わたしの毎日の「はじめて」を見つけていきたい。

毎日、その日の目標はありながらも、ただ過ごしている。一貫性はない。
わたしって今日何をしたんだろう。
わたしってどんな人間なんだろう。
10年後の自分が誰かに向かって、私はこういうことをしてきたんだよね、なんて言えるのはあるのか。

このまま、毎日が終わっちゃうんじゃないのか、ふとそんな不安に駆られてきた。
自分がすごいひとだとも、だめなひとだとも思わないけれど、それってただの可でもなく不可でもない、そんなつまらない人間だ。
今日何をしたのか、それを明確にするために、まずは自分に向かって「書く」ことにした。

きょうの「はじめて」は、「書くこと」だ。

「書くこと」、それは多くの人にとって当たり前のことで、私にとっても自然なことだ。話すことや歩くことと同じように普通にはできること。
けれど、書くたびに自分は書く側ではなく、読む側の人間に過ぎない、書くなんて大げさな事は言わないでくれという心の声がする。
つまり、苦手意識がある。
読むことが好きで、神様みたいな文章に触れすぎたから、何の変哲もない文章を綴ることに抵抗があるのだ。
いやいやわたしなんかが…というザ・日本人の自分が意外と主張が強いのだ。

でも、人に見せないなら、「書くこと」がとても好きなんだと思う。
自分の想いをアウトプットし、整理するには、最も自分に合っている手段だと思う。(現に読みかえさないと決めたうえでの何でもノートがある)
なんでもないことも、文字にすればなんだかすごいことに見える。
書いているうちに、あらら結局同じことしか考えていないのね自分という時も多いが。
ふわふわしたのを、もう少し形にすることができる手段なのだ。

例えば、もやっとするなあと感じる。
「もやっとする」と書く。
なんで?と頭の自分がつついてくる。ん~、と考える。
「朝からもやもやしはじめた」と思いついて書く。
じゃあ朝はなにがあったの?と頭の自分。
「普通に寝てただけ。目覚めも悪くないよ」と書く。
「あ、でも朝なんだか夢を見た気がして…」
「夢の中身を思い出せないから、もやっとしているのかもしれない」と書くわけで、自分の思考を少しずつ型抜きのようにあらわにしていく作業なのだ。

そんな役に立つ「書く」を続けるために、noteをはじめてみよう、と今思い立った。

読む専であった自分が書いてみる。何にもならないかもしれないが、何かになるかもしれない。少なくともブラインドタッチくらいはうまくなるだろう。

さて。明日の自分よ、漫然と過ごすな、「なんか」しろよとここに記しておく。


何も持たぬわたしですが、全力であなたのサポートを活かした「なにか」をします!いまはわたしが沢山の知識と文化とアイデアと記憶を吸収するために使います!