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履歴書⑨ひつじ日本のパティスリーで職探し

背中を押され泣く泣くパリの街から帰国した。先輩パティシエからは「日本で働くなら絶対東京だ!しかも有名店!」といわれていた。

実は気が重かった。
なぜなら東京には中学生以来行った事がなかったし、大都会すぎてパリよりも怖い街だと思っていた。しかし、色々なパティシエからもお薦めされていたし、サダハルアオキにいた事もあり、ある程度のレベルのお店でないと意味がないと思っていたので東京で探す事以外、選択肢はなかった。

帰国後すぐに緊張しながら東京に行き、職探しをはじめた。大都会とはいえ、日本語が通じる!という事だけで緊張はあっという間にほぐれた。

東京は本当に刺激的で楽しい町だ。

洋菓子業界について全く無知であった私は、サダハルアオキで働きながら、雑誌によく取り上げられているお店やコンクールで賞を取った実力のある人なども色々と覚え、先輩から聞いたりして勉強した。このような現場に入り、やっと知った事は一口にケーキ屋さんといっても、規模や各お店によって細かなレベルや技術があるという事。

プロのパティシエ達が注目するお店は個人店が多く、シェフの経歴も華々しく技術も高い。一般的にスイーツ好きの人達が注目するのは、そのようなお店も含まれる場合もあるが、企業が作った有名店や趣味が高じてお店を開いた人なども含まれ、幅が広い。

私が探すのは前者のような、いわゆるプロが注目するお店だ。

まずは菓子業界の雑誌でよくみかけた有名店のお菓子をひと通り食べに行き、その中でいいな、と思ったところやお店の雰囲気で選ぼうとしていた。

求人募集しているかは特に考えずに、気に入った所があればとりあえず働かせてもらいたいとお願いしようと思っていた。

山手線が地下鉄だと思っていた私が、まさかJRだったと知った時は衝撃的だったが・・・!そんな訳で数日間東京のありとあらゆるお店を巡り、ケーキを沢山食べた。それと同時に東京の各町の個性も知る事となった。

それぞれの「ケーキ屋さんがある場所」も興味深かった。個人店のシェフは職人である一方、起業家でもあるので場所選びも重要な要素だ。ただ美味しいお菓子を作ればどこでも人が集まるという物でもない。特に東京は激戦区である。

京都に住んでいる頃の私は食いしん坊でもなく、お菓子にもあまり興味がなかったので、食べ歩きをほとんどした事がなかったが、いざプロの現場を知り、作り方を学んでしまったら色々な事が気になり興味を覚えた。なるほど!確かに日本のケーキは本当にレベルが高い。

基本的にどのお店も、全て同じところに同じ果物やデコールがのっているし、角度もそろっている。フィルムの巻き方や箱詰めの仕方など、研究しつくされている。そして何より衛生的で清潔感は申し分ない。

味は正直フランスのケーキに比べると物足りないと思う部分もあったが、それはそれでとても美味しいし、日本人の舌と気候に合わせてあるのはよく分かった。

そのように色々なお店を探訪中、見た目はもちろん、味も魅力的でシェフも有名人という某パティスリーにたどり着いた。

求人をしていないか?と尋ねたところ、面接しますよと返答をもらった。とても緊張して面接に向かった。雑誌で何度も目にしている有名シェフが目の前に現れ、感動と緊張はピークに達しており、今にも涙がこぼれそうだった。

そして再度、働きたいのですが云々というお願いをするとあっけなく「いいですよ」と返答をもらった。

「ただし、販売からになります。中のパティシエで辞める人が出たら厨房に入れますが、今、販売している子達もみんな順番で中待ちなんです。それでもよければ。」

との事だった。その時販売スタッフは4,5人は居たように思う。そして私はその時すでに28歳だった。

この子達がみんな厨房に入るのを待ったら私は一体何歳になるのだろう?!ダメだこれを気長に待つほど私はもう若くない。早くお菓子を覚えたい。

とっさにそう思い、せっかくの機会だったが辞退する事にした。

また、一から探し直しである。

そんな中、最後に一つだけ気になっているお店があったので行ってみる事にした。そのお店は多摩市にあり、雑誌でも何度か見かけた事のあるお店だった。

京王線にゆられ、都会のベットタウンの住宅街の中にある個人店だ。お店に入るなり、店内の雰囲気を見てなんとなくここがいいなと思った。ケーキも全て綺麗で、日本ぽい物からフランス菓子系まであった。

シェフは数年前にクープドモンドの日本代表にも選ばれていた方だったのも気になった。

もう気持ちは決まっていた。さっそく電話でアポをとりとりあえず面接をしてもらう事になった。店休日に時間を割いて頂きシェフとお話をした。シェフはやさしい雰囲気の方で私がサダハルアオキに居た事にも興味を持ってくださった。ところが残念な事に今すぐには人を雇う事が出来ないとの事だった。

ただ、秋ごろになれば(その時が確か5月頃だった)忙しくなり求人するかもしれないから、それまで待ってもらえれば。と言われ、私はもうこのお店がいい!と思っていたので「待ちます!」と答えた。

入社前にデパートの催事がある時に、お試し期間も兼ねて数日間研修をさせてもらった。朝も4時頃から出勤し、大量のケーキの仕上げを手伝った。パリの和やかな厨房の雰囲気とは違い、普段は温厚そうなシェフも別人のようにとても厳しくスタッフ達もピリピリとして緊張感が常に漂う空間だった。

まさに、私がケーキ屋に入る前に想像していた厨房の雰囲気だった。こういう厳しさは通らねばならない道なのだと覚悟をしていたため、このお店で働きたいという気持ちは無くならなかった。

休憩時間はほっと気が緩み、スタッフの人達と色々な話をして仲良くなった。中には以前パリで働いていたという人もおり、共通の知人もいたりして話が盛り上がった。

数日間の研修も終え、実家にもどり適当にバイトをしながらシェフから電話が来るのをひたすら待っていた。

それから数か月後、シェフから電話があった。一人スタッフが辞めたからよかったら来ませんか?との事だった。もちろん行きますと答えた。

すぐに、アパートを契約し鳥取から引っ越しをした。パティシエの仕事は始発前、終電後になる事も珍しくないし、少しでも長く睡眠時間を確保する為、徒歩か自転車で通える距離がいい。私のアパートはお店から徒歩5分以内で着く場所だった。

専門学校を卒業してから長年避けてきた、日本のパティスリーでいよいよ働く事となった。帰国してからは半年ほども経っていた。


おわり

にしやまゆみこ

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