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傍観者たれ。

久しぶりの朝の反省会。何も、何も書くことがなかった。

校外学習と称して不登校2人連れて、平日昼間からみかん狩りに行ったり、夫が骨髄ドナーの第一候補に選ばれたりしたけれど、わたし個人としての大きなできごとは何もなかったから、とくに何もなかった。

何回いうねん、何もなかったって。

少し前まで、いろんな焦りを抱えていたように思う。自分自身の心がかなり健康になってきて、ここ1年ほどはわりと「普通」に戻った。だからこそ、自分が見えてくる。

以前はブログで会社員並みに稼いでいたけれど、いまはパート収入にも満たない。フリーランスとしても足止めをくらっているなかで、子どもはふたりとも不登校で。わたしはいったいどこへ向かえばいいのだろう、と。

とっても焦っていたから、パートの面接を受けたりして、落ちたりして。

そんなこんなで、自分自身なんでこんなに焦ってんだろうと、ふと我に返って、「あ、やめよ。」と思ったのが、反省会が途絶えた理由だ。

反省会をやめたかったわけじゃなくて、焦るのやめようと思って、いろいろなことを心のなかでやめた。不登校に関する話題も、それほど触れなくなった。

いろいろ心のなかでやめたら楽になったし、今しっかり作り込んでいるブログで、いくらかの収益があがっているっていうだけでうれしい。

いろいろやめて、考えることもやめたから、反省会として吐き出してまで書くようなこともなくなった。

不登校について触れなくなったのは、いくら不登校経験者の話を見て、読んで、考えたとしても、やはり不登校は不登校になっている子どもたち自身の問題なのだということがわかるばかりだからだ。

「不登校は悪くない。」という言葉をよく聞くが、その言葉が、不登校をネガティブなものに導いているんじゃないかと思ったりもする。

わたし自身、思っていた以上に学校には行くものだと思っている部分があることを自覚したことはあるけども、いかないことが悪いとはまったく思っていない。おそらく、それは昔からそう思っている。

いけないならいけないってちゃんと言ってほしい。そうすれば、いくらでも対策が取れるから。というスタンスだ。

だからこそ、いよいよいけないのだと悟った瞬間、「だったらいかなくていいんじゃね?」と言えたんだと思う。それを悟るための期間、およそ2週間という驚きの短さ。

不登校が悪くないと本当に思っているのなら、「悪くない。」という言葉さえも出てこないのだと思う。なんでそんな言葉が出てくるかって、きっとそれは、不登校本人が様々な人から向けられたであろう「学校に行かなければいけない。」という考えと戦ってきたからこそ感じることなのだろうと思う。

不登校そのものと、自分自身が戦ったことのないわたしには、本人の罪悪感とか劣等感とか、到底理解などできないのだと思う。

そんなことを思ったときに、自身が不登校ではなかった親は、それを理解できないことをしっかり自覚したほうがいいんだろうな、というところに行き着いた。とくに、普通に、何の疑問もなく通えてきた親なら余計に。

だからこそ、わたしは不登校児の親として、不登校そのものとは距離を置いたほうがいいと思った。傍観者たれ、と。

そして、それがきっと、「不登校は悪いことだ。」というジャッジを、不登校本人にさせなくて済む、親ができる唯一の方法ではないだろうか、と思ったりもする。

***

先日、テレビのクイズ番組で「小学3年生で習う漢字」を使ったクイズをやっていた。小3次女、何をおもったのかそれを見て「わたし、学校に行ってないから、どの漢字習うのかわかんないや」と、ボソッと言っていた。

その言い方もまったくネガティブなものではなく、なんのうしろめたさもなく、さらっと言ったもんだから、わたしも、夫も、長女も、顔を見合わせて笑ってしまった。

次女も、笑っていた。

そのときに、あらためて2人に聞いてみた。「自分たちが学校に行けないことを、悪いことだと思ったことがある?ネガティブに捉えてる?」と。

2人は、きょとんとした顔で、「全然!」と言っていた。
うん、これでいい。わが家はこれでいいと思った。

***

補足すると、学校に行かないことが良いことという意味と同じではない。学校に行かない自分自身(ここでは本人たち)を否定的に捉えていないことが「これでいい。」と思ったのだ。

学校に行けていない自分はいるけれど、それを必要以上に、あるいは世間的な目を気にして「悪いことだ」と、自分自身に刷り込んでいないのであれば、それでいまはいいと思っている。

幸いにも、小学校の担任も、中学校の担任も、まわりの友人も家族も、学校に行けないことを否定して、無理に学校に来させよう/行かせようとしないので、この刷り込みはされなくて済んでいる。

環境に、感謝だ。

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