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ゆめいろさがし間瀨結梨奈が探るリアリティと日常(間瀨結梨奈インタビュー①)

【プロフィール】
間瀨 結梨奈(ませ ゆりな)
1999年生まれ。愛知県名古屋市出身。
東邦高校美術科卒業。現在東京藝術大学絵画科油画専攻4年在籍。
日常と世界の対話をテーマに様々なメディアで制作している。(間瀨結梨奈Instagram: https://www.instagram.com/yurina_mase/)
ゆめいろさがしでは作画を担当している。

 1. 美術との出会いから藝大入学まで

——美術が好きになったきっかけは何かありましたか?
中学に上がった時に初めて「美術」という言葉を知りました。姉が美術部に所属していて、とても楽しそうに活動していたので自分も興味を持ちました。入学して迷わず美術部に入部したのを覚えています。その美術部がほんとにすごくいい部活動で、顧問の先生方がほんとに熱意のある先生だったんです。普通中学の美術部って、例えば石膏像囲んで黙々とデッサンしたりアカデミックな事をやってそうなイメージがあると思うんですけど、自分がいた美術部は全然違って。部員全員で1つの大きな作品を作ったり、学校行事(体育祭や音楽会など)の時にポスターや看板を作ったりとか、色々な事をやらせてもらえました。その時に大勢で1つの物を作るみたいな経験をして、すごくたくさんの事を先生からも部員からも教わって、中学時代の青春は美術部だったってくらい、ものすごくかけがえのない時間を過ごしました。そこでの経験が私を美術の道に引き込んでいったと思います。先生方や周りの部員たちにすごく影響を受けました。

——美術を学べる大学は藝大以外にもありますが、その中でどうして藝大を選んだのか聞かせてください。
中学で美術にゾッコンになっちゃったから、高校は美術科しか受験しなかったんですよ。それで運良く入れたのが東邦高校美術科ってところ。先生と環境に恵まれて、高校時代も絵ばっかり描いて過ごしていました。
それと、自分は大学入るまで携帯電話を持ってない生活をしてたんです。だから多くの情報は自分の近辺でしか拾えなくて、美大のことを教えてくれるのが、学校の先生とか時々来る卒業生や美術予備校の先生。こういう大学があるんだっていうのをなんとなく把握していって。藝大に興味を持ったのも、進学した先輩からの話がきっかけでした。その人が藝祭や古美研(古美術研究旅行)、藝大に入ったら出来る事みたいなのを教えてくれて、色々な専攻があって音楽もあって、そこに特化した人たちが日本中から集まってる事を教えてくれました。それで藝大目指すのも面白そうだって思ったんですけど、東京じゃなくても描いていけるんだったらと思って、愛知県芸と金沢美術工芸も受験しました。
高校が休みの期間とかに短期で東京の美術予備校に通わせてもらってたんですけど、浪人生や自分みたいに地方から来てる同級生とか、そこでずっと入試を研究して教えてる講師もいてとても刺激が多くて。そこで得られたものを高校に持ち帰って研究したりっていうのを頑張って。自分の作品がどんどん変化していくのが楽しかった。結果的には、藝大が最初に合格発表出るんで藝大が最初に受かって、愛知も金沢も1次試験は通ったんですけど、藝大が受かってるから発表はされないみたいな感じでした。

——少しお話がズレてしまうんですが、携帯を持ってなかったというのが気になります。
実は兄弟が6人いて。自分は上から3番目でまだ下に3人いるんですよ。それで携帯ってすごいお金がかかる事だし。親も持たせたいとか持ちなさいとか言ってこないし。でも私自身も周りの友達が使ってるの見ていて、欲しいって思わなかった。無い方がいいなって逆に思ってて。でもまだ16歳とかで携帯持たないで1人で東京行かせてくれたりとか、親がすごい勇気あったなって。心配するじゃないですか普通!娘を1人で東京に行かせて2週間放置って(笑)。「東京着いたら公衆電話から連絡ちょうだい」って言われたくらいで、残りの2週間はほんと連絡なしで過ごしたりとか。携帯あったら現在地わかるしインターネットも見れるけど、そういうのが無い状態で自分の目的地どこだろうって。駅員さんに聞いたり地図をメモして歩いたり。今じゃ考えられない事を大学入るまでしてたんだなって。でもそういう生活は自分の感性にすごく影響があったって思います。

