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2度目の直前キャンセルした旅

今からまだ5年ほど前の話だ。
私は旅の計画を立てていた。
前々から行ってみたいと思っていた世界三大仏教遺跡のうちのひとつ、バガンだ。
バガンだけではなくミャンマーには他にも行ってみたいところが多かった。


半年前から始めた計画

せっかく行くのだからと計画を綿密に立てた。
初めての国に行くのだから考えなければならないことも多かったが、それにもまして私の性分が旅を難しくさせていた。
石橋を叩いて渡る性分に加え、何かにつけ理屈っぽいからだ。
しかしこの性分が全て悪いかと言えばそうでもなさそうだ。
事故のような災難にあわずに生きてこれたのは、ひょっとしたらこの性分のお蔭だったのかもしれない。

旅の計画

旅を計画している時ほど楽しいことはない。
毎日ウキウキして過ごしていた。
旅に必要なものを拾い出し、それを買いに行くこともまったく苦ではない。

頭の中は既に旅立っていた。

関空からミャンマーへの直行便はないので、最初はタイ経由でミャンマーのヤンゴンに入りそこからバガンに行く予定を立てていた。
しかしヤンゴンからバガンまで距離があるので、そのルートではミャンマーの国内線に乗らなければならない。

予算を考えてもミャンマー第二の都市マンダレーを拠点に行動する方が有利だと考えた。


マンダレーにも行きたいところがあった。
マンダレーは日本で例えるなら京都といったところだろう。

その中でも行ってみたいと思ったのが、木造では世界最長と言われているウーベイン橋だ。
ウーベイン橋を渡った西側にあるアマラプラという地域も歩いてみたい。
他にもマンダレーヒルやシュエナンドー僧院などを計画に加えた。

マンダレーに2日ほど滞在してからインレー湖に長距離バスで行く計画だ。

10時間程度バスに乗らなければならないが、インレー湖にも行ってみたいと思っていたところだ。
足を器用に使って船を操り漁をする民族が住む地域だ。
この辺りでは首長族の生活を見ることもできるので興味深い。

インレーまで行くならとカックー遺跡も予定に加えた。
カックー遺跡は、インレー湖の北にあるニャウンシュエという町からタクシーで2時間程度かかるからインレー湖でも2泊する予定だ。

インレー湖から最も行きたいバガンまでは高速バスで9時間近くかかる。
バガンは広い草原に数多くのパゴダ(仏塔)や寺院遺跡が存在する場所だ。
朝霧に浮かぶパゴダの絶景は一度見てみたいところだ。

その光景を見るための少し小高い丘や、撮影スポットなどもあらかじめ調べることにした。
早朝そのスポットへの移動はレンタルバイクがよさそうだということも分かった。

航空券とホテルの予約

最初の計画から2ヶ月が過ぎた頃、ミャンマーのマンダレーに行く航空券を探し始めた。
最初に目についたのが中国東方航空のチケットだった。
目についたというより他の航空会社を探しても見つけることができなかった。

翌年1月末に好条件のチケットを見つけたが、まだ2ヶ月以上も余裕があったので1週間程度様子を見ることにした。

航空券の好条件とは価格と乗り換えの数、そして乗り換えの待ち時間などだ。

チケットを探し始めて1週間ほど過ぎた頃、最初に見つけた条件より更にいいチケットを見つけることができた。
やはり様子を見てよかったとこの時は喜んだ。

最初見つけた航空券よりも10日程度出発が遅くなるが差し障りはなかった。

価格も安く、乗り継ぎも前の航空券よりは短かった。
一晩考えて中国東方航空のサイトで直接航空券を予約した。

この航空券は関空から中国の昆明長水国際空港で一回乗り換えてマンダレー国際空港に向かう便だった。

中国南方航空には乗ったことがあるので、さほど大差ないだろうと考えての予約だ。

ホテルはアゴダで探した。
いつもホテルと航空券は別で予約をする。
その方が、どちらも妥協せずに選ぶことができるからだ。

特に今回はキャンセル条件だけは妥協したくなかった。
前回台風で関空が使えなくなって直前キャンセルした時は、ホテルの直前キャンセルが保証されていなかったからだ。

最安値といったホテルはキャンセル条件の悪いものが多いとこの時学んだので、今回は前日まではキャンセル無料という条件付きのホテルを選んだ。

長距離バスで移動することを考えてホテルは立地を優先して選んだ。

この時長距離バスもNET予約しておこうかと思ったが、キャンセルの仕方が分からなかったので諦め現地で予約することにした。

直前キャンセルまで

出発の2週間前までには全て用意は整っていた。
荷物のパッキングは何度もやり直して最小にして詰め込むことができた。

というのも機内に持ち込みできるキャスター付きリュックひとつだけにしたからだ。

2020年になってから急速にコロナの脅威が広がり始め、とうとう日本でも1月15日に最初の感染者が確認された。

1月末には各国のコロナ対策が厳しさを増し海外の行き来も難しくなってきた。
この時になって航空券の予約を遅らせたことを後悔した。

日程を遅らせていなかったら出発できていたからだ。

2月になって多くの飛行機が欠航しだす中でも、私が予約した中国東方航空からはメールすら来なかった。
この航空会社には日本と同じような期待をしていなかったので仕方ないと思うことができた。

中国東方航空のサイトで、自分が予約した航空券の情報を毎日確認するしかなかった。
出発の一週間前になって予約した便が欠航になり航空券は変更になった。

関空から昆明に飛ぶ便は欠航になり、代わりに関空から上海に飛んで中国の国内便で昆明に向かい、そこでまた乗り換えてマンダレーに行く便に変更になった。
しかもミャンマーでは入国はできても出国するのが難しくなっている。

中国東方航空では、コロナの理由であればキャンセルを認めるという内容の表示がサイトに現れた。

出発の三日前にキャンセルを決断した。
ホテルは難なくキャンセルできたが航空券は手こずった。
中国東方航空の日本オフィスに電話しても、やっと電話に出た人が中国語対応だった。
どこの会社も同じような対応で混雑していたのだろうと思えた。

結局サイトからキャンセルすることができた。

その翌年ミャンマーで国軍によるクーデターが起こり、今は少し危険レベルが引き下げられたものの危険レベルは2〜3だ。
因みに外務省のHPでは危険レベル2が不要不急の渡航中止で3が渡航中止勧告だ。

年齢的にもミャンマー行は既に諦めているが、思い立ったら早めに行動しろという戒めにもなった。

それでも半年間も準備をして時間を無駄にしたとは思ってはいない。
ミャンマーという国にも詳しくなり準備の間を楽しく過ごせたが、今ではミャンマーの平和を願うばかりだ。

二度目の海外ひとり旅の直前キャンセルだった。

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