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自分のスタイル 洋服編

 いきなりですが、ファッションって、本当に面倒くさいよね。ていうか、裸で生まれたのに、お金を払って体を覆う布をウキウキと買っちゃったりして、毎日何を着るかを決めて、それで自分に対する人の印象が変わったりするって、なにそれ!って感じだよね、っていう会話が、最近、今一緒に本を作っているeriとの間で起きたのでした。

 私は、服が大好きなわりには、長い間、ファッションの表面的な部分への嫌悪感から、服が好きだという気持ちを認められずにきた。着道楽の大人たちへの反発から、け、ファッションなんて、と思っていたときもあるが、とはいえ、そういうときでさえ、わざわざ大人たちが怒るような服を敢えて着たりしていたのだから、常に自分が何を着るかを、ある程度は意識しながら生きてきたのだろう、ということは、さすがに認めてもいい気になってきた。

 たかがファッション、されどファッションだと思うのは、やっぱり、自分が身に付けているものという物は、自分が思う以上に、たくさんのことを露呈するものだから。良いか悪いかは別として、現実問題として。
 だって、自分だって、初めて人に会ったとき、やっぱりどうしても服を見てしまうところはある。あんまり気にしてないみたいだけど気持ちの良さそうなセーター着てるなとか、高級ブランドが好きなのねとか、その人が投影しようとしてるイメージとか。
 そしてこういうときに好印象を与えるのは、似合っている服を気持ちよさそうにくつろいだ感じで着ている人たち、着せられた服でなく、自分がきちんと選んでいる服を着ている人たちなのである。

 自分も、随分いろんな試行錯誤をしてきた気がする。
 子供の頃、お気に入りのコーディネートはブルーのギンガムチェックのボタンダウンシャツに、ブルーの短パンだった。髪の毛は短かったし、近所のクソガキどもに「男女」なんて呼ばれていたらしい。すっかり忘れていたけれど。親が選んでくれていたような記憶だったけれど、親に確認したら自分で選んでいたという。このジェンダー観がどこから来ていたか、というのは、また別の面倒くさい話なので、今度にするとして、要は子供の頃からトムボーイだったのである。
 学生時代から古着が好きだったけれど、一度は就職して、「大人の格好」を試みたりもした。あれは「女性の社会人」というコスプレだったのだろう。ちょっと背伸びをして身の丈に合わない高いものを買っていたこともあるのだが、「服に負けている自分」が恥ずかしくなってやめた。わりと何を着ても許される雑誌の世界に入ったことで、もともと好きだったものに戻り、古着やアウトドアウェア、ワークウェア的なものを着るようになった。そして今、また似合うものが変わってきたなと、再び試行錯誤をしている。年を取っているのだから当たり前か。
 最近は、ファッションというものは、一生取り組み続けるパズルのようなものだ、と思うようになってきた。鉄板のコーディネートとか、ワードローブなんて幻想だ。似合うものも、時代の考え方も常に変わり続けるのだから。と改めて思ったのは、最近、衣替えをしていたら、前にしっくりこなかった服が似合うようになっていたり、去年着てた服が似合わなくなっていたり。。。不思議なものだ。

 数ヶ月前に、「本当に欲しい見た目はなにか」というテーマのパネルで話をした。見た目というと、表面的に聞こえるけれど、この社会を生き抜く上で、人に好印象を持たれるか、とか、それ以前に覚えてもらえるか、ということは重要な問題で、そのためにどう見えたいのか、自分のスタイルをどう確立するのか、というテーマだった(つもり)。
 最近、配信されていたので良かったら。


 こういうぶっつけ本番のぶっちゃけトークだと、あとになってから、あれも話せばよかったな、とかこれも話せばよかったな、と思ったりすることが多く、実際、このときもあとからいろいろ思いついた。

 というわけで、自分のスタイルを確立するためにどうすればいいのか、について考えたことをメモとしてまとめておきたい。テクニック的な話は一切出てこないので、そういう話は期待しないでください。

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