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はじめまして

こんにちは佐久間裕美子です。

(2021年1月追記:note株式会社の度重なる不祥事を受け、ブログは別のプラットフォームに移しました。noteには過去の記事だけ置いています)

noteで私を初めて発見してくださる方に読んでいただくために書いた「はじめまして」のポストを書いてから1年4ヶ月。気がつけば、自分の生活もずいぶん変わり、自己紹介の内容も更新するべきのような気がしてきました。

基本、私は、文字を紡ぐ仕事をしています。ひとりの文筆家として原稿の依頼をいただいたり、本を書いたりしてお金をいただくこともありますし、下請けのプロダクションとして、コピーやカタログ、文字の制作物を請け負うこともあります。また、プロデューサーとして、コラボレーションやイベントの制作をやることもあります。(個人としての仕事はこちら、プロデューサーとしての仕事はこちらにまとめてあります)。

この他、ポッドキャストをやっています。イノベーションや行政、ポップカルチャーといった観点から「未来」を探る「こんにちは未来」というポッドキャストです。

コロナウィルスがやってくる前は、あっちをふらふら、こっちをふらふら、自宅のベッドで寝るのは月に平均1週間程度という生活を送っていましたが、コロナウィルスのロックダウンとともに、NY州北部の山のセカンドハウスに生活の場を移しました。最初は、2週間程度?もしかしたら1ヶ月?などと思っていたこの新たな生活は、どうやらしばらくは続きそうで、ハーブや野菜を植えたり、これまでできなかったことにチャレンジしています。

とはいえ、やっぱり外の世界とはつながっていないと不安になっているので、週に1〜2度、インスタライブでトークをやっています。最近、アーカイブができるようになったので、IGTVのページに過去のトークをためてあります。

これまで、自分は、ネタを収集し、社会に流れる空気感を理解するために、また自分にとって幸せな時間を作るために、「人と会って話す」ということを重視してきましたが、その行為がオンラインに移動して、そこに割く時間が減った分、時間の流れというものと前より少し緊密に付き合えるようになってきたかなと思ったら、新しいことをやりたくなりました。

いままで自分の身体とともにあっちゃこっちゃに移動していた頭を前よりうまく整理できるようになってきたので、noteのマガジンのタイトルとコンセプトを整理し、また、新しいプロジェクトとして、週報としてのニュースレター(メルマガ)を始めることにして、Sakumagのエディションを3つに分けることにしました。

noteでは、マガジンをふたつやっています。ひとつは、今、ガラガラと音を立てて変わるアメリカを観察するDailySakumag、もうひとつは、一人の人間として健やかに生きていくために日々、考えていることをまとめるInnerSakumagです。

そして、メルマガは、1週間に1度、週末にその週アメリカで起きたことを振り返る週報で、受信箱に届くシステムです。購読制ですが、最初の20日は無料です。サンプルはこちらにあります。

7月末には、「こんにちは未来」の書籍版が刊行予定で、2014年に出した「ヒップな生活革命」の続編も、そろそろ完成する、、、、はず、、です。

それでは引き続きこれからもお付き合いのほどよろしくお願いします。

2020年6月22日 佐久間裕美子

↓2019年2月バージョン

はじめまして、佐久間裕美子と申します。

ライターとして雑誌に寄稿したり、自分の本を書いたりしています。ジャーナリストと呼ばれることもありますが、ドナルド・トランプが大統領になった時点で、その肩書と決別しました。中立性とかもうどうでもいいやって思っちゃったんです。コピーやプレスリリースも書くし、カタログの文章を書くこともあります。だから「書く人」という肩書のほうがしっくりくるのです。

特に専門はありません。これだけは絶対に詳しい、ということもないかわり、ファッションも、アートも、音楽も映画も、ニュースも、政治も、歴史も大好きです。いろんなことを、一人の消費者として探求し、自分が発見したことを、人と共有するのが好きなのです。

家族には「寅さん」と呼ばれています。いつもあっちをフラフラ、こっちをフラフラしていているからです。「あそこがおもしろいよ」と言われると、自分の目で確かめずにいられない。そうして見に行ったことが文章のネタになるようになりました。会社員をしていた20代の頃、自分はひとつの場所にじっとしていることが苦手なのだと気がつきました、と、ここまで書いてはたと思い出したことがあります。子供の頃、おじいちゃんに「糸の切れた凧」と呼ばれていたということです。思えばいつもそわそわしていたので、学校では先生に怒られてばかりいました。じっとしていられない、という社会において致命的になりかねない欠点が強みになる職業につけたことは、今思うと奇跡的なことです。

