モノかき彼女と絵描きのボク _ Day 1


  Day 1 - AM 10:03 -

 彼女の朝は、だいたい遅い。
 根っからの夜行性なので、夜が更けるとともにエンジンがかかり、空が白むに連れて回転数が落ちてくるタイプだ。
 もっとも、ボクらのような仕事をしている場合は、夜行性というのはそんなに珍しいことではない。
 かく言うボクも、普通の勤め人ならとっくに仕事を始めているような時間に目が覚めたわけなので、あまり人のことは言えないのだが。
 一足先に起きたボクは、アクビを嚙み殺しながら洗面所へ向かう。
 手早く顔を洗い、鏡の前に並んだ色違いの歯ブラシから水色のほうを手にして歯磨き。口をゆすいでサッパリすると、今度はキッチンでお水をコップに一杯。寝てる間に失った水分を取り戻したカラダが、ようやく目覚めた気持ちになる。
 ここまでが、ボクの朝のルーチン。この後は日によってマチマチというか気分次第だったりもするのだけれど。
 今日は、じっくりと珈琲を淹れることに決めた。
 湯を沸かすためのケトルをコンロにセットしてから、お気に入りの豆をミルで挽く。多少手間はかかるけど、ボク的には儀式のようなものなので言うほど苦にはならない。
 美味しい珈琲を飲むためだけではない。彼女との大切な時間のための、大事な儀式だ。
 ケトルから聞こえる音に耳をすませ、沸騰する前に火を止めてから挽いた豆を落としたドリッパーへ少しだけ注ぐ。
 そのまま20秒。蒸らしの、時間。
 本当は豆の種類だったりロースト具合だったりで蒸らす時間を変えるらしいけど、お店じゃないんだからそこまで厳密にやることはないだろうと、いつでも20秒がボク流である。
 心の中で20数えた後、今度はゆっくり円を描くように細く注ぎ、珈琲が落ちるのをしばらく待つ。
 落ち具合を見ながら次を注ぎ、待ち、また注ぐ。
 これをケトルの中身がなくなるまで繰り返していくのだから、この楽しさが分からない人にはきっと苦行なんだろうというのはわからなくもない。

「ぉはよー……」

 そうこうしてるうちに、頭まで被っていた布団の中から、まるで冬眠していたケモノが穴蔵から出てくるみたいに彼女がモゾモゾと這い出してきた。

「んー……いいにおーい」

 どうやら珈琲の匂いにつられたらしい。
 寝ぼけ眼のまま、わざとらしく鼻をヒクヒクさせる彼女に自然と笑みがこぼれる。

「おはよ。もうすぐ珈琲入るよー」
「はぁーい」

 寝間着がわりのタンクトップ姿で大きく一つ伸びをしてから、彼女が軽い足取りで洗面所へ向かう。下はいつも通りパンイチだ。かわいいお尻が揺れているのを見送りながら、ケトルから最後のお湯を注ぐ。
 一緒に暮らし始めた頃は、彼女のラフな格好に目のやり場に困ったものだったが、いつのまにかそんな彼女の姿も自然になっていた。
 今では、自分の寝間着も着古したTシャツにメンズのトランクスが定番になっている。
 母親が知ったら「なんて格好してるのっ」と白目を剥きそうだが、これが一番ラクだと気付いてしまったのだから仕方がない。

「パンでええんか?」

 ドリッパーから最後のひと雫が落ちる頃、軽い身支度を終えた彼女が後ろ手に髪をまとめながらキッチンにやって来た。ボクの答えを聞く前から、すでに冷凍庫から買い置きの食パンを取り出そうとしている。

「うん」
「卵は?」
「たべる」
「オーケー」

 これもまた、定番のやりとり。
 迷いのない動きで今度は冷蔵庫から卵を二個取り出し、トースターとコンロ同時に見ながら彼女はあっという間に朝食を作り上げた。

「さてと……」
「それじゃ……」
『いただきます』

 この部屋でクラス彼女とボクとの間には、いくつかのルールがある。これが、そのひとつ。

 【ごはんはなるべく一緒に食べること】

 ルールというとちょっと堅苦しく感じるけど、ふたりで「そうしたいね」と感じていることを明文化しただけなので、少なくともボクにとっては良いルールだし、こうして朝からふたりで過ごす時間は嬉しいものだった。

「なー、ボクちゃん。今日はなにすんのん?」

 ボクがそんなことを考えていると、パンを齧りながら彼女が横目でこちらをチラリ。

「んー、そうだなぁ。今日は特に仕事も入ってないから、のんびりするかな」
「ふーん」

 ひとくち珈琲を飲んでから、ボクは答える。
 うん。今日の珈琲も、なかなかいいカンジ。

「わたしも、今日はなんもなしやで」
「珍しいね? 締め切りは大丈夫なの?」

 彼女がなにを言いだそうとしているのか薄々悟ったボクだったが、気づかれないようにパンを片付けることに集中するフリをする。

「ん。夜のうちに片付けたしー」
「そうなんだ。ごちそーさま。んじゃ、洗い物……」
「まぁまぁ」

 手を合わせ、そそくさと立ち上がろうとしたボクの肩を彼女がガシッと押さえつけた。

「そない慌てんでもええやん?」
「いやでも、ほら。洗い物たまっちゃうし……」
「まぁまぁまぁまぁ」

 無駄とは分かりつつ、ボクも最後の抵抗を試みる。

「マグカップが珈琲の渋みで茶色く……」
「まぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁまぁ」

 だがそれも最後まで言わせてももらえず、ボクはそのまま笑顔の彼女に寝室へと引きずられていく――。
 結局その後は、昼過ぎまではベットの上でのんびりと。
 軽く寝て起きた後は、リビングのソファでまったりと。
 これ以上はないくらい、ふたり一緒にのんびり過ごして一日が終わったのだった。

 これは、そんな彼女とボクのなんてことない日常を綴った、日記のようなもの。
 どこかの世界、いつかの街に住んでいる、「夜行性で料理が得意な彼女」と「珈琲好きで押しに弱いボク」。
 そんな「モノかき彼女」と「絵描きのボク」の物語だ。

  Day 1 - END -

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