カミガタ・バニッシュメント-2
夜、道頓堀。光り輝くグリコの広告が汚い水面に反射する。
道頓堀をまたぐ橋の上では、キャッチが群れの魚を追い込むように、通行人の塊をつつく。
「あれ、お姉さん着物キレイやん」
黒い服のキャッチの男が、さも世間話のように女性に声をかけた。
「ありがと、待ち合わせやねん」
けんもほろろ、着物の女性は用事があると断るが、ここで引けばキャッチじゃない。
「待たせる男より、待ってる男、ウチのタコヤキホストはいつでもアッツアツでお出迎えしますで!」
女性は思わず吹き出した。
「兄さんオモロいなぁ」
「でしょ、お店来ます?」
いい雰囲気だ。だが、キャッチの男の顔が突然、蒼白になった。
「あぁ、自分か迎えは。で、お前はなんや」
キャッチの男は、現れた男にひとにらみされただけで、何も言えなくなった。
その男は、丸坊主の痩身。着衣は地味な着物。すりきれた扇子を手に持っている。
噺家なのだろう。だがその人を射殺すような目は、むしろキャッチの男の店にたまに来る、反社会的勢力の人間の目を思い出させた。
「……なんでもないです…」
キャッチの男はフェードアウトした。
「で、宿はどこや」
丸坊主の噺家、眠屋小朝は着物の女に話しかけた。
「はい、ご案内します」
「えらい礼儀正しいな。今生のイロか?」
着物の女は眉をつり上げる。
「自分は、眠屋金子(ねむりやかなこ)いいます!れっきとした噺家です!」
今度は小朝が眉をつり上げた。
「なんや、兄さんは弟子に手ぇ出しとんのか」
「な…!」
さらに金子が反論しようとした時、道頓堀大型街頭モニターに黒い和服の男が映った。
『どうも、小朝師匠。絶賛逃走中の夜薙屋上手でございます』
ざわざわと、雑踏の聴衆がモニターを見上げる。小朝の顔が歪む。
夜薙屋上手と名乗った男の頭は、尖ったモヒカン。手には朱塗りの扇子。
異形の噺家だ。
するりと上着を脱いだ。
『ところで、ま、こいつは、アホウドリも食わんような話ですが…』
枕。
裏噺 鮫台風
『あるところに、心配性な男がおりましたんや。これがまたほんまに病的なほど心配性で、雲が見えたら雨が降る、傘を持っていこう。なんてのは序の口で、雲が見えたら雨が降る、雨が降るから大水になる、大水になるから船を持って行こう、なんて言い出すような、どこに出しても恥ずかしくないようなほんまの心配性の男やった。
もぉ、あんた。また今日も心配して仕事いかへんのか
とカカアが言うわけやけど、男も言い返す。
アホいうな、昨日は現場ででっかい柱持ち上げたんや。でも、そんなんが落ちてきたらひとたまりもあらへんから、だから親方にもっと縄をたくさん結え付けたほうがええっちゅうたんや。
ほんで?
ほんで柱にぎょうさん縄を結んだんやけど、今度は使う滑車が古い奴やったんや、それやったらそれをなおさなあかんやろ
はぁ
それでそれをなおそうっちゅうて、なおしたんや。で次に見たら、縄引く奴がひょろひょろの奴ばっかりや
へぇ
だからそいつらに飯食わせたれ言うて、飯食わせたったわけや。そんで柱持ち上げようとなったんやけど、向こう側に倒れちゃいかんと思って、柱が倒れんように囲いを作ったんや
なるほど
それで昨日は仕事終わりや
あんた!柱持ち上げてへんやないの!
そうやねん、それで親方にもう来るないわれて
あぁっ、あんた、クビになってるやないの!
しゃあないやないか
しゃあないって、アンタが心配性すぎるんや!
もう済んだことはええやないか。兎に角、明日は雨らしいから、土間に土嚢を積むから手伝ってくれんか
もう、雨が降るたびに土嚢つむんも、もう止めて欲しいわ
それと壁をまた厚くしてもらおう思ってな、今月中に工事してもらうさかいに
んまあ!仕事クビになってんのに何考えてるん!金はどうすんの!