いつも放浪していますが、家はニューヨークにあって、ブルックリンの北端の8世帯しか入っていない低層のアパートに住んでいます。下町ならではのたくさんの人間模様があふれる場所です。近くのボロくて安価な仕事場を、アーティスト男子とシェアし、ときどき都会から離れて一人きりになるために、ブルックリンから1時間半ほど北上した林のなかにおうち(通称:山の家)を借りています。

ニューヨークに暮らし始めてもう20年以上が経ってしまいました。20年以上前に、ニューヨークという街に魅せられた、ということがもともとの理由でしたが、ここまで時間が経つと、今もまだニューヨークにいる理由は、本人にもわかりません。住み続けるうちに、いつしかニューヨークが「ホーム」になっていたのです。ひとつだけ言えるのは、いままで一度も「飽きた」「お腹いっぱい」と思ったことはないということです。

本を書くようになって、日本で過ごす時間も増えました。今の時代、本を出したところで、プロモーションをがんばらなければ埋もれてしまう、ということもありますが、実はそれは言い訳です。20代前半でアメリカに行ってしまったので、日本にも訪れたことのない場所がたくさんあるのです。若い頃はアメリカのほうばかり見ていましたが、日本の各地も、話し方も、町並みも、地元の人たちが食べているものもそれぞれまったく違う、という事実にいつも感動します。

私にとって最大のモチベーションは、これまで見たことがないことを見たいという気持ちです。知らない町並み、見たことのないタイプの音楽、知らなかった人たち・・・若い頃は、なんだって新鮮に見えたけれど、年を取るうちに、既視感というものを覚えてしまう。最大の恐怖は退屈です。だから何かに取り憑かれたかのように、いつも新しいものを探しています。

昨年末に、My Little New York Timesという本を出しました。2017年の春、出版レーベルを立ち上げたばかりの内沼晋太郎さんに「なにかやりませんか」と言われたときに、日記を書いてみたい、と提案しました。ドナルド・トランプという人が大統領になって、毎日、それについて感じることがある、どうせ感じるのであれば、記録してみたらどうだろうか、一見バラバラに見えるけれどもつながっているはずのネタを毎日書き続けたらどうなるだろうか、と思ったからです。結果、できた日記本は、アメリカ、ニューヨーク、日本、東京、その他、縁があって訪れることのできた場所や、いろんな場所で出会った人についての記録になりました。

同時に、その記録は、自分が生きてきた45年以上の人生のある1年間の記録にもなりました。一方で、自分は、自分のことを書くことがいまだに苦手です。最近、自分の人生で起きていることを、もうちょっと踏み込んで書いても良いのかなと思うようになりました。最近、この本を持ってトークをやるうちに、ときどき「いつもそんなに元気なんですか?」と聞かれることがあります。文体が淡々としているからか、いつも元気で愉快に生きている人、という印象を与えがちなのかもしれません。この世の中に、落ち込まない人がいるわけはありません。今は概ね元気にやっていますが、何年か前には、ベッドから起き上がれないような鬱状態になったこともあります。イライラすることも、叫びだしたくなるようなことも、なくはありません。自分という存在が恥ずかしく思えたり、情けなくなったりすることだってある。ただ、そういう辛い気持ちになったときに、リセットするトリックを、少しずつ身に着けてきたのかなと思います。

どこをどう切っても、生きるということは簡単なことではありません。毎日、元気に生きることはさらに簡単なことではない。でも、せっかく生きているのだから、毎日、愉快な気持ちで生きたい。そんなことは不可能だとしても、目指すところは日々、愉快に過ごすというところに置きたい。そんな気持ちを込めて、noteのマガジンには「明日は明日の風が吹く」というタイトルをつけました。クラッシックの名画「風と共に去りぬ」のセリフ「Tomorrow is another day」という言葉が、いつも私の中で呪文のように機能しているからです。

これまで、誰に向けて物を書いているのかわからずに書いてきたところもあります。遠くの知らない誰かが、自分の書いたものを読んでジャッジしたり、不愉快に感じたりするかもしれない、という漠然とした恐怖感から、いつも逃れられないできたのです。そうした恐怖感を克服したい。そんな気持ちで、noteを始めようと思います。

みなさん、どうかよろしくお願いします。


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