2. 制作について

——次は大学に入ってからの制作について聞かせてもらえますか?
なんか考えるより描くっていうか…。自分は描いて考える。手を動かして考えるっていうのが合ってるなと思って。あとなんて言うんだろうなぁ…直接的っていうか、自分の作品は自分の体験が元になってて欲しいっていうか…。
大学1年生の時はそれこそ自分の日常からモチーフを選びたいって思ってました。結構感覚的に考えてて、自分の日々の生活の中で起こった事とか発見した事とかから引っ張って作品に展開したりとか、単純に自分の日常生活にあるものを絵に描いたりとか、その中で感じた事を描いたりとか。日記を書くように絵を描く、みたいに。自分と絵を通して対話するのが楽しかった。
でも段々、自分の中だけで完結してしまうのがちょっと内向的だって思うようになったんですよね。それは悪い事じゃないと思うんですけど、自分はもっといける、出来る気がするって思って。自分の絵が絵の中で終わるんじゃなくて、自分の身体とか周りの環境とかと関係を持って絵の外と同時に成り立つ、みたいな作品が自分には必要だなと思って求めるようになって、ちょっと考え方が変わりました。
3年生の時に視野を広げようと思い、初めて絵以外の可能性を探ったんですよ。作品の形態が平面じゃなくても、立体、パフォーマンス、映像とか、色々なメディアがあるじゃないですか。それでコロナ禍が重なったのもきっかけになって、実際に人がそこに存在しないと感じられない美術が作れたらすごくいいんじゃないかって。
コロナ禍初期は、オンラインでハジメマシテだし授業も画面越しで、空間も時間も共有出来ず、作品も実物を見てもらえない。講評もオンラインでやるか対面でやるか選ぶ感じで、自分は対面で作品を観てほしいってすごく思った。その時に『箱の中身はなんだろな』っていうタイトルの作品を作ったんです。あれって箱に手を突っ込んで実際に触って当てる形式だからオンラインじゃ機能しない作品なんですよ。それで対面で先生に鑑賞してもらったんですけど、作品を介して人と空間を共有出来た事が自分はすごく嬉しくて。その作品は、そこに人がいないと鑑賞出来ないから、人に会う事の目的と価値を改めて実感出来る作品になったかなと思いました。
絵じゃなくても自分が考えてる事は形に出来るし、それで強まる表現ってあるなあと思って。絵で何を描くかより絵じゃなくても何を作るかだし、絵だとしてもどう描くかだなって思って。作品は「何を作る」と同時に「どう作るか」で、例えばそれを「どうやって鑑賞してもらうか」の方が本質的だって気付いて、そこから自分の作品に対する考え方がすごく大きく変わりました。
自分が携帯を持ってなかった時が豊かだったなって思ってたのもあって、人に何かを伝えなきゃいけなかった時に直接会って初めて打ち明けたりして、人に直接会う事の喜びとかそうしないと伝えられない、伝わらない事とかがあるっていうのを自分は知ってたから、美術作品でもそういう事を考えたいなってコロナの時に改めて認識したかな。
今やってる卒業制作では、ひとつの完成形を提出するっていうよりは、自分がずっと地続きでやってきた事を途中でもいいから形にして出そうと思ってます。作品形態はすごく変化してるし色々なものに手を出して広く浅くって感じなんですけど、でも自分の中で大事だなって思ってる事、原点はずっと変わってなくて。例えば最初に言った日常とか自分が体験した事が関わってないと作品作れないってすごく思うから、それはどんな作品になったとしても変わらない事かなって。

——たしかに自分自身が感じた事や経験した事を提示されると、相手もそこにすごく共感出来る気がします。
美術や音楽ってそれがすごいなって思って。最近はリアリティについて考えていて。「絵を描く時にリアリティを」みたいな事をこれまでなんとなく意識してきたんですよ。自分がその絵の世界をどれだけ実感を持って描けるかっていう問題。改めてリアリティってなんなんだろうって。リアリティを伝えるってなんなんだろうって思うようになって、今はそれが自分の課題みたいになってます。人に何かを伝えるための一番早い方法って言葉を使って話す事かもしれないけど、その時感じた匂いとか、聴こえたものとか、肌で体感した事まで伝えようって思うと、芸術はそういう本当のリアリティを伝えられる手段なのかなって思って。

