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何でもかんでも受け入れなくたっていい。


存在している、させているってことは、

それが受け容れられている、受け容れているってことになるから、

なのに、

受け入れられない自分がいる、っていうことが、許せない。

そんなわたしが、いるのかも。


だったら、創るなよ、存在させるなよ、煩わしい。って思っている。


そう、煩わしい、んだよ。

煩わしい(わずらわしい)は、煩い(うるさい)、とも読む。


そう、「うるさい」のがとてつもなく嫌いで不快なのは、

ここに通ずるのかもしれない。


矛盾がある、のが許せない、のだろうね?自分の中で。


不快感や嫌悪感があることも、きっと、許せない。

なぜなら、不快だから。嫌悪を感じるから。


嫌なんだよ、それが。

なんで、そんな嫌なもの創ってるの?ほんとやめて、何の嫌がらせなの、って思ってるかも。


自分を不快にする、嫌悪させる、そんなものを創っている自分の事も、その自分が生み出している不快感や嫌悪感、それを味わうための出来事の一切も、本当はきっと、許してなんていない。

消えて無くなればいい、とすら、思っているかもしれない。

だから、時折、すべてを無くしたく、なるのかも。


無に帰す


っていうのは、とても魅力的な言葉で、そこに意識を向けると、本当に楽になれる。

何も無い、本当に無い、って、なんて楽なんだろうって感じる自分はいるかも。


有る・在る、という事は、煩わしい。

言葉を変えて言うなら、めんどくさい、とも思っているかもしれない。


こんなに、嫌なんだね。「ある」ということが。

ここに通ずるかもしれないのは、「持つ」という事、で。

持つとか、「所有する」も、ものすごく毛嫌いしている言葉。


”はぁ?所有?そんなもの無いでしょ。なんでそんなもの創り出すの?だから、意味のない、わけのわからない、本当にくだらない、争いやら恐怖といった感情なんかが生まれて、今みたいな世界が生まれるわけでしょ?何なの?何がしたいの?本当にくだらない、馬鹿げてる。心底、不快で、不愉快だ。そんなもの、軒並みすべて、無くなってしまえばいいのに。なんで「ある」んだ、いつまであり続けるんだ。本当に、嫌だ。”

みたいに思っている、かな。

いや、本当に、くだらないと思うよ。本当に、ね。


あーあ。これを自分が創り出してるなんて思うと、ほんと、がっかりだよ。自分に。何してんの?ほんと。そして、そんな世界に、わたしを送り込まないでよ、とも思っている。

ここでは、これを書いているのが《わたし》、すべてを創造しているのが《自分》ね。


くだらない、意味のないこと、無駄なことが、多分、きっと、とてつもなく、嫌い。

なんて馬鹿らしいと思っている。嫌悪がヒドイ。


そんなにも嫌悪感を味わいたいの?っていうぐらいに。

嫌悪感の反対、対(つい)が何なのか、分からないけれど、

好感、なのかな?

嫌悪感を「嫌い」、好感を「好き」と言い換えるなら、

この世界に「好き」をいっぱい見出すと、

その分、対の「嫌い」=嫌悪感、も生まれている、在る、になるのだろうか。

・・・あーあーもー。どんな仕組みなんだよ、それ。

気に入らないな〜。ほんと気に入らない。

無茶苦茶を言っているのは、分かっている。

理論じゃない。感情だ。


なんで、片一方じゃダメなわけ?

そんなの、一方だけじゃ、それがそれとわからない、からだよ。

・・・そんなのは分かっている。

筋が通る事すべてに、「はいそうですか、そうなんですね、わかりました、了解です。」って言えるわけじゃない。

言ってきた、かもしれない。

その時は、そう思っているから、ね。多分。(その時のことなんて忘れたよ)

だから、きっと、これも、反作用、みたいなものなんだろうね?

・・・煩わしいなぁ、本当に。

本当に、不愉快だ。


不愉快

これもまた、「愉快」にフォーカスし続けてきているところがあるかもしれないから、その反作用、なのか?


・・・不快だわ〜、本当に不快だ。

これも・・・言わずもがな。


この仕組み、どうにかならないわけ?

ずっとこの仕組みの中で、それが作用するこの世界で、生きていかなきゃいけないの?

・・・まじ何の拷問なの?


「良い・好い・快」と思われるほうに、そのほうばかりに、目を、意識を向けてきた、かもしれない。

だから今、「悪い・嫌・不快」に、目を、意識を向けているのかも。

そして、前者ばかりを表現してきた、しようとしてきている、かもしれないから、今は後者を、なのかもだし。


・・・わかったよ、味わえばいいんでしょ、これを。

そういう時、なんでしょ。

あーあーもー。


って言いながら、これは必然で必要、なことはわかって書いている感覚は、内側にあったりなかったりする。

だから、イイんだわ、これで。



毒に見えようが、なんだろうが、
あるものを出す、吐き出す、って大事かも。

いくら公開したって、
見る事になってない人は見ないし、
読んで、たとえ、不快になろうが、
それは見る事になっていたのだから、

そこから何を拾うか、見出すか、なのだろうね。きっと。


それでいくと。

人前で、ネガティブと言われる感情を表現する事は、
なぜ「悪」「わるいこと」「してはいけないこと」のようになっている?

・・・これは、自分のルール、「正しさ」が、
外側に反映しているように見える、だけか。

外側が先じゃない、自分だ、きっと。

・・・でも、ここすらも、一度疑ってみてもいいのかもしれない。
本当に、自分の内側が先、なのだろうか?

もしかすると、そうじゃない、かもしれない。
わたしが、これまではそれを採用してきただけ、であって。
同時、だってありえるのかも。

何なら、どっちだってよくて、これら以外だって、あるかもしれなくて。
それこそ、発想は無限でいいし、実際そう、なのかも、ね?



人前で、ネガティブと言われる感情を表現する事は、
なぜ「悪」「わるいこと」「してはいけないこと」のようになっている?


これを壊しにかかっているのかもしれない。


・・・ネガティブーポジティブの概念も、嫌いだ。

何なの、ネガティブーポジティブ、って?
誰が決めたの?誰基準なわけ?


自分だよ。



・・・分かってる。けど、わかりたくない。

そんな自分が、許せないから。


どれだけ自分に対する理想があるんだろうね?

自分をなんだと思っているのかな。

何でも出来るスーパーヒーローだとでも?

女性だから、ヒロインか? まあそれは置いといて。


《わたし》は、《自分》に物申したい。文句がある。

気に入らない。

”もっと心地よい世界にしてよ、こんなにも嫌悪や不快を感じないような世界を創ってよ、全能なんでしょ?万能なんでしょ?なんで出来ないの?なんで、やってくれないの?なんで聞いてくれないの?なのに、わたしにはこの役割やらせて?何なのそれ、すごい一方的だよね。不愉快だ。気に入らない・・・!!!!”

って思っている、かもしれない。


いくら言っても、どうにもならない、それがまた腹立たしい。。。。。。

わからない、言えば、どうにかなる、のかもしれない。

もうやってみる、試してみるしか無い、かも。

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