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人生と音楽

音楽が人生に与えた影響は小さくない。
大なり小なりほとんどの人が何らかの音楽に親しみを持っているはずだ。
しかしその音楽がどう人生に影響を与えているのか考えることは少ないだろう。


音楽は人生に外せない私の相棒

私は子どもの頃から音楽が好きだった。
おそらく他の誰より好きだったと言えるほどだ。
いつも私の側に音楽が付き添ってくれていた。
音楽に癒されただけでなく、音楽が切っ掛けになった出会いもあった。

人生で最初に出会った音楽

小学生だったころも音楽の授業が好きだった。
しかし男の子の私がそんなことを言おうものなら、いじめの的になることは明らかだった。
そんな時代だった。

田舎だった私の周辺では、音楽は女の子が親しむものという認識が強かった。
家にあった唯一の楽器は学校で使うリコーダーだけだ。

中学生になったころ母にねだって小さなトランジスタラジオを買ってもらった。
そのラジオから聴こえてくるあらゆる音楽は私を虜にした。

歌謡曲、洋楽や世界の民謡などだ。

その中でもテレビでも聴いたことがなかった海外の音楽に心が踊った。
洋楽ではニールセダカのスーパーバードやHamilton, Joe Frank & Reynoldsの恋のかけひきなどだ。

最近ドライブ中にSpotifyアプリで1970年代洋楽と検索して、たまにこのような曲が流れてくるとその当時を瞬時にタイムリープできるほどだ。

このような洋楽は、この時代に思春期だった人は多く聴いているはずだ。
しかし私は洋楽だけに留まらなかった。

シカゴやチェイスといったロックバンド、太陽がいっぱいやムーンリバーといった映画音楽、更には錨をあげてやエルキャピタンなどのマーチも好きだった。

錨を上げてやエルキャピタンのような3連系行進曲を好んで聴いたのは、ポジティブな感情を更に高める手助けになったからだ。
通勤途中の車の中で聴くと「よし今日も頑張るか」という気分になれた。

人生で初めて買ったLPレコード

ラジオより少し遅くに手に入れた、安価なレコードプレーヤで聴いたのもこのような曲だったが、アルバイトをして初めて買ったLPレコードがロシア民謡だった。

ポーリュシカポーレ、ともしび、バイカル湖のほとりなどが入ったニニロッソのアルバムだ。

初めてのLPレコードだったので初めて聴いた時は涙が溢れるほど嬉しかった。
ただ、そのことをどんな親友にも話さなかった。

共感してくれる見込みが微塵もなかったからだ。

このレコードは感受性の強かったころの私に非日常を与えてくれた。
レコードを聴くたびに旅をしているのと同じような刺激があった。

雪が積もり薄暗くなったロシアの雪原の向こうにほのかな光を照らす窓が見える。
冷たく不安で寂しかった心が、このレコードを聴いている時には優しく包まれている気がした。

曲を聴きながらそんな空想をしていた。
そんな想像ができるアルバムだった。

ロシアやシベリアがどんなところなのか知るような情報はなかったが、私の頭の中ではリアルに情景が浮かび上がるほどになっていった。

空想の世界で何もないバイカル湖のほとりに行ったり、夕日のあたるモスクワ郊外にもよく行った。

当時には珍しくひとりっ子だった私の心を癒してくれたのだ。

音楽で世界中を旅した青春

その後は世界中を旅しているような想像ができる曲を好んで聴くようになった。

例えばオーソレミオのようなイタリアのカンツォーネは穏やかなナポリの海を連想させてくれた。
またシベリウスの交響詩フィンランディアはフィンランドの情景だけではなく、ロシア帝国に苦しめられた歴史を音楽から垣間見ることができた。

カラヤンが振ったベルリンフィルのフィンランディアは、まだ何の知識もない北欧の歴史の中に私を招いてくれたのだ。

ヴィヴァルディの四季でヨーロッパの季節を感じ、ムソルグスキーはロシア、ポーランド、フランス、ローマの絵を見せてくれた。

シャレードやいそしぎのような映画音楽で、見たことのない海外の物語を想像した。

歌謡曲は人生のアルバム

何もクラシックや洋楽ばかりを聴いていた訳ではない。
人並みに漏れず日本の歌謡曲も好きだった。

いしだあゆみのブルーライトヨコハマは、中学校に通うために買ってもらった自転車に乗って、近所の同級生数人と片道50Kmも離れたところへ冒険に出た思い出の曲だ。
今思うとまるでスタンド・バイ・ミーだ。

道中のガソリンスタンドなどでよく流れていたのがブルーライトヨコハマだった。
スタンド・バイ・ミーと同じようにこの曲を聞くと中学校入学前の自転車冒険旅を思い出す。

その後、青春と言われる年代に流行したのはフォークソングだった。
吉田拓郎や井上陽水、風、グレープなどだ。

その中でも特に風の22歳の別れという曲には、誰にも言えない甘酸っぱいようなほろ苦いような思い出がある。
誰にも人生の思い出の1曲があるはずだ。

その曲の中には人生で最高の思い出が詰まっている。
いや、その時は苦しかったかも知れないが、過ぎ去った年月が美しい思い出として蘇らせてくれるだろう。

人生を心豊かにしてくれた曲

映画にまつわる思い出として、このNoteの記事の中でも紹介しているのがヘンデルのオンブラマイフとToo far awaという曲だ。

中年と言われる年齢になってからだが、この曲が巡り合わせてくれた友人のお蔭で随分と楽しい家族の思い出を作ることができた。

時にはこのように思いもしない切っ掛けで好きになる音楽もあっていいだろう。

私の中ではKポップがそれだ。
この曲が切っ掛けを作ってくれたお蔭でその後も韓国への関心が強まった。

この曲との切っ掛けも名も知らないアーケード街だったが、その後もソウルの名も知らないアーケード街で同じような経験をした。

ソウルのアーケード街を歩いていると韓国語の歌が聞こえてきた。
よく知っている曲なのにまた曲名を思い出せなかった。

高音の美しい韓国の男性歌手が歌っていた。
どうしても気になったのでCDショップへ駆け込んで「今流れている曲は何ですか」と聞いてみた。

韓国語で「アイラブユーですよ」と聞いて、「なんだ尾崎豊のアイラブユーですか」と言うと、そのCDショップの店員が「ポジションです」と訂正した。
これは日本の曲だという説明は控えたが、その店でポジションという韓国歌手のCDを購入した。

今でも韓国語学習の一環でKポップをたまに聞く。
何度も行ったソウルの記憶が蘇る瞬間だ。

ジャズとの出会い

高校生だったころスキー場に泊まりでアルバイトをした。
食堂とレンタルスキーを家族でやっている店だった。

そこの食堂で毎日のように掛かっていたのがジャズだった。
最初はまったく興味がなかったので耳には入って来なかった。

ここの主人はジャズを好んで聴いていたのだが、ジャズという音楽の良さが分からなかった。
ある夜の夕食時にその主人からジャズについての話を長々と聞く羽目になった。

その時は「そうですか」と気もないのにお愛想に返事だけしていた。
しかし同じ曲を何度か聴くうちに、自覚もなしにハミングで歌うようになっていた。
当時は吹奏楽部に入っていたこともあって段々とジャズの魅力にハマっていった。

それからちょうど半世紀が過ぎた今はそのジャズを中心に演奏を楽しんでいる。

今の趣味は楽器を演奏することだが、私と音楽は人生のあらゆる場面で繋がっている。

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