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感情の鈍化

自分のために綴るnote。
あんなに感情を持て余して自分で自分を苦しめて悩んで悶々としていた私だったのに、最近ふと気づいたら感情が全然波立っていないことに気づいた。
感情が鈍化していないか不安になったyumiigoです。

毎日同じようなことに悩んでむかついて凹んで。
でも周りはどこまでも変わらないので自分だけが疲弊していく。
そんな日々の繰り返しにどうにか打開策を考えてはトライアンドエラー的なことをしてみるんだけど、どこにも突破口が見つからない。
気づけばまた同じようなことに傷ついて反省してみたり、その相手を恨んでみたりしている自分がいる。

ほとほと疲れた。
私はどれだけ長い時間をこのループの中にいるのだろう。
なんだかそんなふうに思ったらバカバカしくなってきて、この自分の考えすぎる思考を停止することにした。

今年は大吉しか引いてなくて逆に怖くなる

いつも私は先回りして周りの言動も感情すら察して立ち回っているのにそれが役に立つどころか自分を疲弊させるだけなのだ。
それに引き換え周りは自由奔放で、こちらが気を使って先回りした気遣いしたことも気づかれずあっさり踏み潰されるのだ。
その先回りの気遣いに気付いてももらえなかったことに、私は勝手に傷ついて踏み潰された見えない残骸を拾っては心で泣いているというのに。
周りは気づきもしない。
鈍感すぎる。
なんでそんな鈍感に笑っていられるのか。

私が傷ついたことを誰にも気づかれないように笑顔を振りまいているのだから、私の演技力は相当なのかもしれないとも思ってしまう。

結局私は何がしたくてなんで傷ついているのかわからなくなってしまった。
自分が傷ついているんだということを周りにわかって欲しいわけではない。
ただこの場が快適にみんなが心地よく居られる空間であって欲しいのだ。

ただそんな時に自分だけが傷ついて疲れていて、周りは心地よいと思ってるなんておかしいじゃないか。
私も心地よく居させて欲しいんだけど。
そんな私を心地よく居させてくれる人はこの世界に片手の数もいない気がした。

私はそんな状態によく陥ってしまうので、そういう時はいつも”私は暇すぎるんだ”と自分に納得をさせようとしていた。
私は周りの人の気持ちや行動を推察して、先回りして考えて自分の行動を選ぶようにする、それだけ考える余裕があるんだ。
みんなは自分や自分の家族のことを考えなければならないことがたくさんあって精一杯なんだ。

私は他の人より良くも悪くも心に占めるものが少なすぎる。
子どももパートナーもいないし、自分の親もまだ元気でいてくれる。
自分だけのことを悩んでいられる、ある意味哀れな恵まれた人間だから余計なことばかり考えて、無駄に一人で凹んでいるのだ。
そう結論づけてしまったら返って更に自分を奈落に突き落としてしまった気がした。

結局、自分の考え過ぎる思考が自分をネガティブにしている。

そう思ったら一度考えることを手離してみようと思った。
今まで考えないことをしたことがなかったので難しいかなと思ったけれど、私の周りには考えないで行動している人は割とたくさんいるのだ。
それを真似した思考で動いてみればいいのだ。

何か聞かれたら「わかりません」「知りません」
なんか隣の人が私に察してほしいような視線を送ってくるけど無視する、
もしくは鈍感なフリで「え?なんですか?」ととぼけた質問返し。
「どういう意味かわからないんですけど」と考えずに返す。

なんかこれまで自分が選ばなかったようなリアクションをとってみる。
その行動の根底にあるのは「答えを自分ではなく相手に委ねてしまう」行動だ。
私の中に答えがあってもそれは言わないで相手に委ねてしまうのだ。

これまでを考えると、私はせっかちなので先回りして答えをこちらから提示してしまって、結局私がそれを引き受ける羽目になるなんてことも多かった。
でも自分のペースで進めたいと思うしせっかちなので、遅い人にはイライラしてしまうから仕方なしと思っていた。

それを思考停止の行動で対応すると相手の反応や動きを待つしかなくなる。
ひたすら待つしかないのだ。

仕事の場面でそんなことをしていると不安なことが増えるのは当然で。
私だったら1時間もあれば終わった案件が来週に持ち越されてしまったりとか平気で出てくる。
おいおい大丈夫なのか?と不安は募るばかりだがそれも考えない考えない・・

もう自分のペースどころか、そうなると思考は「どうにかなるさ」「私は知らない」「誰かがなんとかするんじゃないの」となっていく。
最悪な考え方だと思いながらもしょうがない。
相手に判断を委ねてしまったら自分にはその答えを待つ以外、何もできることはないんだもの。

自分にとっては不本意だらけのそんな生活をここ最近続けていた。
思考は停止状態。
不安は日に日に増すばかりだったけれど、そんな中でも新たな気づきがあったんだ。

私のペースが速いから見えていなかった景色がほんの少し見えた気がしたんだ。
今までの私だったら痺れを切らして、自分で答えを出して進めてしまっていたような仕事が、スローペースな担当者から丁寧な仕事になって返ってきたり。
私の思い付かなかった形で自分でも答えがわからなかった課題に周りの人達の声や行動ですんなり解決に向かったり。

そうか。
私じゃなくてもどうにかなるんだ。
あれもこれも私が気付いたんだから私がやるしかないと思っていた。
でもみんなだってそれぞれの立場でそれぞれのペースで考えて行動しているのだから、私一人が全てをわかっているものでもない。

その時初めて、考え過ぎる私は自分の感情で頭の中がいっぱいだった分、本当の意味では、周りの声がきちんと自分に届いていなかったのかもしれないと思ったんだ。

そんな当たり前のことに気づいたら、ほんの少し自分の肩が軽くなったような気持ちになった。

とはいえ考え過ぎる先回りのせっかちな自分はやっぱり変えられない性分なので、無意識にこれからも自分で答えを先に出してしまって動いてしまうと思う。
でも考え過ぎる自分でやっぱり良かったんだと思う。
それだけ周りに優しくなれるはずだと思うから。

考えが及ばない鈍感さは無自覚に人を傷つける。
その無自覚な行為を責めることはできないし、私だってそんな一面をどこかに持っているはずだ。
でもだからこそ自分にできる最大限の繊細な思考で周りの人と関わっていくことをしたいと思うんだ。


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