冨樫由美子

歌集『草の栞』(ながらみ書房、2002)、短歌とエッセイ『バライロノ日々』(新風舎、2…

冨樫由美子

歌集『草の栞』(ながらみ書房、2002)、短歌とエッセイ『バライロノ日々』(新風舎、2005)。「短歌人」同人。Twitterアカウント @yumicomachi

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「短歌人」2024年4月号掲載作品

08 「08珈琲」その店名の由来知らずまた「イチハチ」と言ひまちがへる 図書館の裏手の旧き建物の二階にありてしづかなる店 珈琲に詳しくあらずいつ来ても頼む「季節の珈琲」ひとつ 夕闇が窓に迫りてくるころをタルト・タタンにフォークを入れる ナナハチぢやあなくて一か八かでもなくてなくて08珈琲ここは 一人でも二人で来てもいい店だ図書館通り見下ろせる窓 すこしだけ秘密をわかちあひたくて小声になつてゐるわたしたち

    • 「短歌人」2024年3月号掲載作品

      ポタ ぽつぽつと零す言の葉カフェラテのカップを覗き込むやうにして 空つぽになつて何かを待つてゐる誰かではなくあなたでもなく 冬の朝のひかりとともにかき混ぜるコーンクリームポタージュスープ ポタージュのポタの部分が旨いのだ木のスプーンがさう言つてゐる ぽたぽたと落とす涙はくやしさのなみだ ここから出られぬことを ここは何処ここは辺境おほごゑに泣いたところで届かぬほどの ひとまへで号泣をしたことがある若き日夭き死にかかはりて ※同人2欄 冨樫由美子

      • 源氏物語エッセイ「彼女たちの声」

        「源氏見ざる歌詠みは遺恨の事なり」。  六百番歌合の判詞として残る藤原俊成の言葉が、ずっと耳に痛かった。歌を詠み始めて約三十年間、源氏物語をきちんと読んだことがなかったからだ。(幾つかの漫画などで概要は知っていたが)。  しかし来年2024年のNHK大河ドラマが紫式部の生涯を扱う「光る君へ」であることから、放送が始まる前に今年こそは源氏物語を通読しようと決意した。  といっても原文では歯が立たない。数ある現代語訳の中から私が選んだのは『源氏物語 A・ウェイリー版』(左右

        • 「短歌人」2024年2月号掲載作品

          モモ 切り抜きはエンデの死去を告ぐる記事函入り本の『モモ』に挟まれ 一刷の発行年は一九七六年わが生まれ年 祖母逝きし雪深き冬くり返し読みたる『はてしない物語』 美しい二冊の本が書架にあることを支へに生き延びて来し 引越しや蔵書整理の幾たびを経て残りたるエンデの二冊 暗記するほど読みしゆゑもう読まずされど手放すこともできない モモは桃。桃は生命のシンボルと知らざるままに名づけしエンデ ※同人2欄、冨樫由美子

        「短歌人」2024年4月号掲載作品

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        • 短歌作品
          77本
        • エッセイ等
          36本
        • 日記
          1本
        • 評論等
          14本
        • 詩型融合作品
          5本
        • 小説
          6本

        記事

          三十首連作「いつか明るい」

          たくさんの「いいね」がついた投稿にゆびさきあててわたしも媚びる さくらもちさくらもちつて買ひにゆく食べるためよりアップするため 白鳥が北へ帰つてゆくを撮るスマホかざして首をそらして ほんたうの気持ちはどこにあるだらう仰いだ空を雲が流れる 感情もきれいになるといいのにと手を洗ふたび思ふこのごろ 雪の下よりあらはれて春あさき散歩の道にあまたのマスク 桃始めて笑ふの候にかくてがみインクのにじみ知らんふりして この部屋で甘い紅茶を飲みながら知らない人と会議をします は

          三十首連作「いつか明るい」

          短歌+エッセイ「はたち・手袋」

           私がはたちだったころ、今日1月15日が成人の日だった。写真の中で浅葱に紅型の振り袖を着た私は、立ち姿も笑顔もいかにもぎこちないけれど、やはり初々しいものだったなあ、とわれながらしみじみと眺めてしまう。  そしてお正月といえば、何といってもかるた取り。小倉百人一首も好きだけれど、目下のマイブームはだんぜん「啄木かるた」。  石川啄木の作品五十首を中原淳一が絵がるたにした「啄木かるた」は雑誌「少女の友」が1939年新年号の付録としたもので、その人気は爆発的だったそうだ。私が持っ

          短歌+エッセイ「はたち・手袋」

          「短歌人」2024年1月号掲載作品

          ボンボン てのひらにのるボンボンの缶ひとつまこと小さきものは愛おし ボンボンをしづめし紅茶ほんのりと香りをたてて三時をまはる 懐かしい未来の匂ひ古びたる雑誌の隅の星占ひは ときとして記憶の底になるあれは祖父母の家のぼんぼん時計 北に居て北を恋ふこと ゆつくりと舌の上にてボンボン溶ける ハッカの香嗅ぎつつ憶ふ若き日の旅といふ旅、海といふ海 横浜と神戸の記憶が混ざるのは港の風と洋館のせゐ ※同人2欄 冨樫由美子

          「短歌人」2024年1月号掲載作品

          「短歌人」2023年12月号掲載作品

          うさぎ 秋の陽が差しこむ窓に近く読む絵本の中のうさぎの愁ひ ラズベリーいろのうさぎのぬひぐるみ抱きて眠る淋しきときは ミッフィーの表情のなき丸き目が哀しき日には哀しげに見ゆ 子ぐま座が月のうさぎと恋をする童話を書きし高校時代 陶器市に一目ぼれせしお茶碗のもやうは紺の波うさぎなり 色とりどりのうさぎの耳のやうだねと舞ひ散る木の葉見て言ひし人 南天の実と葉と雪の小さき塊きのふ雪うさぎのゐた場所に ※同人2:冨樫由美子

