなかった。

まだ全部のこと思い出したくないから、考えたくないから、またしまっておかないと、壊れてしまう、崩れてしまう、立てなくなってしまう。

冷静さを欠いています。もう、なんか、あぁ。

来てくださって、ありがとうございます。なにか感じていただけましたら、今後もなんとなく、ふらっと、見に来てやってください。