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不登校、もうすぐ半年。

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長女、起立性調節障害気味の9割不登校、次女、理由不明の完全不登校の子をもつ母の不登校コラム(親目線)です。
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という前置きも入れるとわかりやすいかなと思って書いてみました。あくまでも親目線の話なので当事者の方にとっては疑問に思うこともあるかもしれません。当事者と、親側の目線は少し違うことを前置きしておきますね。

コロナと不登校

コロナの影響もあって、現在、オンライン授業が行われています。ただ、オンライン授業といっても、次女が通う小学校は、基本全員通学しています。その上で、「コロナが原因で学校に通学できない子たち」のために、オンライン「でも」授業を配信している、という形。なので、多くの児童は通学しています。

不登校次女、このコロナで始まったオンライン授業(午前中かつ教室での活動限定)に、いまは参加しています。垂れ流し配信なので、相互交流とかはないんですけども。なんせ次女くらいしか配信を見てないので。

それでも、担任の先生は毎日教室での授業を配信してくれています。とても助かっています。

たまにクラスの子が次女が参加していることに気づいて、画面ごしに話しかけてくれたりはしますが、次女はすべてミュートにしてるので、画面越しにニコニコしながらそれを見ています。

コロナというネガティブな状況ではじまったオンライン授業ですが、わが家の不登校事情にはとてもポジティブな環境をもたらしてくれています。

次女の場合、校長先生とも不登校について相談させて頂いているので共有済み。オンライン授業が始まるずっと前に、「できるようにならないんですか?」って校長先生に話したときの感触も悪くなかったので、校長先生ご自身がオンライン授業に前向きな方なんだと思います。

ふんわりと学校と繋がっているというのが、もうすぐ不登校から半年経過する次女の状態です。ただし、「普通の通学」は1日もしていません。

学校に行くのは、わたしが思い立って放課後にオクラを見に連れて行くときか、SCの面談のときだけです。

カウンセリングと信頼関係

この半年の間、毎月スクールカウンセラー(以下SC)と相談の場を設けてきました。

以前も書きましたが、不登校の相談を担任にすることはありません。いちいちしない、というのが正しい表現かもしれません。どうにかしてほしい!という要望などもしていません。担任には、そこまで負担してもらう必要はないと、わたし自身が考えているからです。

先生とはSCの提案で、不定期の交換日記をしています。次女は、ちいさなノートを自分で選び、楽しく続けています。わたしにも見せてくれるのですが、日記で、学校のことに触れない先生の配慮もありがたいです。

話を戻して。
次女の普段の「客観的な様子」は、SC経由で伝えてもらう、という状況です。

SCとの面談は、最初はわたしだけで通っていました。次女が、参加の意思を持っていなかったからです。特段絶対に親子で、というものでもないので、わたしがカウンセリングなどを受け、話をしている状態でした。

3回目の面談時に、SCが、わたしは子どもたちとのカウンセリングでよく遊んでいるんです、と言ってきました。トランプとか、パズルとか、お絵かきとか、そんなことをして過ごすこともあるんですよって。

ああ、これ次女に伝えたら乗り気になるんじゃないかなって思ったので、普段使っているそれらのアイテムを写真におさめて帰りました。

次の回から、次女は毎回カウンセリングに参加しています。

初めてSCと面談したとき、ガチガチで緊張して、雑談なんか無理だった次女も、今ではゆっくりとですが、雑談もして過ごせるようになりました。

きっと、次女は信頼関係を築くのがヘタ、というか、時間が掛かったり、苦手だったり、そこに何かしらの課題があるのかもしれません。

だからこそ、学校という場所が、生きづらい場所になってしまっているのかも。

「わたしは何もしてないのに、なんで怒られないといけないの?」と、不安げに話してくれたことがありました。クラスの数人が騒いでいたのを、担任がまとめて全員を叱るようなことがあったらしく。

わたしだったら、「なんで一緒に怒られなきゃいけねぇんだよ!」って適当に怒って終わることなんですが、そんな風に傷ついてしまう子や疑問に思う子もいるんだなって、次女の言葉を通して知りました。

少人数で、ゆっくりと、無駄に他人のことで怒られることもなく、のんびり信頼関係を築いていける場所があるならあるいはーー。

最初は本当にわからなかった不登校の理由が、少しずつわかってきたように思います。普通だったら受け流せるようなこと、気にもしないことが、とても気になったり、傷になったり、悲しくなったり、辛くなったりするんでしょうね。

はじめの頃は、そんなことで、と思うこともありました。強くなってほしいと願うこともあり、励ますようなことも言ってきたのですが、たぶんそれは間違いでしたね。対処として。

ただ受け止めてあげたらよかったんだと思います。
「あなたはそう感じたんだね、辛かったね」って。

自分を守る行為

自分自身を守る行為に「批判」があるのだと思います。誰かの弱音を聞いたとき、イライラしたり、こうすればいいじゃんとアドバイスが真っ先に浮かんできたり、どうにかしてあげないと、と思うようなことがあるかもしれません。

なんとかしてあげたいと思うような、衝動というか、感情。

でもそれは、相談してきた相手にとっては、「批判」でしかないんだと思います。できない自分への、批判。

そして、相談をされた相手は批判したつもりはなく、ただどうにかしてあげたかった。ただそれだけなんです。でもそれでは、絶対に助けてあげられなくて。

ちょっと冷たい言い方になるかもしれませんが、他人を「どうにかしてあげよう」なんて助けなくていいと思うんです。助けてあげたいと思うのは、エゴ。自己満足。誰かが傷つくところを見たくないという自分を守る行為だなって、そう思うことが増えました。

わたしにもあります。今も。だって、不登校、どうにかしたいですし(笑)

でも、少しずつ、どうにかしようと思うことを減らしていこうとしています。していきたいだけでできてないことが多いですけども。

「こうしたほうがいいんじゃない?ああしたほうがいいんじゃない?」きっとほぼ全部、言葉は悪いですが、余計なお世話なんだろうなって。

これ以上傷つけないために

わたしはカウンセラーでもなんでもないのでわからないのですが、これ以上傷つけないためにも、何も言わないことが正解だったりするのかもしれません。

学校で十分傷ついた。それを克服するために、きっと本人はどこかでがんばってる。親には見えない部分で。心で、頭で。

だったらもう、あったかいご飯準備してあげて、気持ちいいお布団用意して、お腹すいたらご飯を出して、眠たくなったら眠れるようにしてあげて、たま〜に勉強だけは促したりして。それでいいかなぁって。

不登校になって半年ですが、学校に行こうという言葉を完全に封印して4ヶ月が経ちました。

学校のことを考えるとお腹が痛くなって夜中まで眠れなかったのが、眠れるようになりました。笑顔が増えました。色々な原因があって外出もできなかったのが、最近では週に2回くらいは、自分からここに行きたいと言えるようになりました。

昼夜逆転は、ありがたいことにしていません。昼間、思い切りゲームをさせているからかもしれません。ゲームした分だけ勉強もしてね、というだけ。

不登校半年。今日のカウンセリング帰りに、面談の内容もあって、学校行ってみたくなった?って聞いたら、「行きたい気持ちはあるけれど、行こうとはまだ思わない。」と言っていました。

そう、ちゃんと言葉にしてもらえるようになっただけ、わたしにもやっと心を開いてもらえたのかな、と思います。

最初は、泣きながら「学校に行く!」っていうくらい、本音を隠すばかりでしたから。

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