それとこれとは別やがな。命にはかえられんやろ。
あんたな!生活にも金がかかんの!もう、我慢できへんわ!
なんや
アンタとは一緒におられへん!実家に帰らせてもらいます!
なんや!俺もお前が安心してすごせるようにおもてやってるのに、なんやその言い草は!
しりまへん!一人でいくらでも壁を厚くしといてくんさい!
と、まあ、こんな具合に男は妻と別居することになってもうた。それで男は分厚い壁の家で一人寝転んどると、知り合いの虎吉が駆け込んできた。
おい、おい!しっとるか!
なんやなんや。
今度の台風は凄いらしいで!
どんなすごいんや
なんでも、琉球の城が吹っ飛んだとか!
んなアホな!
まあ、虎吉もおおげさにいっとるんやろうと思いはしますが、この男は心配性。それも病気の一種と言うほどの心配性でございます。次第に心配になってきた。
どないしよう…ウチの壁でもつんやろか…いや、ウチは大丈夫や。城下町で一番丈夫なんはウチの壁やて親方も言うとった。
でも、心配は徐々に別の方向へ移ります。やはり憎み合っても夫婦は夫婦。男の心配は家を出て行った女房のことになる。
あいつ…実家言う取ったけど、あいつの実家は農家やないか。農家の壁では、台風は防げへんのやないか?
まあ、農家にも雨戸ぐらいはあります。でも雨戸ぐらいで安心する男ちゃうわけですな。
こりゃいかん。あいつだけでも助けださなあかん!
というわけで、心配性の男は、嵐がまもなく来ると言うのに家を飛び出して女房の元に走り出しました!で、場面は変わって、お城の天守閣。老中が目の前から来る真っ黒な雲を睨んでおります。
おお、これはならん、こんな台風は見たことあらへん
これに部下の男も頷くわけです
はい、こないな強い台風は初めて見ました。でもお城ならなんのことはありまっしゃらへんでしょ
いいや…見ろ
老中がすっと指さしたのは、台風で巻き上げられる海の水。その巻き上げられる水に混ざっているのは、魚。その中でも大きな大きな、鮫!鮫!鮫!鮫を大量に巻き込んだ台風が、城下町に向かって進んで来ている!
ウワー!鮫だ!
台風が上陸するやいなや、城下町は大パニック。風に巻き上げられた鮫が、空中を泳いで、人に襲いかかります!その城下町を走り抜けるのは、心配性の男!
いやぁ、やっぱりとんでもないことになっちまった!
そこへ、鮫が襲いかかる!
ええい!このやろう!
てなもんで、男は鮫を躱して叩いて、どうにかこうにか妻の実家にたどり着いた。
おおい!居るか!
あぁ、アンタ、なにしにきたのさ!
何って、助けに来たんだよ!
ひしっと抱き合う夫婦、しかし家の雨戸を突き破って鮫が飛び込んでくる!
逃げるぞ!
えぇ、どこへ!
ウチだ!こないだ壁を増築したんや!こんな鮫でも全然へっちゃらや!
アンタ!!
この声は感動やあらへんもんです。
また壁になんて金使って!!
