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2022年は人生史上最もさぼった1年だった。

2022年最後の日、全ての葉を落とし、身軽なようにも寒々しいようにも思われる丸裸の木に、小鳥たちが集まっていた。車内には決して届くはずがないのに、ちゅんちゅんという鳴き声が私の鼓膜を震わせた気がした。いつもなら気に留めないありふれた車窓の景色が何故か特別に感じられるのは、大晦日が人間界では特別な日だからであって、昨日も同じように木に集まっていただろう小鳥たちにとってはただの1日でしかないんだな〜とぐるぐる思考が頭を巡る。

そして突如、こんな風に日頃から毎日を特別な日にできた/感じられたらな、と思った。そうできたら、2022年最後の日に、「2022年は人生史上最もさぼった1年だった」なんてことを思わなくて済んだかもしれない。


2022年は人生史上最もさぼった1年だった。
もちろん達成したことも多くあり、カフェのオープン、「ユミカ旅行記」の発行、日本47都道府県制覇などはその主たるものだ。だけど、それらのほとんどは2021年以前の積み重ねの結果であり、2022年だけを振り返ると、どうだろう。何に本気になって、何に躓いて、何が悔しくて、何に怒って、何を求めて、何を得た?

仕事、遊び、自己研鑽、カフェ経営、交流、全てにおいて目的も熱量も整頓もできておらず、だけど流れのままに身を任せて何となく進んでいたから、頑張っている楽しめていると表面的に自己評価していた。


でもある日、友人と食事に行った帰り道、ふと「相手は私と時間を共有してよかった」と心から思えただろうかということが気になり始めた。楽しさや満足感の種類はいくつかあるけど、どれであれ、一緒に過ごした時間が相手にとって意味あるものであってほしい。それが不安になったのはきっと、今の自分に自信を持てていないからなんだろう、潜在的な自己評価から目を背けていたのだ、と気づいて焦って、人生で初めて人と会うのが怖くなり始めた。エネルギーも輝きも何もなくて、過去の努力に縋る面白みのない自分を晒すのが恥ずかしくなったから。

年末に実家に帰った時、高校3年生の頃に書いた文集を久しぶりに開いた。
「ナウイスト」、18歳の私の作文のタイトル。
不安と期待の中で、思い描く未来に向かって目の前のことに全力で取り組むことの重要性を説いていた。未来はどうなるかわからないけど、だからこそ「今」心が動くことに対して素直に全力で動く。ああ、そうだったな〜。


私は打算的に動いて納得できるタイプの人間ではないことを認めよう。
大人になったからと意地を張るのはやめて、自分らしく「ナウイスト」でわくわくすることに素早く反応しよう。
感受性より感能性を働かせて、毎日を自分界で何かしら特別な日にしよう。

そのために、①やめる/すてる/かえる ②スピード ③短期的な計画・実行・評価の繰返し を上半期心がけてみることにする。あ、最近読んだ本にあったドラッカーの問い「何をもって憶えられたいか」に影響されて、思考の整理と自分流の発信(④エンパワーメント)も勇気を持って行おうと思う。

誰に何と言われようと、「すごい」生き方より「おもしろい」生き方を、引き続き。モチベーションが下がりそうになった時は、有難いことに私に刺激を与えてくれる方々が周りにたくさんいるので、自ら刺激をもらいに行く。



いつもエンパワーメントしてくださる周囲の方々に感謝を忘れず、脱線と修正の繰返しから逃げずに、変化に適応しながら、飛躍のための準備をする2023年にしたい!謙虚な自己評価とちょっと過大な自己愛も忘れずに!


ー2023年1月14日 栄のコワーキングスペースにて

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