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Cancel Cultureとは

最近、とみに耳にするようになった言葉「Cancel Culture」。

アジア人蔑視発言に起因するコメディアンの解雇

一番最近のエピソードとしては、サタデー・ナイト・ライブに起用された新キャストの中に名前を連ねたShane Gillisという白人コメディアンの過去が掘り返され、英語が話せない中国人を笑うポッドキャストが浮上したこと。そして本人がツイッターで、「謝罪」したけれど、結局、SNLには出演しないことになったこと(解雇、という言葉が使われていたのだが、実際の雇用が始まっていたということか)。そして、これが一部のコメディアンに「表現の自由を制限するCancel Culture」として批判されたこと。

Shane Gillsの問題になったポッドキャストのビデオを見た。アメリカに暮らすアジア人として聞くに耐えない酷いもんであった。おえ。

確かにこの手のアジア人蔑視は、近年まで割と当たり前に存在していたものである。今見ると、不快感が半端ない。ところが、これが録音されていたのが実は去年のことだったと読んでたまげた。

SNLは、長い間、白人が圧倒的に優勢なコメディショーで、もちろんマイノリティのキャストもポツポツいたにはいたが、それでも多様性の欠如が問題になったのは今回が初めてではない。5年前に出たこんな記事を発見した。


今回の新キャスト発表で、史上初めてアジア系アメリカ人のデビッド・ボーウェンが起用されたのに、一方で、こんな差別ジョークをネタにした輩を抜擢していたのだから笑えない。視聴者に保守層を取り入れたかったから、と書いてあったが、保守層にアピールするということはこういうことなのか。

こうやってどんどん表現の世界がポリコレに支配される、という意見もあるのだが、私はそうは思えなかった。その理由は以下。

 1,問題になっている人種差別ジョークは、ちっともおもしろくない。単に人種差別を垂れ流しているだけで、コメディと呼ぶのはコメディに失礼なレベルだ。

 2,過去のことは許してやれよ、という声もあるが、10年前の話とかではない。つい最近、去年録音されたものである。

 3,ツイッター上でのGillsが出した「謝罪」は、「謝罪」として認められるものではない。

 4,中国人やアジア人がこうした醜い言葉を浴びせられてきたことは、現実なのである。そしてそれがジョークになるのも、つい最近までリアリティだったのだ。そろそろこういう下世話な笑いは淘汰されるべきなのだ。おもしろくもないしね。何度も言うけど。

というわけで、今回のケースは「Cancel Culture」の弊害として記録されるべきものではないと思っている。

もちろん、物議を醸す発言の主が出演する作品があっという間にキャンセルされてしまう風潮が、いつも歓迎すべきものとも限らない。

ここ最近で、その最たるものとしてよくあげられるケースは、ケビン・スペイシーの「House of Cards」問題だろう。また、幼児虐待をしていただろうと思われる故人マイケル・ジャクソンの作品をどう扱うか、という問題もある。

こうした事象に対してどういう対処が正しいのかはわからない。ただ、今、自分たちは過渡期に生きているのだと感じることが多い。これまで黙認されていたことが黙認されなくなった。そうやって少しずつルールが再定義されていくのだろう。


Cancel Cultureと検索してみると、「Call out culture」の一部としてみなされているようだ。日本語にすると糾弾文化とでもいえばいいのだろうか。Cancel Cultureという言葉について書いたのは、これが初めてだが、Call Outについてはこれまでもたびたび書いてきた。

拙著My Little New York Timesをめくってみると、2017年11月にこんなエントリがあった。

ツッコミの時代とファッション

(2017年11月のエントリから)

人と会うのも、買い出しも、すべてグリーンポイントで済んだ幸せな1日。移動に時間を遣わない日は、得したような気分になる。ハリー王子とメーガン・マークルの婚約話を「モダンな結婚」と表現したBBCや、セクハラ疑惑の議員を「アイコン」と表現したナンシー・ペロシ下院院内総務に、インターネットのみなさんが鋭いツッコミを入れているのを見て、Call out(ツッコミ)の時代なのだなと考える。人種差別的、セクシスト的な匂いにみんなが敏感になっている。政権のトップにいるセクシストのレイシストは、鈍感力でまったく動じていないようだけど。ツッコミといえば、前の晩、ももちゃんとなおちゃんが教えてくれたインスタの@diet_pradaというアカウントにひとしきり夢中になった。匿名の業界人二人組が、ファッション業界のパクリをひたすらアップするアカウントである。歴史が循環するファッションにおいて、「パクリ」と「リファレンス」の間にはでかいグレーゾーンがある。法的には3つ違うところがあれば「パクリ」ではないと主張できるのだと、パクリの常習犯として知られる某ファストファッション企業で仕事をしたことのある友人が教えてくれた。法的なラインはさておき、パクりの一番の問題は、バレたときダサいというとこにある。パクると13万人フォロワーを持つアカウント(この2ヶ月弱で4万くらい増えた)で晒されます。ファッションとインターネットの複雑な関係が、こういう方向にいくことは想像していなかった。 ちなみに一度消えかけていたはずのテリー・リチャードソン問題に火をつけたのもこのアカウントだったらしい。ニヤニヤしながらスクロールしていたら、Oggiの表紙ががっつり餌食になっているではないですか。もう日本も圏外じゃないよ。

備忘録:@diet_pradaがファッションのいんちきにツッコミを入れています。


というわけでMy Little New York Timesは、ここからご購入いただけます。




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