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自分にあるから見える世界

自分の中にある信念によって、
いる世界が変わる。


半月前、
自分の中にある信念(思い込み)が
浮上してきて、
世界がすべて“敵”みたいな感じになってました。

今、自分がこんな気持ちなのは
みんながこうだからだ
旦那が、子どもが、親がこうだからだ。

そうやって、
誰かのせいにしたくなることあるかな?

「相手がこうだから、私がこうだ」

ほとんどの人は、原因の最初は相手だと考える。
(脳の仕組み的にもそうできているらしい)


見たいように見ている世界


わたし自身、母に対して
「かわいそう」「寂しそう」「我慢している」
というふうに感じていました。

だから、
幼少期から、母をかばう行為を自然とやっていました。

「母が〇〇だからわたしは〇〇をする必要がある」
というふうに感じているわけです。

ところが・・・衝撃の事実。

母をかわいそうな人、寂しそうな人、我慢している人に
していたのは、わたし。

わたしの信念が、
そのように見える世界をつくっていただけでした。

なぜ、分かったかというと、
2歳上の姉に、母に対してどう思っているか聞いてみたところ、

「いつも楽しそう」「自由」「友達に好かれている」

という言葉が返ってきました。

わたしの世界にいる母。
姉の世界にいる母。

まったく別の世界でわたしたち姉妹は
母のことをつくりあげていました。


自分の中にあるものが見えているだけ


「相手が〇〇だからわたしが△△」
絶対にそう感じる出来事でも、

必ず、
「わたしの中に〇〇という信念があるから、
相手のことが△△に見える。
だから、わたしが※※」
と、自分が一番最初なのです。

「わたし」からスタートなのです。

だから、言い換えれば、
どんな世界も自由自在につくることができる。

今、見えている人や環境は、
自分の信念が映像になっているということ。

とは言っても、
どんな、映像が見えていても、
それをジャッジする必要は全くない。

だって、
どこかのタイミングで、
その信念がつくられる必要があったから。

信念に気づき、
自分の中にあることを認め、
不要なものとしてではなく、
自分の中にあるものという真実を受け入れた時、

自然と、その握っていた信念は、
戦いをやめ、自分の中にそっとただいる状態に
なるのではないのかと思う。

これまで、
何年、何十年と握って、戦っていた信念だから、
そう簡単にはいかなくて当たり前。

そして、案外、
ただの癖だったりもするから、
(食後に甘いものを食べなきゃ気がすまない的な?)

気長に、コツコツ、
やっていけばいい。

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