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自由人を目指して

学生時代に、指導教授の口から「自由人になりたくて教員になった」という話を聞いたときに、自分にとって、人生の究極の目標は「自由人になること」になった。お金をたくさん稼ぎたいとか、出世するとかじゃなくて、とにかく自由人になりたいと思ったのだ。

それはきっと、私が育ってきた現実の世界には、自由人というものは存在しなかった。知らなかったから。誰もが、会社や家族の都合や、しがらみ、他人の目といったことに縛られた環境で育ったからだと思う。

そして、毎朝、痴漢がうようよする満員電車で郊外の家から都心の学校に通った中学生から高校生にかけての経験もあった。混み混みの通勤電車に乗って会社に通う父親と、ラッシュの時間に電車に乗らないフリーランスの母。高校を卒業する頃には、もう満員電車には一生分乗った、と決めた。自分のスケジュールを自分で決める人生を目指そうと思った。
  
大好きなジャニス・ジョップリンの歌詞に
Freedom is another word for nothing left to lose
という一節があった。
自由は、失うものが残っていないということを表現するもうひとつの言葉。
はっきり言って悲しい一節だけれど、当時の青臭くて短絡的な自分には、「失うものがないほうが自由」と聞こえた。
育つ過程で、お金はとても面倒くさいものに思えた。
人がお金のためにやきもきしたり、諍いを起したりする。ありすぎれば節税したり、意味のない買い物をしたりする。
バブルが弾けたときには、自分の小さな世界にも、急にすべてを失くした家庭が近いところにいくつかあった。
だから、ジャニス・ジョップリンの歌詞が響いてしまったのだ。

1993年に初めてアメリカにきて、グレイトフル・デッドのライブを見た。バンドを追いかけながら、何らかの商品を売りながら放浪するという生活をしている人たちの姿を見た。自分がそれまで考えていた「自由」の小ささを思い知った。アメリカに住みたい、と思った。

大学院では、挫折というものを味わった。自分はけっこう賢いほうだと思っていたのに、自分程度の人間はいくらでもいることがわかった。オブセッションともいえるほどの情熱がなければ、研究者になんかなれるわけがないのだ。そんなに簡単に自由人になれるわけはない、と納得もした。

進路を変更して、自由の街ニューヨークで働きたいと思った。まずはビザを取得するために仕事を見つけなければならない。会社員になった瞬間に辞めたくなったけれど、まずはニューヨークで生き残ることが先決だった。毎日職場に行っている間も「これは自由人になるための修行だ」と思っていた。グリーンカードさえ取れれば、自由人になれるのだ、とたった6年だけど、自分なりに辛抱した。よっぽど堪え性がない人間だと自覚したが、性分だからしょうがない。

おそらく、その当時考えていた「自由」は自分のスケジュールを自分で決められるということだった。ところがまったく当たり前のことながら、フリーになれば自分のスケジュールを独自に決められるかといえばそうではない。フリーでも、自分でスケジュールを決められるほどエラくならない限り、クライアントや取材相手のスケジュールが優先されるのである。そして、何より、お金が稼げなければ自由もクソもない。つまり、社会の中で評価される人間にならないと、自由にはなれない、そう理解した。

幸い、私の飛び込んだ世界には、自分の一番好きなことを仕事にして、お金を稼ぎ、自分のスケジュールで動いているロールモデルには事欠かなかった。下っ端の頃から、どうやって作品を作り、どうやって情報収集しているのかを、身をもって教えてくれる人たちを観察した。

そうやって、自由人になるはずが、仕事人になっていった。仕事はおもしろかったから、かなり長いあいだ、馬車馬のように働いた。何ヶ月も休みを取らないことが当たり前になった。そうなると、今度は自分がまったく自由でないことを自覚するようになった。このままだと仕事に支配された人生が続いてしまう。自分の作品を作らなければ、と焦るようになった。

最初に出すはずだった本は、出る直前で、その出版社が活動停止状態になったからお蔵入りになった。その2年後に普段の仕事の合間少しずつ書いた本が自分の代表作になった。以来、少しずつ、自分のやりたいことを作品にすることができるようになってきた。

今の自分は、これまでの人生のなかで一番自由かもしれないと思う。シングルでフリーランス、誰に対しても責任を追っていない。忙しくなって、人が自分のスケジュールに合わせてくれることも増えてきた。人生短い、いつ終わるかわからない、という焦燥感があるから、やりたいことは全部やりたいと全力で走っている。

けれど、自分は自由だろうかと考えてみると、そもそも、自分は「自由」というものを、きわめて表面的に捉えてきたかもしれないという可能性が見えてきた。そもそも自由ってなんなのだ。

若い頃、自分はお金がかからないタイプだから、貧乏でも大丈夫だと思っていた。家賃と食費で精一杯という給料だったときだって楽しく過ごせたわけだから、お金はあまりいらないと思っていた。けれど、気がつけば、ニューヨークではtoo good to be trueな大家さんたちとの縁のおかげで、奇跡的に安とはいえ、いブルックリンの家と、仕事場、山の家の3ヶ所を借りている。そして、お金ができるとネタを探して旅に出る。いろんなところを飛び回る生活を心から楽しみながら、ときどき自分のキャパを超える量の仕事をし、いつも何かに遅れたり、追われたりしている。「好きなことばかりやっているのだからストレスはないはず」と思いながら、やっぱりときどき倒れそうなストレスを感じる日もある。部分的には意図的なライフデザインと、部分的には偶発的に起きた幸運のおかげで、自分の人生は想像していたよりもずっと愉快でドラマチックでインテンスなものになったことは確かである。

大人になって、好きなことが仕事になり、自分があれこれを決められるようになった。
そこで今、自分は自由になれたのか、と考えた結果、やっぱり答えはまだノーだった。

誰からも縛られていないかわりに、自分に縛られているのだ。
すべてのことを、自分の決断で決められるようになったら、自分の課題が変わっていた。
自分がこれまで学んできたこと、刷り込まれてきたこと、「知った」と思ってしまったこと。そういうことから、自分を解放することが課題になっていた。今、自分はそういう作業を頭の中でしているのだと思う。

そうやって自由人になるジャーニーも、ライフデザインもずっと続いていくのだろう。


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