創刊100年記念「赤い鳥」感想文コンクール最優秀賞作品「見たことのない懐かしい道」

見たことのない懐かしい道
              冨樫由美子
 私はからたちの垣根を見たことがない。だけれど、北原白秋の「からたちの花」を読むとなんともいえない甘やかな懐かしさで胸がいっぱいになる。
 しろいしろい花、あおいあおい針のとげ、まろいまろい金のたま。図鑑やインターネットで画像を見ることは容易だし、この文章を書くにあたってそうしたが、何十年もからたちの姿を見ないまま心の中にそのイメージをしっかり抱いてきた。白秋のことばの魔力によって。
 このように「からたちの花」の魅力はその植物の淡いようでいて確かな描写に多くを負うているのだが、クライマックスはやはり第五連であろう。
「からたちのそばで泣いたよ、
 みんなみんなやさしかったよ。」
 なぜ泣いたのか、誰が泣いたのかも明らかにされていない。
泣いたのは童謡全体の語り手である子どもであろうが、「みんなみんな」とは誰か。一緒に遊んでいた子どもたちか、子どもを見守る大人か、その両方か。泣いたのは悲しいことがあったからか、それとも何か遊びで怪我でもして痛かったのか、喧嘩でもしたのか。
 「泣いたよ」から「みんなみんなやさしかったよ」の間にも飛躍というか、謎がある。泣いたからやさしく慰めてくれたのであろうが、あえて倒置にとってみんながやさしすぎて泣きたくなったというふうにもとれる。人がやさしくて泣きたくなるなんて、大人目線の穿ちであるかもしれないけれど、そのような読みもゆるしてくれる懐の深さが、この童謡にはあると思うのだ。
 北原白秋の童謡でもう一篇好きなものを挙げるとすれば、「この道」である。「からたちの花」でも「いつもいつも通る道だよ。」と「道」ということばがでてきて見たこともないその道に懐かしさを覚えるのだけれど、「この道」も本当に懐かしい。あかしやの花が咲いていて、母さんと馬車で行った道なんて私にはない。だいたい馬車に乗ったことなんてない。だがそういう問題ではないのだ。見たことはないけれど心の琴線を震わすうつくしい道。誰もがたましいのふるさとへと辿りゆく道。「いつか来た」とはそういうことであろう。
 第四連のさりげなく素晴らしいこと。
「あの雲もいつか見た雲、
 ああ、そうだよ、
  山査子(さんざし)の枝も垂れてる。」
 雲は、同じ雲は二度とないはずなのに、いつか見たという。その表現こそ、この童謡が単なる風景ではなく心象を描き出していることの証左に思われる。
 「からたちの花」の垣根道も「この道」に歌われた道も、見たことがないけれど限りなく懐かしい私の中の大切な心の道である。


※主催者の許可のもと公開しています。なお、選評および優秀賞作品とともに、『日本児童文学』2019年3・4月号に掲載していただく予定です。

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