3. 「リアリティ」を考える

——たしかに、相手の言葉よりも話してる時の表情とか声色とかからの方が伝わってきたりする事があります。
そうですよね。
昨年、3年生の進級展(進級のために提出する作品の展示)に、美術学部にあった大浦食堂を取材したドキュメンタリーの映像作品をを作って提出したんですよ。それを撮る以前も、日常を作品にするっていうのはずっと考えてたんですけど、その日常が自分から来る日常だけという事にちょっと疑問を抱いたんですよね。そこで「自分にとっての非日常」、「自分以外の人間にとっての日常」について考えてみようと思った時に、コロナ禍で閉業を迎える大浦食堂がふと頭によぎって…。長期間営業してきた食堂だからそれが無くなっちゃうってどんな事だろう、みたいな。無くなる前に残しておきたいっていう気持ちと、50年近く勤めてきたマスターの日常がどのようなものか、どのように変化していくのかに興味があって取材を決めました。
その時に自分が1人で撮影も編集もして作ったんですけど、空き時間があれば大浦食堂に行って、マスターやおばさんたちの働く姿を隅で撮ったりしてました。取材を通して、食堂が閉まってから翌日の準備をしてる様子とか、朝早く来て調理を始めるマスターの様子とか、その途中でおばさんが出勤してきて厨房のみんなが賑やかになってく様子とかを目の当たりにしたんですよ。そういうのを見たり、実際にマスターにインタビューをした時に、他人の日常や自分にとっての非日常を同時に考えられて、日常がどのように生み出されるのかとかすごく勉強になった。昨年の収穫ではそれがすごく良かったなと思います。

——編集作業はその時が初めてだったんですか?
えっと…初めてじゃない。でも映像作品として公開したのは初めてで、人生で2回目(笑)。 ドキュメンタリー作ったのも初めてで、人を取材したのも初めてでした。ドキュメンタリーを作るきっかけは、最初話した日常について考えたかったっていうのもあるんですけど、もうひとつきっかけがあって。3年生の前期のゼミで「映像作品を作ってみよう」っていうのがあったんですよ。既存の映像と自分が撮った映像を融合させて1つの映像を作る、ストーリーはなんでもいいっていう課題。それで制作したのがフェイクドキュメンタリーでした。人の生涯やプロジェクトを追うドキュメンタリーを観るのが好きだから「自分自身のドキュメンタリーを作ってみよう」って軽い動機だったんですけど。世界的に有名な偉人たちが英語で話してるインタビュー動画を切り取って自分で創作字幕を当てはめるっていう事をしたんですけど。日本人って洋画を観る時に英語音声を訳した日本語字幕を信じて観るじゃないですか。なのでその感覚を裏切るみたいにしようと思って、マイケル・ジャクソンや、スティーブ・ジョブズ、オバマ元大統領とかが英語で喋ってる映像に、私について話してる架空の日本語字幕をはめてみた。その嘘だらけのドキュメンタリーを観た日本人には、あたかも超有名人が私の知り合いで、私の事を批評しているように見えるっていう(笑)。その時に初めて映像編集ソフトを使ってトリミングしたり文字入れたりしました。

——とっても面白そうな制作です!
油画ってやっぱり絵で入学するから、それ以外のメディアに足を踏み入れないまま卒業しちゃう人って一定数いて、それを先生は懸念したみたいで。自分もそこで映像ソフトを知って「こういう表現の方法もあるんだ」って刺激を受けました。
それから大浦食堂のドキュメンタリーを作った時に思った事があって、大浦食堂もマスターも実在する場所だし人だし真実なんだけど、自分が撮影して編集することは作為や私自身のセンスが入る。それは真実って言わないんじゃないかって。自分が見たものはきっと一部だし、マスターが話した事もマスターのほんの一部だから、自分の手が介入してる以上これも嘘なんだって。フェイクドキュメンタリーではないけど、ドキュメンタリーと言いつつ真実じゃないんだって気付いて。ドキュメンタリーもなんか違うっていうか疑っちゃうっていうか、リアリティではない気がするって思って…。だからそれも勉強になったし、今の考え方に繋がってる。

——そうだったんですね。私もインタビュー記事を書く時に同じような事を感じます(笑)。
たしかにそうですよね!編集する人の考え方が入っちゃう。すっごい分かります。だから自分が作ったドキュメンタリーも出来るだけ本物に寄せてはいるけど、違うんだなって思って。ニュースとかテレビ番組で何かを紹介する時とかもそうだと思うけど、それで世間のイメージが作られるから気を付けないといけない仕事なんだなっていうのを自分が作ってみてほんとに思った。

ゆめいろさがしとは

朗読音楽絵本を制作し、上演する団体です。東京藝術大学の学生が集まり、現代の諸問題を暗示させる動物世界の物語を描いています。

▼ゆめいろさがし公式サイト
https://yumeirosagashi.studio.site
▼ゆめいろさがし公式ショップ
https://yumeirosagashi.booth.pm

インタビュアー・椿巳莉乃
運営・ゆめいろさがし

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