こんなように鮫より先に、女房に食いつかれたって話でした。
夜薙屋上手の語ったのは、町一つが台風により壊滅する噺だった。
何を『見立て』るか。ひとつだ。
夜薙屋上手が扇子をくるくると頭の上で回すと、空気が、風が、嵐が、渦を巻いて大阪の街を包み込んだ。
道を大粒の雨が叩き、すぐにバケツをひっくり返したような雨になる。
雨に塩味がつく。暴風が街を彩る看板を引きちぎり、凶器へ変え、潮と混ざった嵐に、流線型の影が見え隠れする。
キャッチの男が叫んだ。鮫だ。
その夜、大阪は災害に飲み込まれた。有史以来の初の、鮫台風に。
「ほんとに馬鹿みてぇな噺だな」
眠屋小朝は妖刀に『見立て』た扇子で鮫を斬り捨てながら、噺の出来に文句を言った。
「小朝さん、どうにかしてくださいよ!」
横の金子が小朝に向けて叫ぶが、それを気にした様子もない。
金子は、今生から小朝が夜薙屋のような『魔人』になっていると確信したら、すぐに逃げてこいと指示を受けていた。
金子の目には、小朝は人としてあるべき何かが決定的に失われているように見える。
「どうにかすんのはちょっと後や」
睨み付ける金子の覚悟を知ってか知らずか、小朝はゆるりと構える。
その先、道頓堀の橋の向こうに、真っ白の着物を着た老人が立っていた。
すわ、幽霊かと思う。否。手には扇子。噺家だ。
にっこりと名乗った。
「夜薙屋半纏いいます」
「眠屋小朝」
お互いの名乗りは短かった。
二人とも、瞬く間に致死の間合いに捉えると、何の躊躇も無く、攻撃した。
双方、まるで防御を考えていないような攻撃。血と、肉片と、漿が飛び散る。
半纏の無手の抜き手が、小朝の肺臓を抉った。
同時に、小朝の大刀が、半纏の心臓を貫いた。
相打ちか?違う。小朝が笑った。
「夢ってのは、都合のええことばっかりでんな」
枕。杯に口を付ける。裏噺 芝浜。
小朝の傷は全て消え去った。これで死ぬのは半纏一人。
だが半纏も笑った。
「流行廃りってのはあるもんですが」
枕。
半纏は、くるり、と逆立ちをした。
裏噺 死神。
半纏がパンパンと草鞋を合わせて音を出した。
「続きやりやしょうや」
「へぇ」
小朝は笑った。
道頓堀、天気は嵐時々鮫。鮫が通行人を食い漁り、その血を嵐が洗い流す。
全ては道頓堀の露と消える。カーネルサンダースのように。
橋の上は笑う不死の修羅が二人のみ。
グリコが瞬く。金子が叫ぶ。
「小朝さん!コイツの目的は…!」
「時間稼ぎやろ」
妖刀が疾走る。致死の煌めきが、死に装束を切り裂いた。
それでも白い死に神は、笑顔のまま草鞋で斬撃を捌く。
交錯。また両者が致命傷を負う。
「夢ってのは…」
「流行廃り…」
そしてまた裏噺が生死を入れ替える。
何度も、何度も繰り返された。
(決め手が無い…いや)
金子は小朝が何かを狙っていることに気づいた。
「千日手ですなぁ!」
逆立ちした半纏が蹴りを繰り出す。
そこへ小朝が雑な一歩を踏み込み、大上段から袈裟に斬る。
また両者致命傷。
「夢ってのは、都合のええことばっかりでんな」
「流行廃りがございま…」
裏噺。生死が入れ替わり…上下入れ替わった半纏が倒れた。
「何が…!?」
小朝の手には、大刀では無く扇子がある。
小朝は芝浜で、自らの攻撃自体を消し去ったのだ。
それに反応できず、死神で逆さになって生死を入れ替えた半纏が死んだ。
これを、どんな間、どんな技量を使えば実現できるのか、見当もつかない。
ごくり、と金子はつばを飲み込んだ。
眠屋小朝という男の噺の技量は卓越というレベルを超えている。
「こいつは、まあまあ下手くそやったな、ゲホッ…」
「小朝さん!」
小朝の口から真っ赤な血が流れ出る。金子は目を見開いた。
芝浜で自分の攻撃を消したと言うことは、半纏から受けた致命傷を消していないということだ。
「カハァー、夢、ってのは、都合のええこと、ばっかり…」
扇子の杯を飲み干すと、小朝は持ち直した。
金子は小朝に駆け寄る。
「小朝さん!」
「ハァー…、なんや小娘、いっちょ前に他人の心配か」
「そんなんちゃいます。鮫台風おさめる前に死なれたら困るからです」
小朝は珍しく憎らしげな顔をすると、一人で歩き出した。
「ちょっと!」
「ここじゃあ無理や。アレのぼるで」
道頓堀メガマックスビル。
大阪で最も高い場所。
「バカもおるかも知らんな、煙と一緒やさかいに」
小朝は何かを期待するように、血にぬれた口元を拭い、すり切れた扇子をパチパチと鳴らした。
【続】
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