          「短歌人」2023年12月号掲載作品

          「短歌人」2023年11月号掲載作品

          お気持ち だつて夏は冬へ向かつてゆく季節 熱中症はさみしさのせゐ 環境に優しい簡易包装のお気持ちですよここにサインを 耳鼻科医の趣味はピアノといふ噂おもひつつ耳診てもらひをり 婚姻は何も解決しなかつた遠い花火を数へる夕べ でも今日もモーツァルトを聴いてゐる他のすべてを忘れるために 雨垂れと本と紅茶と詩の話すこしづつずれ恋愛談義 詩を見せることは自分を見せることあなたにだけは見せない所存 ※同人2欄 冨樫由美子

          「短歌人」2023年11月号掲載作品

          「短歌人」2023年10月号掲載作品

          濃淡 心には濃淡があり濃い方の心で人を憎んだりする ゆつくりと時間をかけて煮込みゆく君がわたしにくれた嘘たち 紫陽花の青に溺れてゐる人が写真を撮つてくださいと言ふ 珈琲を断ちてをりたるある朝全細胞が珈琲を乞ふ ブックカフェ〈赤居文庫〉に小半刻寺山修司のメルヘンを読む てきたうに料理することできなくてレシピなぞるもうまくいかない テレビでは土井善晴がにこやかにささがきごばう指南してをり ※同人2欄 冨樫由美子

          「短歌人」2023年10月号掲載作品

          幻のマヨネーズ

           2023年8月上旬、X(旧Twitter)上のキャンペーンに応募したときの文面です。8月31日(やさいの日)にちなんで、キューピーの公式アカウントがサラダにまつわるエピソードを募集したもので、A賞15名はエピソードをイラスト化され、複製原画がプレゼントされる、B賞100名にはキューピー商品とグッズの詰め合わせが当たるということでした。抽選だからエピソードの内容はあまり関係ないのかもしれませんが、わたしは張り切って短歌つきのエピソードを綴りました。  出典に記した通り、この

          幻のマヨネーズ

          短歌+エッセイ「栞」

           読んでいる途中の本がすぐにたまってしまう。そのそれぞれに、栞が挟まっている。読書の相棒たちだ。  栞紐のあるタイプの本はそれを使う。本のしっぽのようでかわいい。ない場合も、文庫本などには付録でついてくることがある。ミニ知識が書いてあったりして面白い。  自分でも購入するし、お土産やプレゼントとしていただくことも多い。行ったことのない土地の香りを感じながら本を読めるのがうれしい。 それぞれの本にふさわしい栞を選ぶのも楽しい作業だ。「宇治源氏物語ミュージアム」で買った和紙

          短歌+エッセイ「栞」

          「短歌人」2023年9月号掲載作品

          「記憶と忘却」 画廊の女あるじの銀髪の、卯の花腐し降つてゐる午後 水芭蕉さがしにゆきてみつからず水のほとりに私が咲かう はつなつの遠い記憶の教室に万人祭司説を知りたり 紅い花あをい花咲く忘却の森へとつづく道の傍ら 抱かれてゐても抱いても寒かつた淋しさばかり分け合つてゐた 晴れた日は気持ちがよくて大さうぢ昔の人の手紙も捨てる 無防備に喉を見せつつ青空の破れた箇所を指さしあつて (同人2欄 冨樫由美子)

          「短歌人」2023年9月号掲載作品

          聖書の手紙

           手紙が好きだ。  書くのが好き。もらうのも好き。  自分宛ではない手紙を読むのも好き。  文学者やその周辺の人々がやりとりした手紙が、研究のために公開されることがある。ちょっと盗み読みみたいで後ろめたい感じがするけれど、作品とはちがう生き生きとした息づかいを感じられて面白い。  公開を前提にした往復書簡というのもある。多くの人の目を意識しながらも、宛先の一人を思って書かれていて、その絶妙なバランスに魅了される。  聖書にも手紙がたくさん収められている。新約聖書の「

          聖書の手紙

          「短歌人」2023年8月号掲載作品

          「風」 風光る 肺腑の奥にきらきらと痛みのやうな言の葉がある 桜蕊ふるゆるやかな坂道をくだりてゆけり古本の店 バス停に歌集を読みてゐる人と隣りあはせて横目をつかふ 岩波文庫の紋様すこしカバーより覗かせにつつ歌集よむ人 歌集よむ人の降りゆくまでを目に追ふ風薫る五月のある日 「小公女セーラ」の主題歌を歌ひ己励ます夜もありたり 錠剤によりて心の平安を保つ日もあり風が見えるよ ※同人2欄 冨樫由美子

          「短歌人」2023年8月号掲載作品

          エッセイ+短歌「夏休み」

           とくにクラブ活動をしていたわけではない小学校時代の私の夏休みといえば、ほぼ毎日(!)家の近くの屋外プールで遊び、図書館で涼みながら読みたい本を思いっきり読み、帰宅してはアイスクリームを食べて昼寝する……という天国のような生活でした。  プールで「遊び」と書きましたが、「泳ぐ」というよりも一人で浮かんだり沈んだりしていることが多かったような気がします。それの何が楽しいのかといいますと、水の中で聴こえるごおんごおんという不思議な音(今思えば給排水の音でしょうが)に、どこか別世

          エッセイ+短歌「夏休み」