1994年第二回水のエッセイコンテスト最優秀賞受賞作品「願い」

 「水になりたい」。そんな願いが私の心の底を、一条の川のように流れはじめたのは、いったい、いつの頃からだろう。長い間私の中で鮮やかに息づいてきた、この清冽な優しい川は、どこから流れて来るのだろう……。

 生まれたばかりの赤ん坊は水を怖がらないという。母親の胎内で、羊水に包まれて長い時を過ごしてきたので、かえって水中のほうが安心するのだとか。それで、水泳教育を始めるのは早ければ早いほどいいの良いのだそうだ。
 体を動かすこと全般を苦手とする私が、水泳だけはどうやら人並みなのも、住んでいた団地の敷地内にプールがあって、幼い頃から夏になると毎日のように水で遊べたおかげなのだろう。とはいっても実際は、泳ぐよりも、のんびりと水に浮かんで好きなことを考えていることのほうが多かった。
 幼児用の浅いプールの、注水孔が私のお気に入りだった。ちいさかった私のてのひらの、指をのぞいた部分くらいの大きさの円い穴。水の流れでペンキがはげおち、でこぼこしていて本物の岩のようにみえた。のぞき込むと奥のほうは暗く、秘密めいていて、魔法の洞窟のようだった。
 夜になると、きっとこの洞窟からちいさい人たちがたくさんやってきて、月の光の中で遊ぶんだ。その人たちにとってこのプールは海のようにも思えることだろう……。
 気紛れな空想にも飽きると、孔の横に浮かんで、耳をくっつける。ごんごんごん……。水が孔を通って流れてくるときの不思議な音が、よく聞こえる。貝殻に耳をあてたときの音に少し似ているけれど、もっと力強い、それでいておだやかな優しい音楽。眼をつむって耳を澄ましているうちに、眠くなってきた。このまま眠ったら、私もちいさくなって洞窟の向こうの世界に行けるかもしれない。いや、もっともっとちいさくなって、水に溶けてしまえばいい……。

 小学校一年のとき、家族で川遊びに行った。私がすーっと流されて、父は肝を冷やして必死で捕まえた、という。当の私はきょとんとしていた。お父さん、何をそんなに慌てているんだろう。私、川になって流れていくところだったのに……。

 中学校に入って、理科の時間に人体の七割は水でできていると教わった。それなら、と私は考えた。他に何も食べずに、きれいな水だけを飲んでいれば、人間も水になれるんじゃないだろうか。細胞のひとつひとつがだんだん透明になり、水の色へと還ってゆく。
 そんな様子を、私はもっとも美しいものとして空想したものだった。

 水になりたい、そんな子供じみた願いをいつまでも持ち続けていた私が、高校生になろうとする春、ひとつの映像を目にした。
 戦争中にある国が流した油に汚染された海。思い鈍色をして水鳥を死に追いやってゆくそれは、もう水ではなかった。
 それをきっかけに、今まで目に入らなかったさまざまな情報が、急に意識にとび込んできだした。洪水、水の事故。そして水質汚染、酸性雨……。
 多くの現実を知るにしたがって、今まで大切にしてきた子供の頃からの空想が、あまりにもくだらない、根拠のないものに思われだした。もちろん本気で水になれると思っていたわけではないけれど、生命は水の中から生まれたのだから、人の本質は「水」だと信じていた。それは、間違いだったのではないだろうか。人と水とは、実は全く無関係に存在する、異質のものなのでは……。
 異質のもの同士であれば、排除しあい、憎みあっても不思議はない。その頃の私には、ほんとうに人と水とが憎みあっているように思われたのだった。
 あの夏の日、父に摑まえてもらわなかったら、私は水に殺されていただろうし、最初に水に親しんだあのプールも、所詮四角い箱に水を閉じ込めた人工的なものだったと気が付くと、思い出の香しさが半減するようだった。
 そう、人は水ではない。たとえ汚染された水を飲んで身体の七割を汚染されたとしても、水そのものになることはできっこないのだ。
 けれども最初のショックが過ぎ去ってみると、私はいまなお自分の中に、願いの川が流れているのを発見した。懐かしい、あの川のほとりに戻りたい。そうしたら私、きっと水になれる。
 この空想は、私を支えてくれる力なのだ。今はもう少し、この流れをたどってみようと思う。まだ難問は解決していないし、川の果てに何があるのかはわからないけれど……。

(高校生を対象にしたコンテストでした。審査員は牛島倫子先生、萱原昌二先生、清水誠先生、玉村豊男先生、團伊玖磨先生、宮田親平先生、山本耕介先生。)   

#エッセイ

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冨樫由美子

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